既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第5節 肉用牛肥育事業の進展

2.大正時代から昭和前期における肥育

  (4) 大豆粕の飼料化運動

 大豆粕が飼料として利用されたのは,明治29年(1896)からで,当時1升
5銭5厘(1キログラム4銭6厘)であった。それまで大豆粕は,大部分肥料として用いられていた。大正中期から肥育試験などに用いられだして,昭和初年になると輸入大豆粕の30パーセントが飼料用とされた。一方,大正末期から普及した硫安のため,肥料用の大豆粕は大幅に後退した。昭和5年(1930)当時全輸出額の60パーセントを大豆粕に依存していた満州(現中国東北地区)の貿易経済は,これによって重大な影響をこうむることになったため,その打開策として,南満州鉄道株式会社(満鉄)を中心に,大豆粕の飼料化対策が推進された。
 同社は,昭和6年(1931)千葉市に千葉飼料研究所を設け,農林省畜産試験場や地方のおもな種畜場に大豆粕給与試験を委託した。翌7年(1932)からは,中国各県に委託して,和牛の発育試験も行なった。岡山県においても,千屋分場において,同8年(1933)に委託試験を実施した。試験の結果,濃厚飼料中に20パーセント程度大豆粕を混与することは,肉牛の体脂肪の色や質に悪影響はなく,むしろ,肉味をよくし,被毛の光沢をよくするなど,よい結果が認められ,蛋白質の給源として,飼料配合の改善に著しく役立った。