既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第5節 肉用牛肥育事業の進展

3.昭和戦後期における肥育事業の進展

  (2) 乳用雄子牛の肥育

 乳用雄子牛の肥育は,昭和35年(1960)に,肉資源開発協議会が組織されて,乳用雄子牛の精肉向け肥育と,その利用に関する研究が開始されたのに端を発している。当時は,この種の肥育により,生産された枝肉の評価は低く,その生産はごく一部に限られていた。その後,オランダ式肥育法が,昭和38年(1963)に紹介され,急速に各方面の関心が高まり,乳用雄子牛のホワイトビール生産試験,さらには精肉生産を目的とする肥育が,全国各地の試験研究機関で取り上げられ,その成果は各地で直ちに実用化されるようになった。わが国におけるこの種の肥育が一般化したのは,昭和40年(1965)ごろからである。
 この肥育は,はじめ飼料の制限給与によって,月齢16〜18ヵ月で,仕上げ体重は450キログラム以上を目安とした方式であった。ところが,当時の牛枝肉市況から推して,業界筋がこれを「雑牛肉」として処理し,安価に取引きされたのである。つぎに登場したのは,濃厚飼料の不断給餌による12ヵ月齢,生体重450キログラム程度を仕上げの目安とした,いわゆる乳用牛早期若齢肥育である。これは,昭和42−44年(1967−69)にかけて急速に伸びかけたが,昭和43−44年(1968−69)にかけて,枝肉価格が異常に低落したため,大きな打撃をこうむってしまった。なぜ,このような打撃をこうむったかといえば,乳用雄子牛の肥育が急速に伸びて,需給のバランスがくずれたこと,わが国の牛肉に対する嗜好が,欧米のそれと異なり,肉質評価について大きな開きがあったこと,などによるものであった。そこで,乳用雄子牛肥育関係者が,中央畜産会を中心として,種々検討し,昭和47年(1972)には,牛肉生産における乳用肥育雄牛の位置づけについて,「牛肉の枝肉規格「上」以上の生産は,肉用種(和牛)が,そして,「中」程度の大衆肉の生産は,乳用肥育雄牛が,それぞれ担うものとする」ということにした。これにより,当面の肥育仕上げの目標を,出荷時生体重は,少なくとも530キログラム以上,枝肉重量300キログラム程度とし,このときの出荷月齢は16〜18ヵ月以上とするとした。
 その後,枝肉重量に若干の訂正を加えて,現在では次のように示している。すなわち,濃厚飼料不断給餌方式による場合は,出荷時月齢は15ヵ月程度を限界とし,仕上げ体重は550キログラム以上(枝肉重量320〜350キログラム程度)を当面の目安とする。濃厚飼料制限給餌方式による場合は,出荷時月齢18ヵ月程度で,出荷時生体重550キログラム以上(枝肉重量320〜350キログラム程度)を当面の目安とする。岡山県における出荷時体重の動向をみると,昭和40〜42年(1965〜67)は500キログラム中心であったが,その後,昭和47年(1972)までやや大きくなって,550〜600キログラム,昭和48年(1973)からは,さらに大型化され,600〜700キログラムとなった。しかし,昭和50年(1975)以降はやや小さくなり,600〜650キログラムのものが主体となっている。
 岡山県における乳用雄子牛の肥育は,昭和37年(1962)吉備郡足守町(現岡山市)で初めて行なわれたようである。ついで,高梁地域で,41年(1966)から,さらに邑久郡を初めとする県南部へと次第に広がり,43年(1968)には津山市,苫田郡,勝英地域へ,47年(1972)には和気郡へと著しい普及をみるようになった。その生産頭数の推移をみると,昭和45年(1970)が4,671頭,同48〜49年(1973〜74)のオイルショック時には,一時7,000頭を超えたが,昭和53年(1978)が6,208頭と,大体6,000頭前後で推移している。なお,頭数において和牛の去勢牛を上回るようになったのは,昭和48年(1973)からである。
 乳用雄子牛の肥育が普及するにつれて,県外から素牛が導入されるようになり,昭和40年(1965)ごろ,初めて北海道から50頭移入された。その後,導入頭数が多くなるにつれて,全国農業協同組合連合会(全農)の手を経て移入するようになった。最近は,移入する素牛の約40パーセントを北海道から導入し,一部隣県の兵庫県から移入する状況である。
 昭和53年(1978)からは,岡山県畜産公社が北海道八雲町に設けている桜野牧場から導入が開始され,同年度には207頭が,津山,美作,高梁および倉敷の各地域に分散して入った。粗飼料を比較的多く用いて育成してある関係で,健康で飼いやすいと評判はよい。
 最近では個人で大規模に乳用雄子牛を育成する農家も現われた。和気郡和気町の小林牧場は,昭和50年(1955)から乳用雄子牛の哺育・育成事業に着手した。当初は350頭規模であったが,現在では年間約1,000頭を,体重330〜350キログラム程度まで,哺育・育成し,県内の肥育地帯,とくに,賀陽町,美星町および和気町などに,その約70パーセントを出荷し,あと30パーセントは県外(徳島県・島根県など)に移出している。
 ここで,地域別の肥育牛飼養頭数の推移を見れば表2−5−8のようである。