既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第5節 肉用牛肥育事業の進展

5.肉牛または枝肉の共進会

(2) 戦後における肉牛共進会

 戦後,飼料事情の好転により,ようやく肥育事業の行なわれるようになった昭和25年(1950),岡山家畜市場において第1回岡山県肉牛共進会が,12月24,5両日,34頭の出品をもって開催された。その後は,第2回を翌26年(1951)12月20−21の両日,倉敷市において,肉牛50点(岡山市1,御津郡2,赤磐郡2,邑久郡2,児島郡3,都窪郡37,浅口郡2および吉備郡1)の出品をもって開催されたのを初め,第3回が同27年(1952)12月20〜21の両日,岡山家畜市場において46点(岡山市13,赤磐郡5,都窪郡21,邑久,上道,浅口郡各1および児島郡4)の出品をもって,第4回を翌28年(1953)12月20−21日の両日,岡山家畜市場において,53点(岡山市14,御津郡2,赤磐郡3,児島郡7,倉敷市20,都窪郡5,浅口郡および上道郡各1)の出品をもって,それぞれ開催され,昭和35年(1960)1月,大阪市において等1回岡山県枝肉共進会が開催された年まで,毎年12月20−21両日は,岡山家畜市場において第11回まで開催された。出品は年により幾分の違いはあったが,毎回50−60頭ぐらいであった。第3回(昭和27年)に初めて去勢牛2頭の出品をみたあと,去勢牛の出品が次第に多くなり,第10回(昭和34年)には50頭の出品のうち,去勢牛が30頭と,はじめて雌の出品より多くなり,第11回には雌23頭および去勢35頭計58頭であった。
 なお,これら肉牛共進会は,肥育奨励事業の一環として開催されたことはいうまでもないが,同時に牛肉の年末年始の需要期をひかえて,優秀な肉牛の販売の場でもあったのである。
 また,郡市単位以下の肉牛共進会も,主産地の都窪郡,倉敷市,赤磐郡などにおいて毎年開催されていたが,これらについて,明らかな記録は見当たらない。