既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第5節 肉用牛肥育事業の進展

5.肉牛または枝肉の共進会

(3) 枝肉共進会

 食肉流通の合理化,近代化を促進するため,昭和33年(1958)1月,全国にさきがけて中央食肉卸売市場が大阪に開設された。岡山県においては,従来の肉畜の生体取引きから,より近代的な枝肉取引きに移行すべきであるとの方針のもとに,県総合畜連による大阪市場への共同出荷を奨励した。そして,事業推進の一環として,昭和35年(1960)1月29〜30両日,大阪市中央食肉卸売市場において,岡山県総合畜連主催により,第1回岡山県牛枝肉共進会を,去勢牛枝肉42頭をもって開催した。これは,従来から開催されていた県肉牛共進会にとってかわるものであった。この時点で,県においては,岡山市営屠畜場の施設を継承して,近代的な県営食肉取引施設を開設する構想をもって,関係団体および業界と,公式または非公式の折衝を始めていたが,年々盛んになる肥育事業の受け皿として,大消費市場への出荷が急がれていたので,この共進会の開催となったのであった。ところが前日の1月28日,出品牛を京橋下の旭川右岸(岡山港)に集めて,一括して船便で大阪へ輸送しようとしたところ,早朝から同港に,岡山屠畜場関係従業員など数10名が集まって,肉牛の船積みを阻止する挙に出た。理由は,優秀な肉牛を大消費地へ出すことは,産地市場へ圧迫することになること,また,当時需要の盛んになってきた内蔵など副生物の地場への供給を阻害するということであった。県の根気強い説得にも容易に耳をかそうとしないまま,時を遷延したが,食肉業界の代表者らの仲介斡旋もあって,同日午後かなり遅くなってようやく船出にこぎつけ,翌日の共進会日程に何とか間に合わせることができた。今思えば,食肉の取引近代化のための一種の陣痛と見られるものであろう。
 この共進会の第2回は,翌36年(1961)1月31日から2月1日にかけて,同じく大阪中央食肉市場で開催されたが,37年(1962)には条例市場として岡山県営食肉市場が,岡山市網浜(現桜橋)の市営屠畜場跡に開設されたのを機に,ここで同年12月21日から23日までの3日間,第1回岡山県肉畜(枝肉)共進会として,牛枝肉50点,豚枝肉30点をもって開催されるようになった。岡山県営食肉市場における県枝肉共進会は,その後,毎年12月20日ごろに2〜3日間の会期をもって,県総合畜連(昭和37年からは県経済連)の主催により,開催されるようになり,53年(1978)12月19日から21日までの第17回まで連綿として続けられている。出品はおおむね,和牛去勢牛枝肉50頭および豚枝肉50頭(25点)であって,出品された枝肉についての測定数値等の成績は表2−5−10のとおりである。

 さて,肥育技術について,現在における問題点としては次のことが挙げられている。まず,短期的視点からは,@仕上げ月齢を生後24カ月まで,仕上げ体重を600キログラム前後とすることが,和牛去勢の産肉生理からして適当であること,A肥育パターンは,初め中栄養とし,仕上げを高栄養とする(中〜高)のパターンが,皮下脂肪も厚脂にならず,肥育期間も長くならないで,適当であること,が指摘されているけれども,一般産業ベースでは,とかく長期肥育により,過大な枝肉とする傾向であって,将来はこの点を是正すべきであるとされている。この共進会における成績をみても,このことは将来の改善点として指摘されるところである。なお,長期的視点からは,世界の食糧需給事情や飼料穀類の需給事情からして,飼料穀類を多給するような肥育に,問題点が存在することが指摘されている。