既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第5節 肉用牛肥育事業の進展

5.肉牛または枝肉の共進会

(4) 肉牛および枝肉審査標準

   1 肉牛審査標準

 肉牛審査標準が作成されたのは,戦後,肥育がようやく勃興し初めた昭和27年(1952)のことである。これは昭和26年(1951)8月に,兵庫県美方郡温泉町において開かれた中国和牛協会の年次大会において,肉牛審査標準作成について要望があり,同28年(1953)に中国和牛協会の世話で設置された肉牛審査標準作成委員会によって作成されたものである。中国和牛協会長は,これを農林省に報告し,農林省から全国各府県に周知徹底方が通知され,各地の肉牛共進会において,その審査に適用されるようになった。

  肉牛審査標準(昭和28年)

 体躯広く,深く,体積豊かで,長方形を呈し,均称宜しく,肉付きなめらかに厚く,適当に緊まり,均等に付着し,皮膚柔軟,被毛繊細,骨細く,角蹄の質良好,肥育完成時における年齢は,牝は満3歳ないし6歳,閹は満2歳から6歳,圏は満2歳ないし4歳にして,次のごとき体重及び大きさをもつこと。
 つぎに,審査項目と配点を示せば次のとおりであった。
 その後,去勢牛肥育の普及や,肥育の若齢化などによって,肥育技術に大きな変化がもたらされたので,標準に示されている肉牛の年齢,大きさ,配点などに改正を要するようになった。そこで,全国和牛登録協会が世話人となって,昭和33年(1958)10月開催の第2回全国和牛共進会に出品される肉牛の審査に適用するために,昭和32年(1957)に改正された。
 ところが,その後,和牛の肥育はますますさかんになり,昭和37年(1961)ごろを境として,和牛の産肉経済性が大きく変ってきたので,昭和41年(1966)10月,岡山市で開催の第1回を全国和牛産肉能力共進会における肉牛審査標準としては,適用しがたい点があったので,昭和40年(1965)に新しい構想のもとに,その改訂がなされた。
 さらに,昭和45年(1970)に鹿児島市で開催された,第2回全国和牛能力共進会における実情からして,昭和47年(1972)に,若齢肥育牛の仕上げ月齢の目標ならびに採点について改正がなされた。また,昭和52年(1977)5月開催の第3回和牛能力共進会の肉牛審査に当たって,従来の審査標準で示されていた去勢牛若齢肥育,去勢牛理想肥育,雌牛理想肥育の3区分について,それぞれ大きさと月齢の目標および審査配点がなされていたものを,全国和牛登録協会中央審査委員会の答申により,次のように改正され,さらに,減率協定も改正され,現在に至っている。(減率協定を省略する。)

肉牛審査標準(昭和52年改正)
     ア 大きさと月齢の目標

     イ 説明と配点(説明を省略する)

   

  2 牛枝肉審査標準

 和牛の肥育が隆盛になるにつれ,各地の肉牛共進会で,肉牛のと体審査がおこなわれるようになったが,わが国には肉牛屠体審査基準がなかったので,昭和31年(1956)に肉牛関係者が,大都市の肉畜市場の要求を聞き,中国6県(広島,島根,鳥取,岡山,山口,兵庫の各県)の肉牛関係技術者とともに肉牛の屠体審査基準を作成した。
 この審査基準は,その後,肉牛共進会における屠体審査に摘要されるとともに,昭和37年(1962)に牛枝肉取引規格が制定されるに当たっては,これが重要な参考資料として役立った。その後,肉畜市場に出荷される枝肉の状態も従来に比して非常に変化し,また,肉牛審査標準の改正や,牛枝肉取引規格の改訂などに伴って,屠体審査基準も改正を要する点が多くなったので,全国和牛登録協会は,昭和41年(1966)10月開催の第1回全国和牛産肉能力共進会に先だって,同年2月に改正した。
 さらに,昭和45年(1970)の第2回全国和牛能力共進会に先だって,昭和43年(1968)にも改正され,ついで,昭和52年(1977)5月開催の第3回全国和牛能力共進会に当たり,さらに改正され,現在に至っている。

    牛枝肉審査標準(昭和52年改正)
 牛枝肉重量(2分体)は次のものを標準とする。
   去勢牛理想肥育の場合   205〜220キログラム
   雌牛理想肥育の場合    200〜210キログラム
   適用基準(略)