既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第6節 和牛(肉用牛)の流通

1.家畜市場と和牛(肉用牛)の流通

(4) 家畜取引法公布以後(昭和31年から現在まで)

 明治43年(1910)以来の家畜市場法は,戦後,昭和23年(1948)12月,独占禁止法にふれるということで廃止されたので,岡山県においては,この年から昭和31年(1956)6月1日,法律第123号(最終改正,昭和37年,法律第161号)をもって家畜取引法が公布されるまでの間,無法状態で推移し,家畜市場は,ただ市場開設者の市場業務規程によってのみ開設されていた。家畜取引法は,公正な家畜取引および適正な価格形成を確保するために,独禁法にふれない範囲内で,旧家畜市場法の考え方をとり入れて,必要最少限度の規制をし,また,地域家畜市場の再編整備を促進して,家畜(牛,馬,めん羊,山羊および豚)の流通の円滑をはかり,もって畜産の振興に寄与することを目的としたものである。売買方法をせり売りまたは入札と規制し,代金決済は市場開設者を経由して行なうこととし,取引改善と弱小市場の再編整備を行なうことを骨子としている。
 家畜市場における取引方法として「せり」によることが,公開の場で適正な価格形成上,ひいては畜産振興上きわめて重要であることは,すでに明治年代において,家畜市場法発布以前から認識され,政府によって指導もなされていた。家畜取引法においても,このことが1つの重要事項として取り上げられ,岡山県においては,この点について他県より強力に指導が行なわれた。しかし,産地市場における子牛の「せり」は従前から順調に実施されていたけれども,集散地市場における成牛とくに種牛については,子牛に比較して価格形成要素が複雑なため,「せり」取引きに移行することが技術的にもむづかしく,容易になじまないまま,いつのまにか後退したというにがい経験をへた。しかし,昭和46年(1971)からは,一般の集散地市場においても,電光掲示板を設けて全面的に「せり」に移行し,公正な価格形成により市場取引きの推進がなされている。「せり」の定着した1つの理由としては,肉牛として取引きするものがほとんどとなったため,種牛のような複雑な評価要素をもたなくなったことも挙げられよう。

   1 家畜市場の再編整備

 一定区域内における家畜の生産状況および取引状況からみて,家畜市場の数が過当である場合は,家畜市場取引きにおける適正な価格形成が阻害され,その結果,生産者である農業者に損失をもたらすおそれが生ずる。このようなおそれがあると認められるとき,市場開設者から知事への申請に基づいて,市場の再編整備が行なわれる。政令によれば市場の規模は市場開場日1日当たり250頭を最低基準としている。
 岡山県における産地家畜市場の再編整備は,昭和35年(1960)から徐々に着手され,昭和45年(1970)から現在の4市場(津山,新見,高梁および久世)に整備された。この間,県内における全入場頭数を市場開設日の合計で除した1日平均取引頭数が,政令に定める最低基準以上になったのは,昭和42年(1967)から後となっている(表2−6−14参照)

 産地家畜市場の再編整備の状況を図示すれば,図2−6−4のとおりである。昭和35年(1960)の28市場から,同45年(1970)に4市場に統合整備されているが,再編整備が本格化したのは昭和40年(1965)以後となっている。1日平均入場頭数は,市場の統合の進行につれて増大し,昭和47年(1973)に307頭とピークに達したが,その後は生産頭数の減少が影響して,昭和53年(1978)には265頭となった。

 一方,集散地家畜市場の方は,昭和46年(1971)まで7市場(津山,高梁,久世,和気,瀬戸,倉敷および岡山)で推移したが,同47年(1972)に岡山,倉敷両市場が廃止され,同51年(1976)に和気が廃場となり,それ以来現在のとおり,高梁,久世,津山および瀬戸の4市場となっている。

   2 家畜取引きの実態

 産地市場における和牛子牛の入場頭数は,肉用牛の減少傾向を反映して,昭和44年(1969)の23,600頭をピークとして,それ以後減少傾向を示し,昭和52年(1977)には辛うじて1万頭を維持している状態である。今,取引頭数,価格および県外移出の推移を示せば表2−6−14のとおりである。また,子牛せり市場価格の推移を図示すれば図2−6−2のとおりである。さらに,現在ある4つの産地家畜市場における取引状況の推移は表2−6−15から表2−6−18に示すとおりである。

 なお,子牛せり市場において,電光掲示板が設けられ,取引きの公正,迅速,正確を期することになった最初は,昭和44年(1969)の新見市場であった。また,集散地家畜市場においても,瀬戸市場のほかは,現在すべて電光掲示板を備え,取引き方法は全市場せりになり,市場取引きの近代化が進められている。
 和牛子牛のせり市場への出荷月齢は,和牛が役肉用牛であった昭和30年代までは,生後6ヵ月齢までのものが多く,牡の場合,早いものは3−4ヵ月齢のものもあって,出荷体重は,180キログラム程度のものが多かった。価格は,種牡牛候補となるような特別優秀な牡は別として,たえず牝の方が高値で,とくに,第二次世界大戦後,全国的に和牛の増加傾向の著しかった昭和20年代においては,牝の平均は牡のそれの3倍もしたときもあった。昭和30年代になると,農業機械の普及による和牛の役利用の後退により,飼養頭数の減少を招き,また,用途は専ら肉用となったため,肥育もと牛として発育のよい,大きい牛が要求されるようになったため,生産農家は,これに対応して出荷月齢を延ばし,濃厚飼料を多給し,時にはホルモン処理までするという悪習が生じ,少しでも大きくして市場へ出荷しようという傾向が顕著になった。この傾向は,昭和40年代になっても顕著であって,肥育もと牛としての能力を損じるところまで来て問題となっている。昭和52年(1977)9月の県内4産地市場における雌557頭,去勢663頭,計1,220頭の平均を見れば,出荷月齢の平均は,雌263日(8・8ヵ月),去勢254日(8・5ヵ月),平均257日(8・6ヵ月)であって,出荷体重は,雌221キログラム,去勢245キログラム,平均234キログラムであった。(表2−6−19参照)価格は,肥育もと牛として体重で評価するところが大きいので,将来種牛となるような優良牛は別として,雌265,000円(722,000−77,000円),去勢260,000円(339,000−61,000円),平均263,000円であった。
 集散地市場における取引状況の推移は,表2−6−20に示すように,県内全体としては,現在34,000頭ていどであって,これは,昭和40年代の20,000頭台からみれば,近年増加傾向にあるが,昭和30年ごろの50,000頭台からみると今昔の感にたえない。昭和35年(1960)以後の各市場ごとの取引状況の推移は表2−6−21から表2−6−28に示すとおりである。また,現在30,000頭以上の規模をもつ高梁市場について,古くからの市場成績を示せば表2−6−29のとおりであって,昭和7年(1932)以降,断続的に取引の明細を示すと表2−6−30から表2−6−33のようである。

 つぎに,県外移出入状況をみれば,表2−6−34および表2−6−35のとおりであって,和牛生産県としてたえず移入より移出が多い。
 なお移出先別の推移を見れば,香川,広島,兵庫,徳島などの隣接県への移出頭数がつねに多く,また,茨城,栃木,群馬,福島など関東,東北および最近は北海道へも多く移出されている。主産地の九州への移出は極めて少ない。

   3 肉用子牛価格安定事業

 肉用子牛価格の不安定は,肉用牛の生産増強および飼養規模拡大の阻害要因となるので,農業協同組合および連合会に委託して販売する肉用子牛の価格が低落した場合,生産者補給金を交付する等により,肉用子牛の生産と価格との安定を図ることにより,肉用子牛生産経営の健全な発展に資することを目的として,肉用牛子牛価格安定事業が,昭和44年(1969)度から始められた。事業の実施主体は,同年3月7日設立された社団法人岡山県肉用子牛価格安定基金協会(45年4月1日,社団法人岡山県肉用牛価格安定基金協会と名称を変更)であって,その構成は,県内の農業協同組合および同連合会,岡山県畜産公社,岡山県および畜産振興事業団となっている。
 事業の概略は,次のとおりとなっている。まづ,肉専用(和牛)子牛については,県経済連が農業協同組合を通じて子牛生産農家と結ぶ契約に基づいて,生産者積立金を徴収(別に国および県からの補助金により資金を造成)し,協会が定める保証基準価格を,3ヵ月ごとに算定する標準取引価格が下回った場合に,その差額の10分の9(昭和52年度までは10分の8)に相当する額を,その期間に販売された子牛(対象子牛)に対して一律に交付するというものである。つぎに,乳用雄子牛については,標準取引価格の算出と決定は,農林水産省畜産局が,全国一律にこれを行なうほかは,肉専用子牛と同じ仕組みである。事業を開始した昭和44年(1969)から現在までの,補給金の交付実績は,表2−6−36のとおりである。

 なお,肉用子牛の価格が,大幅かつ長期にわたって低落し,肉用子牛価格安定事業の交付準備金が不足し,生産者補給金の額を削減しなければならないような場合,あらかじめ準備した生産者等削減補てん金および特別補てん金(畜産振興事業団補助金によるもの)を,基金全国協会に申請して交付する「肉用子牛生産者補給金補てん金交付事業(いわゆる足切り防止事業)」をあわせ実施している。