既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第6節 和牛(肉用牛)の流通

3.牛肉の流通

(2) 大正年代から昭和前期までの牛肉の流通

   1 消費量の増大と市況の高騰

 日露戦争後の消費の落ちこみも,大正3年(1914)第一次世界大戦への参戦とその後の好況により,2倍以上の伸びを示した。その後,一時消費の減退はあったものの,大勢として,昭和15年(1940)の価格統制が行なわれるまで年々増大した。当時の牛肉の流通事情から考えあわせると,付表3−2に示す枝肉生産量の推移が,おおよそそのまま消費需要の推移につながっていたとみてつかろう。
 表5−6−42および表5−6−43は,昭和5年(1930)における屠場別の郡市別食肉仕向け量および隣県への移出入を示したものである。

 なお,表5−6−44により,この時代の枝肉卸売価格の推移が分かり,過去において戦争などによる景気変動を反映して価格に変動はあるものの,大勢として値上りを続けた模様がうかがわれる。

   2 朝鮮牛の移入と青島肉の輸入

 日露戦争のあと,内地の牛不足が深刻になり,明治末期には朝鮮牛が移入され,全国的に見て全頭数の1割ぐらいをこれで占めるようになった。大正年代になると,その移入は一段と増加し,年平均45,000頭ほどとなり,さらに同7年(1918)ごろからは年々5−6万頭の移入となった。
 朝鮮牛の屠殺は,年々7万頭以上に達し,全屠殺頭数の2割強を占めるようになり,牛肉供給面でも朝鮮牛の役割りは大きかった。
 岡山県においても盛んに朝鮮牛が移入された。これは肉用としてよりも,むしろ役用としての能力が高く,しかも価格が内地の牛にくらべて格段に安いことが,農家の人気を呼んだのであった。
 第一次世界大戦を背景として,大正4年(1915)に,はじめて青島牛および牛肉が輸入された。数量は,生牛923頭および牛肉(頭数換算)130頭で,当時逼迫気味の牛肉の需給緩和と,肉価の値上り抑制のため,試験的に輸入されたものであった。当時の冷蔵技術から,春から秋までは生牛で輸入し,牛肉は晩秋から早春まで輸入された。値段が安かったので,当時の東京府などで冬期は消費量の約半分を青島肉で占めるほどだったという。大正9年(1920)の東京市内における牛肉の小売価格は,内地産ヒレ100匁当たり2円に対し,青島肉は1円40銭,同じようにして,ロースは1円80銭に対し1円20銭,1等肉は1円40銭に対し1円,2等肉は1円30銭に対し90銭という具合であった。
 青島牛肉の輸入は,大正8年(1919)以降かなり急速に伸びたが,日華事変の情勢悪化により激減した。
 「日本畜牛雑誌,第36号」(明治40年10月)によれば,当時牛肉は空前の価格暴騰であったので,米豪の冷蔵肉を輸入しようとして,電報注文した者によれば,関税一切の諸掛りを加えても,国内の肉相場に十分競争できるということであった。
 牛肉の自給率は,大正元年(1912)から5年(1916)までは100%自給であったが,6年(1917)から10年(1921)には自給率は87%に,さらに大正11年(1922)から昭和2年(1926)には76%に低下した。(農林省畜産局(昭和41年)『畜産発達史』)
 牛肉の輸入は,大正3−5年(1914−16)は,年平均8トンとごくわずかであったが,同6年(1917)からは輸入へ依存するようになり,昭和6年(1931)になると,自給率は70.5%で,2万トン近い牛肉の輸入をみるようになった(国内生産量51,400トン,消費量71,300トン)。
 このような需給事情の中で,輸入牛肉の大宗は青島肉と朝鮮牛であって,この両者で輸入肉のほぼ7−8割を占めていた。

   3 第二次世界大戦中の牛肉の需給

 昭和12年(1937),日華事変が勃発すると,青島肉の輸入が急減した。一方,軍需の増大によって牛肉の需給事情は苦しいものになった。
 岡山県における年間枝肉生産量をみると,昭和15年(1940)までは1,000トン台を維持していたが,その後,飼料事情の悪化などにより急激に減少し,終戦時には555トンと最低を記録している。
 日華事変が長期化の様相を呈する中で,昭和14年(1939)9月,価格等統制令が公布され,すべての物価は同年9月18日で釘づけされた。これが「九・一八価格の停止令」であるが,その後も物価は上昇を続ける中でいわゆる「ヤミ価格」が出現した。
 昭和15年(1940)8月6日,農林省と商工省は共同で告示第38号をもって,価格等統制令第7条の規程により肉類(牛,豚および鶏肉)の販売価格を指定した。
 さらに,昭和16年(1941)9月20日,農林省告示第76号をもって,生活必需物資統制令に基づき「食肉配給統制規則」を制定し,同年10月20日から実施した。これと同時に農林省は,告示第782号をもって価格等統制令第7条の規定に基づき,前年8月の告示第38号を廃止し,新しく「肉類の最高販売価格」を指定した。

    農林省告示第782号
    価格等統制令第7条ノ規定ニ依リ肉類ノ最高販売価格左ノ通リ指定ス
       (中 略)
    昭和16年10月20日
                         農林大臣 井野碩哉
    第1 獣肉類
   1 牛肉
    イ 甲地方ニ於ケル最高販売価格(略)
    ロ 乙地方ニ於ケル最高販売価格
    (1) 枝肉(10貫当)
     等級 日本食肉統制株式会社 地方畜肉配給機関又ハ    小売業者
        最高販売価格     卸売業者最高販売価格    最高販売価格
           円          円         円
     1等  79.00         80.70        84.00
     2等  69.00         70.70        74.00
     3等  57.00         58.70        62.00
     4等  42.00         43.70        47.00
    (2) 正肉(100匁当)
     等級    小売業者最高
           販売価格
            円
     1等    150
     2等    120
     3等    90
     4等    70
      (筆者注 昭和16年の岡山県における米価は石当たり44円)
     (2,豚肉 3,馬肉 4,緬羊肉 5,山羊肉ハ省略)
   6 甲地方トハ東京府,神奈川県及大阪府並ニ名古屋市,京都市,神戸市,福岡市其ノ他農林大臣ノ承認ヲ得テ地方長官ノ指定シタル地域ヲ謂ヒ乙地方トハ其ノ他ノ地域ヲ謂フ
     (以下省略)

 食肉の国家的統制機関として,日本食肉統制株式会社が昭和16年(1941)10月20日発足し,各県段階には食肉統制会社が設立されて,肉類の配給制度がとられ,この状態が終戦まで続いた。しかし,物資不足は深刻で,食肉についても配給機能を果たすことは困難となってしまった。当時の配給制度の中で,「星,錨,顔,闇」という暗い世相が思い出される。「星」は陸軍,「錨」は海軍をさす。「顔」の説明の要はなかろう。「闇」はもちろん闇価格のことで,軍人や特権階級か,さもなくば法外な闇値によらなければ統制物資を入手することはむづかしい世相であった。