既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第7節 和牛関係団体の推移

1.産牛馬組合から畜産組合まで

政府は,畜産団体を育成強化することにより,畜産の改良発達を推進しようとして,明治33年(1900)2月,産牛馬組合法(法律20号)を公布7月1日施行した。これにより,産牛馬組合は,地方末端における牛馬生産の中核となり,牛馬の改良増殖に大いに寄与するようになった。この法律により,岡山県では,明治39年(1906)7月,最初に設置された真庭郡産牛馬組合を初め,42年(1909)2月設置された吉備郡産牛組合まで,14郡市に産牛馬組合または産牛組合が設置された。県はこれらを補助育成することにより,畜産の改良発達を図るという方策をとった。組合の任務は,種牛馬の飼養,種付け,種牡牛馬検査,産犢駒せり市場の開設,品評会共進会の開催,講習講話会の開催などであって,牛馬生産者の強制加入制であった。
 大正4年(1915)4月,畜産組合法(法律第1号)が公布され,8月1日施行された。この法律は,さきの産牛馬組合法に比べて次の点がかわっていた。対象家畜は,牛馬から牛馬羊豚に拡大され(第1条),組合員の資格も拡大され,地方長官の認可を受ければ,必要な営利事業を行なえることなどであった(第4条)。また,組合長および副組合長の選出にあたり,特別の事情があれば非組合員から選出できる(第25条)ということで,当時は郡長が組合長を兼ねるものが多かったようである。
 さて,畜産組合法施行に当たり,それまで設立されていた産牛馬組合またはその連合会は,この法律により設置されたものとみなされるという付則の適用により,既設の産牛馬組合または産牛組合は,そのまま畜産組合と名称を変え,また,それまでに組合を設立していなかった上房郡ほか4郡市も,昭和5年(1930)1月設立の浅口郡畜産組合を最後として,それぞれ組合が設立され,同年までに県下19郡市すべてに出そろった。異色なのは,岡山搾乳畜産組合(大正5年設立)と岡山市畜産組合(昭和4年設立,事務所岡山市役所内)であるが,後者は,岡山常設家畜市場の経営(家畜市場法では市町村または畜産組合法による畜産団体が市場経営するよう強力に指導していた)を目的とするものであった。なお,中央段階で中央畜産会(旧中畜)が設立されたのは大正4年(1915)であったが,県段階に畜産組合連合会(畜連)が設立されたのは,大正7年(1918)であった。
 岡山県(昭和13年)の『岡山県郡治史』(下巻)によれば,各郡市組合別に,家畜市場の開設,種牝牡牛馬奨励,産犢駒奨励,販路拡張,保健衛生施設々置等の事業実施状況,毎年度の予算額等が掲載されている。県から畜産組合,同連合会に対して下付した補助金は,「畜産奨励規程」(大正11年,県令第68号)により,@指定した事業費,A家畜市場の建設費,B技術員設置費となっていた。
 大正15年(1926)6月設置された都窪郡倉敷市畜産組合の設立に至るまでの難産だった模様について,「明治41年(1908)搾乳業者の間で畜牛の改良発達を図る目的で産牛組合設置の議が起こり,倉敷町(現倉敷市)木村和吉らの主唱で設立の衝に当たり,翌42年(1909)郡費80円,43年(1910)郡農会100円の産牛組合設置奨励費を計上し,極力組合設置を促したが,機熟せず,10余年を経過した。大正12年(1923)11月,都窪郡牛馬商組合総会において,畜産組合の設置を決議するに至り,組合設置の機運再燃し,各町村並びに各町村農会長を経て,同意書の取りまとめにかかった。しかし,数カ町村の同意を見ただけで,また中絶の姿となった。越えて大正14年(1925)10月,都窪,吉備2郡連合家畜市場設置の議が起こるに及び,組合設置の必要性がますます大きくなり,大正15年(1926)1月12日開催の町村長会に,高見郡長から「都窪郡畜産組合設置の可否並びに家畜市場設置の件」を附議したところ,郡長一任に決し,(中略)5月16日づけ知事に対して認可申請書を提出し,ここに幾度か頓挫した本組合は6月5日に成立した。」と岡山県(昭和13年)の『岡山県郡治史』(下巻)に掲げられている。
 大正7年(1918)1月設立された岡山県畜産組合連合会(県畜連)は,事務所を県庁内に設け,専任技術員を置き,県畜産奨励の別動団体として活躍し,既設畜産組合の振興と,未設置郡に対する組合設立を勧奨した。その結果,昭和5年(1930)浅口郡の設立を最終として,全県下に組合の設立を完了し,各郡とも内容充実し,業績大いに挙がり,漸次興隆して行った。この会の会費は,補助金,会費,競馬収入,斡旋手数料等で,おもな事業は次のようであった。@販路拡張に関する施設,A畜産共進会並びに競技会の開催,B備作種牛登録事業,C畜産物販売斡旋,D畜産物の消費宣伝事業,E有畜農業奨励,F馬産奨励施設,G競馬会の開催,H畜産時報の発刊などであった。
 県畜連は,各郡畜連を指導して,家畜共進会の開催,家畜市場の経営その他家畜取引きの改善,競馬の開催,講習講話会の開催等に努めた。その活動状況をうかがわせるものの一端を挙げれば,昭和9年(1934)6月,中国6県畜連会議を広島市において開催し,同月第2回会議を開いているが,議題が何であったかはつまびらかにできない。昭和11年(1936)11月,第15回全国畜産大会を岡山市で開催し,畜産組合法の改正問題を論議している。また,同年10月,中国の和牛を語る会を岡山市で開催している。昭和3年(1938)5月5日,岡山県畜連会長が代表者となって,中国6県畜連役職員会議を開催し,そのあと,岡山県知事から農林省に対し「乳肉行政を農林省へ移管方を請願」している。