既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第7節 和牛関係団体の推移

2.県農業会から県経済連へ

  (1) 農業協同組合法公布以前

 第二次世界大戦中および戦後における中央団体の変遷は次のようであった。すなわち,昭和16年(1941)8月,中央畜産会が解散して,帝国畜産会が設立され,ついで,18年(1943)3月には,農業団体法が公布されたので,中央農業会に統合されて終戦を迎えた。20年(1945)9月,戦時農業団解散により,全国農業会令による全国農業会となっている。

  (2) 農業協同組合法公布以後

 県段階においては,昭和18年(1943)12月18日に岡山県農業会が設立され,これに県畜連は,農会,産業組合,養蚕業組合,茶業組合とともに統合された。戦後21年(1946),県農業会に畜産部が設けられた。22年(1947)11月19日,農業協同組合法(農協法)(法律第132号)が公布され,同年12月15日施行されたので,これにより翌23年(1948)8月14日全国農業会は解散し,同年中に和牛関係業務を行なう団体として,全国購買農業協同組合連合会(全購連),全国販売農業協同組合連合会(全販連),全国畜産農業協同組合連合会(全畜連)および全国開拓農業協同組合連合会(全開連)が設立された。全購連と全販連は,昭和47年(1972)合併して,全国農業協同組合連合会(全農)となって現在に至っている。岡山県農業会は,昭和22年(1947)農協法の公布により,23年(1948)7月30日に解散となっている。これら農業畜産団体の変遷は,郡や市町村段階においても,大体県に準じている。
 農協法の公布に先だち,23年(1948)10月,津山市における第2回県畜産共進会における畜産大会に当たり,県農業会畜産部が主唱して「県農業会解散に伴い,畜産単独農協を結成すること」を決議している。11月になると,県下畜産関係有志により「畜産農協設立協議会」が結成され,「町村段階で畜産単位農協を,郡市段階で郡畜産農業協同組合連合会(郡畜連)を,県段階に県畜産農業協同組合連合会(県畜連)を」の方針が決定された。翌23年(1948)3月には,各郡畜連が設立され,おもな事業を家畜市場の経営におき,その他中家畜の生産指導,生産した家畜および畜産物の販売斡旋などを行なうようになった。当時畜産専門農協を設立して畜産の伸展を期しようとする畜産関係者と,総合農協を主張する一般農業関係者との間で,「総合か畜産単独か」をめぐって論争されたのは,独り岡山県においてだけではなかった。
 県段階に岡山県畜産販売農業協同組合連合会が設けられたのは,昭和23年(1948)8月であって,事務所を岡山市桑田町に置いていた。これは,29年(1954)に岡山県畜産農業協同組合連合会(県畜連)と名称を変更した。このとき郡段階では19郡市すべてに郡畜連が設立されていた。昭和30年度版の山陽新聞社の『山陽年鑑』によれば表5−7−3のとおりであった。

 農業協同組合合併促進法が公布された昭和36年(1961),畜連の機能強化をねらいとする県の指導により,同年7月1日になって県畜連は,単協をもって組織する岡山県総合畜産農業協同組合連合会(県総合畜連)となり,同時に郡畜連は解散し,郡市単位に県総合畜連の支所が置かれるようになった。ただし,阿哲郡畜連だけは,この時解散しないで,昭和47年(1972)になって,阿哲郡新見市を区域とする阿新農協が設立されるまで存続している。
 県総合畜連は,40年(1965)4月1日,県園芸農業協同組合連合会とともに,県経済農業協同組合連合会(県経済連)に合併され,畜産関係業務は,畜産部において担当されるようになって現在に至っている。
 県経済連の畜産部門は,その後,組織機構を改正し,昭和52年(1977)7月1日現在,次のようになっている。
 県経済連は,県総合畜連の実施していた「子牛規格向上運動」を引き継いで,岡山県畜牛(肉用牛)の銘柄確立に努めたのを初め,昭和40年(1965)4月1日,「肉用素畜預託事業実施要綱」(47年4月1日最終改訂)を,翌42年(1967)4月1日には「畜産団地造成措置要領」を,さらに,同年12月には「畜産事業体制づくり3ヵ年運動要綱」を決定し,45年(1970)3月までを5期に分け,飼料,家畜防疫などを含めて,各家畜ごとに主として畜産団地の造成を推進する計画を樹立した。
 このように,和牛を主とする肉畜関係の事業推進に意欲的に対応しているが,中でも「肉用素畜預託事業」は,実施要綱制定前すでに昭和39年(1964)から実施され,昭和53年(1978)までの15年間に,肉牛89,640頭(最高は47年の8,236頭)を預託し,金額は143億3,382万円(最高は53年の15億8,528万円,1頭当たり平均24万円)に達している。素畜導入資金の半額は県経済連が出し,残りを単協資金に依存している。事業開始当初2年間は1頭当たり3,000円程度の補助金(国と県が2分の1ずつ)が県から支出されていた。
 この事業の主旨は,「本事業を基軸として,肉畜の生産から販売にいたる一貫体制を確立し,生産子畜の価格安定,県営食肉市場の活用による流通改善,枝肉の県外出荷等肉畜振興を促進するため,岡山県肉用素畜導入事業実施要綱にもとづき,岡山県経済連の行なう家畜の預託については,この要綱の定めるところによる。」(岡山県経済連肉用素畜預託事業実施要綱 第1条)というものである。
 なお,昭和49年度における肉用牛関係の県経済連の取扱いシェアーは,子牛の91%,肉牛70%となっている。
 昭和43年(1968)6月,全国肉用牛協会の設立に当たり,社団法人岡山県肉用牛協会(会長三宅忠雄)がその構成員として設立され,肉用牛振興のため努力している。肉用牛価格の安定を図ることにより,子牛生産経営の健全な発展を期するため,肉用牛価格安定基金協会が,設けられているが,これについては,第6節の和牛(肉用牛)の流通のところで述べたとおりである。