既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第3章 養豚の進展

第1節 養豚事業の変遷

3.屠殺頭数と豚肉生産量の推移

(1)枝肉の出荷

 明治・大正および昭和初期にかけての枝肉の生産量は,表3−1−11のとおりである。

 明治時代では,明治44年(1911)が屠殺頭数222頭で最も多く,その後大正の初期にかけて極端に少なくなってきたが,大正年代の後半には約500〜800頭が屠殺されていた。
 昭和初期においては,年々284〜854頭が屠殺されていた。
 戦後から昭和39年(1964)までの枝肉の生産量は表3−1−12のとおりである。すなわち昭和25年(1950)を100とする昭和39年(1964)は実に573パーセントという驚異的な伸びを示している。

 豚の枝肉生産量は,昭和28年(1953)まで急激に増加して,翌29年(1954)に大きく落ち込み,その後再び増加した。各種枝肉の総生産量は,前年対比平均8パーセントの伸びを示した。その中で,とくに豚肉の需要の伸びが大きく,枝肉総生産量に対する割合は,昭和25年(1950)の13.4パーセントから漸次高まり,昭和50年(175)には36.6パーセントとなり,全国平均の48.6パーセントには及ばないものの次第に近づいた。

 昭和40年(1965)以降の肉豚の出荷頭数は表3−1−5のとおりである。昭和43年(1968),同44年(1969)の両年の出荷頭数がやや減少しているが,これは子豚の生産が停滞したため出荷頭数が減ったためである。その後子豚の価格が上向くにつれて肉豚の出荷頭数も増加した。このころ肉豚の出荷頭数の増加傾向は地域によってかなり格差がみられた。北海道,東北,中国,四国,九州では30パーセント近い伸び率であったが,従来の主産地であった関東,東海,東山の伸びは10パーセント台にとどまった。このように肉豚産地は消費地からしだいに遠隔地に比重が移り始め,現在では北海道,九州が関東をしのぐ勢となった。またもう一つの特徴として西日本の増頭が目立ってきた。本県の肉豚の出荷頭数は全国的にみると35位にあるが,昭和40年代の増加は著しいものがある。昭和46年(1971)には肉豚生産頭数は13万頭を突破した。このように生産頭数の増大は,肉豚飼養農家の経営規模の拡大と経営の近代化に負うところが大きい。肉豚生産においては,大規模生産の有利性が強く,その上昭和36年(1961)に畜産振興事業団の設立もあって,価格安定措置が講ぜられたため,規模拡大の大きな支えとなったのも事実である。経営規模の拡大と量産は,生産者の出荷体制の確立に役立ち,大消費地の販路開発が容易となった。昭和40年(1965)には県内と畜場取扱比率は57.5パーセントであったが,昭和53年(1978)には31.3パーセントと県外移出の方が多くなった。(表3−1−15参照)県外出荷の主体は大阪,神戸を中心とする阪神地方である。また少数は東京,名古屋に向けて出荷されている。このように県内の肉豚のと殺が漸減したが,豚肉の消費は全国的にも増加し,本県でも増加した。従って,豚肉の消費は県外依存度を高める結果となった。県外から豚肉を移入する業者はスーパー店である。これらはすべて県外の系列店から荷引きをしている。このように豚肉は販売においてもインテグレーションを確立しその流通を複雑にしてきた。本県では生産面においては,商系の大きな養豚場は現在のところない。
 昭和46年(1971)10月1日,豚肉の輸入は自由化され現在に至っている。

(2)肉加工

 昭和24年(1949)に吉備郡池田村(現総社市)に,資本金300円で岡山ハム株式会社(社長小川啓治郎)が設立され,豚肉加工をはじめた。
 昭和前期までの肉加工品についての統計は,岡山県の『岡山県統計書』(各年)に表3−1−13のとおりであるが,その後の統計は見当たらない。そして,前記岡山ハムが設立されたあとの事業についてもつまびらかにできない。

(3)流通機構

 肉豚の生産は最近大きく伸びてきているが,系統団体がかなり積極的に出荷指導を行っているところもあり,肉豚出荷の系統利用率は高く,県経済連等を通じての出荷がかなり急速に増え,昭和50年(1975)の岡山県営食肉地方卸売市場における実績では21%となっている。
 昭和42年(1967)からの県営食肉市場における豚枝肉の規格格付状況は表3−1−14のようである。「極上」は昭和46年(1971)の規格改正後現れた。これによれば「上」以上の比率が遂年低下している。現場の格付職員の言によれば,岡山市場の特殊傾向として,出荷時の豚が大型に過ぎることと,都市近郊の残飯養豚による「水豚」の多い傾向が,格下げの原因ということである。 

(4)畜産振興事業団による豚枝肉の買上げ

 畜産物の価格安定等に関する法律(昭和36年,法律183号)で定めた「安定基準価格」を保持するために,畜産振興事業団は昭和41年(1966)4月1日から豚枝肉の買上げを始めたが,このとき岡山県営食肉市場が指定市場となった。