既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第3章 養豚の進展

第2節 養豚指導奨励事業

2.昭和年代の指導奨励事業

(2)清浄豚の作出と普及

 清浄豚についての確定的な定義はないが,岡山県清浄豚普及推進要綱では,「豚流行性肺炎(SEP),豚萎縮性鼻炎(AR),トキソプラズマ病,豚赤痢,等の特定の真性伝染病疾病を保有しない豚を清浄豚と称する」ことに申し合せた。
 昭和40年代に入り,養豚経営は飼養規模が拡大し,飼養密度が高まるにつれて疾病が多発するようになった。特に伝染病,伝染性病の発生は経営圧迫の一大要因となった。豚流行性肺炎,豚萎縮性鼻炎の蔓延は著しく,ほとんどの養豚場が汚染され,生産性の低下,斃死,廃用の被害をうけ,その対策については昭和昭和53年(1978)現在もなおきめ手がない。
 岡山県酪農試験場養豚部は,昭和41年に場内に豚萎縮性鼻炎(AR)が発生したので,これの防止と併せて特定疾病の清浄化を計画し,所謂「岡山方式」と称する「自然分娩による清浄豚作出現地実証試験」に取り組んだ。
 当時,農林省家畜衛生試験場を中心とするSPF(Specific Pathogen, Free.)豚実用化グループがあった。埼玉,栃木,千葉の各県にSPF豚農場があって,ランドレース種,大ヨークシャー種,ハンプシャー種の3品種のSPF豚を作出していた。このグループのSPF豚と称するものは,特定疾病を保有しない豚ということであるが,これを作出するために,無菌室内で,分娩の近づいた母豚を帝王切開し,子宮切断,又は切開によって子豚を取り出すもので,近代的な施設を要することと,その後の母豚が繁殖に供用できない欠点をもっていた。
 これに対して岡山方式は,分娩直前に母体および産道を消毒することと,取り出した子豚を消毒するといった簡単な手技で目的を節制し得る特長をもっていた。その後,岡山県酪農試験場は,これらのグループと連携をとりながら,清浄豚の実用化技術の体系化試験に取り組み,昭和46年(1971)に一応の確信を得たので,昭和47年(1972)7月4日,岡山県清浄豚振興対策協議会を結成した。初代会長に岡山県経済農業協同組合連合会会長 今宮光慶が就任した。

  岡山県清浄豚普及推進協議会規約

 第1条 この会は,岡山県における清浄豚の生産・増殖・流通体系の確立と統一的計画的普及活動の促進を図り,もって養豚農家の経営安定に寄与することを目的とする。
 第2条 この会は「岡山県清浄豚普及推進協議会」といい,事務局を岡山県経済連内に置く。
 第3条 この会は,岡山県,岡山県経済農業協同組合連合会,岡山県農業協同組合中央会,岡山県畜産会,岡山県家畜畜産物衛生指導協会等を構成員として組織する。 
 第4条 この会は,第1条の目的を達成するため,次の事業を行なう。
  1 清浄豚の普及に関する基本的事項の決定
  2 清浄豚の生産,増殖,流通体系の確立と組織化に関する計画策定
  3 清浄豚による養豚経営,技術等の改善・啓蒙に関する事業
  4 清浄原種豚場の認定に関する事業
  5 その他目的達成に必要な事業
 第5条以下(略)

 この協議会は,「岡山県清浄豚普及推進要綱」を定めて清浄豚の普及推進を図った。
 また清浄豚の特定疾病の有無を検査し,つねに清浄な環境で飼育されているかどうかを判定するために,「岡山県清浄豚病性鑑定実施要領」を作成し,また「清浄豚の飼養管理指導標」,「消毒要領」などを明示した。
 清浄豚は,健康であって事故の発生が少ないのみならず,飼料要求率が2.6〜3.0と一般豚の3.9〜4.0(昭和47)に比べ極めて飼料効率の高いものである。90キロ到達日数は,一般豚で180日以上であったが,清浄豚は150日前後という好成績であった。肥育期間が短縮され,ヒネ豚が出ないこと,経営資材費が少なくてすむこと,資金,豚舎の回転率が早いこと,金利,償却費も少ないこと等,経営上多くの長所があった。しかし豚舎を隔離し,作業者が薬浴を要する時,管理規制が厳重なため不便であること,清浄豚が閉鎖群で改良がむづかしいこと,等がこの事業の普及を阻害している。
 昭和49年(1974)には,岡山県酪農試験場の外,県経済連種豚増殖センター,津山企業養豚センター,クレナイ牧場,阿部牧場,奈義農業協同組合,高橋牧場,古林牧場,浦上牧場等に約700頭が飼育されていた。