既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第3章 養豚の進展

第3節 養豚経営の発達

3.多頭化時代における養豚経営

 1 湯野養豚団地

 川上郡備中町湯野地区に,初めて豚が導入されたのは,昭和35年(1960)である。導入のねらいは,当地の広大な山林原野に放牧養豚を行い,繁殖と肥育の一貫経営を普及させることであった。最初10農家が始めた。その後昭和40年(1965)に種豚の育成施設設置事業により,種豚舎,分娩豚舎を整備し,繁殖素豚の供給を開始した。この事業の実施により地区内の豚の品種が統一され,肉質が改善され,大阪市場において「湯野豚」の評価を高めた。
 昭和49年(1974)には,肉豚施設設置事業により,集団豚舎を建設した。これを契機に,従来から続けられていた個別一貫経営は,地域内一貫経営となり,経営は拡大された生産性の高いものとなった。また,この時点で,養豚団地のシステム化の原型ができ上がった。その後,繁殖農家の経営安定と規模拡大のため,養豚団地パイロット事業により,共同家畜管理施設が整備され,繁殖事業経営が確立された。
 この団地を構成する組織は,種豚場,湯野農業協同組合養豚部と湯野肉豚生産組合である。この組合は,農協・養豚組合・繁殖農家代表および肉豚農家代表で構成され,経営内容は組合員に開放されている。換言すれば繁殖農家が共同で肥育経営を行っているわけである。
 地域内の養豚農家の割合ばまだ少ない。養豚農家は糞尿処理対策の改善に努力しており,とまと園芸農家などの土づくり運動に有機的連携を保っている。現在では大規模な糞尿醗酵処理施設を計画していて,畑作経営との地域複合経営の確立を企図している。

 2 美星町養豚団地

 小田郡美星町農業協同組合が中心になり,町内で繁殖・肥育の地域一貫経営を行い,県内で最も大きな養豚団地を形成している。昭和53年(1978)現在,繁殖豚約1,300頭,肉豚約7,500頭で,子豚及び肉豚の販売額は年間9億2,000万円にも上っている。この美星町養豚団地の特徴は,美星町農協が中心となり,養豚事業を指導奨励するとともに,個々の農家の繁殖部門を担当させ,肥育部門を農協が分担している点である。肉豚は大阪市場に出荷しているが,その利益は繁殖豚農家にも還元しており,すべての養豚農家が安定した経営ができるよう,つねに配慮して指導していることである。当地の養豚団地形成の沿革をたどると次のとおりである。
 昭和38年(1963)に養豚団地造成の計画がたてられ,県の指定種豚場の指定をうけ,12月に岡山県酪農試験場からランドレース種雄2頭,雌4頭を導入した。翌39年(1964)に黒忠字大原地区に,工費250万円で約100頭収容の豚舎を建設,翌40年(1965)には種豚舎を建設した。又41年(1966)には岡山県酪農試験場に講習生として2名を派遣し,指導員を養成するとともに原種豚28頭を導入した。
 昭和42年(1967)に農協は,畜産団地事業実施要綱,畜産事業取扱規程を策定し,養豚農家設定基準及び飼養基準を定め,養豚を奨励したため,肉豚農家4戸,繁殖豚農家8戸が生れた。昭和45年(1970)には鎌の畦に1,150頭収容のケージ養豚集団肉豚場を建設した。また46年(1971)および48年(1973)にもそれぞれ約1,000頭収容の同様豚舎を建設し,美星町農協養豚株式会社を設立した。
 現在では町内で生産された豚をこの会社に集め肥育して,年間1万5,000頭以上の肉豚を出荷している。