既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第4章 養鶏の発達

第3節 鶏の改良

3.孵卵事業の発達

(2)孵卵業の勃興 

 大正末期から目覚ましい進展を遂げた採卵養鶏は,政府の増産奨励によってさらに躍進し,新たに養鶏を開始する者および規模を拡大する者が著しく増加した。したがって,初生雛の需要もまた激増し,品不足に苦しむほどの盛況であった。この好況は孵卵業者の続出を促し,岡村猛(岡山市湊),大田元(邑久郡今城村・現邑久町)らが山本又一から技術指導を受けて大正12年(1923)に孵卵場を開業した。昭和5年(1930)には初岡太郎(真庭郡久世町)が県北で最初の孵卵業を開業している。
 昭和8年(1933)8月には愛知県で全国孵卵業者大会が開催され,孵卵業者の統制,初生雛の鉄道運賃低減,初生雛の価格統制,雌雄鑑別料統制等について協議した。昭和9年(1934)の県内孵卵場は表4−3−14のとおりであるが,この他に山上茂吉(岡山市福田・現福富西),後月郡内の森近大三,笠原孵卵場,細羽某および前述の土肥貞太郎(井原市高屋)らが加わって,当時の県内孵卵場は30戸あったことになる。

図4-3-4 孵卵室
昭和16年ごろの福田式ハッチャー(雛の発生室)15,000卵 (福田種鶏場提供)