既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第4章 養鶏の発達

第3節 鶏の改良

3.孵卵事業の発達

(3)初生雛の配給統制

 本県が初生雛の配給統制を実施したのは,昭和14年(1936)秋からである。統制実施に先だち,県内孵卵業者全員参加による岡山県孵卵協会を設立し,ついで,本県の指定移出県当局と事前に話し合って諒解を得るなどと,配給統制の実施はきわめて至難の状態にあったようだ。それは,県内の養鶏団体が整備されていなかったこと,移出先各県の統制歩調が一致していなかったことなどのためで,特に愛知県においては反対意見が相当強かった。本県では,単に数的な統制のみでなく,むしろ,初生雛の資質の改良統一のために不可欠の問題であるとして計画されたのであるから,多少の困難はあっても,これを遂行する決意と確信をもっていた。
 昭和15年(1940)春には,卵価の大幅引上げの発表があって育雛熱をあおり,ついには予定育雛羽数をはるかに超過する事態を生じ,統制されていた飼料の需給関係を破壊するような情勢となったので,孵卵協会は,会員に対して,養鶏界にとっては前代未聞の入卵禁止命令を発して,4月1日以降の入卵を中止させ,雛の配給を抑制した。この時の統制実施の概要は次のとおりであった。

 申込資格 原則として市町村養鶏組合のみとし,個人の直接申込みは受付けない。
 申込方法 県養鶏連へ申し込む以外には直接孵卵業者に申し込むことができない。
 配給割当 あらかじめ孵卵業者が提出した孵卵計画書に基づき,できるだけ申込者の希望をいれて配付割当てを決定し,申込組合と孵卵業者に通知する。
 ヒナの受渡 申込組合と孵卵場間において直接受渡しする。
 その他に配付申込期限,雛配付済報告書の提出,保証金および,雛代金の決済法などが決められていた。

 配給統制実績

 昭和15年(1940)春雛の配給実績は表4−3−15のとおりであった。配給統制は,昭和20年(1945)の終戦と同時に自然消滅した。