既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第4章 養鶏の発達

第3節 鶏の改良

3.孵卵事業の発達

(4)孵化成績

 孵化成績の向上と雛の需要増に対処するため,孵卵器の改良はつぎつぎと進められた。前述した明治9年(1876)の人工孵化成績では,孵化率22.5パーセントに過ぎなかったが,その後県種畜場は,次の孵化成績を報告した。大正13年(1924)にアメリカから温気方式のサファー式孵卵器,244卵入りと144卵入りを購入,同年2月に第1回のに入卵を行なった結果,対受精卵孵化率は大型器69.1パーセント,小型器41.0パーセントであった。また,昭和8年(1933)ごろから県内に普及しはじめた電気式立体孵卵器についての昭和14年(1939)の成績によれば,発育中止卵と死ごもり卵が減り,対受精卵孵化率は81.6パーセントということであった。
 このような孵化成績の向上は,種鶏飼養技術の進歩と,孵卵器の改良がもたらした大きな成果ということができる。