既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第4章 養鶏の発達

第3節 鶏の改良

3.孵卵事業の発達

(8)外国雛の販売

 岡山市上伊福(現岡山市京山)の池田牧場は昭和36年(1961)にアメリカから卵用種鶏を輸入し,その種鶏から生産された雛,エームスインクロスの販売広告を,全国に先がけて,昭和37年(1962)2月号『鶏の研究』誌に載せた。以前にも各地の種鶏家が,外国の種鶏を導入して,卵用種の改良や,ブロイラー用雛の生産に供したことはあったが,池田牧場の導入した種鶏はすでに交配様式がきめられており,この種鶏から生産された雛は,近交四原交配種の卵用種,いわゆるコマーシャル・ヒナであった。
 昭和38年(1963)における外国雛の日本進出はめざましいものであった。わが国の輸入雛の羽数は,昭和37年(1962)約8万7,000羽であったが,この年には約122万羽に達し,そのうち実に5万9,535羽の多くが岡山県内に導入されたのである。輸入雛のほとんどは,コマーシャル・ヒナを生産するための種鶏用雛であった。この時,県内の孵卵場は,次の外国種鶏場と雛の販売契約を交わしていた。すなわち,池田牧場とエームス,太田養鶏孵卵場(邑久郡邑久町)とハンセン,岡村孵卵場(岡山市湊)とシェーバー,土肥種鶏園(井原市高屋)とデカルブ,初岡孵卵場(真庭郡久世町)とハイライン,福田種鶏場(岡山市福富西)とキンバーということであった。
 外国産の種鶏を親とする外国雛の生産羽数は表4−3−17のとおりであって,昭和37年(1962)に始まり,生産体制の整った昭和39年(1964)には大幅な増加を示している。その後も引き続き外国雛の人気は高まるばかりで,反対に在来種の雛生産は衰退の一途をたどった。昭和40年代に入ってからは外国雛の販売をしない孵卵場の経営はなり立たない状態に陥った。昭和42年(1967)における孵卵業者の数は33名になっている。
 肉用種についても外国雛の攻勢はめざましいものであった。昭和34年(1959)ごろまではもっぱら兼用種の抜雄雛が出荷されていたが,その後の一時期輸入した肉用種雄と在来の兼用種雌を交配して生産された雛が出荷されるようになった。続いて昭和39年(1964)秋,福田種鶏場が外国産の肉用種を両親にもつ雛,いわゆるブロイラー専用種を発表するようになった。また日本チャンキー(和気郡和気町)は昭和42年(1967)に原種鶏農場を開設し,肉用種鶏の素雛を供給するようになり,一部の雛はブロイラー用として販売を始めた。