既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第5章 その他の家畜家禽

第1節 馬

1 概説

 わが国古代の馬は,軍事と交通の2つの飼養目的で飼われ,農用としては取り残されていた。応神天皇15年(400年ごろ)百済王が馬を献上した(日本書紀)。ずっと下って文久3年(1863)フランス皇帝ナポレオン三世からアラビア馬牡11頭,牝15頭が幕府に寄贈され,これが後に国内のアラブ種改良に貢献している。

 (1) わが国馬政の概要

 わが国の馬政は,国防上軍場を充実整備することが基本となっていて,馬匹の改良増殖もこの線に沿って行なわれていた。そして明治維新から日清戦争までの間は,整備された馬政はなく,また,第二次世界大戦の終戦後は,馬政は消滅したので,馬事振興に努めたのは明治27年(1894)から昭和20年(1945)までの半世紀ということになる。
 政府の馬に対する主要施策は次のようなものであった。
 明治28年(1895)10月の第1回調査会から同30年(1897)6月の第3回までにおいて,馬匹改良方針は,国防上の必要に基づいて,乗輓駄の各用途にそれぞれ適する馬を産出することなどが決定され,また,種馬牧場および種馬所の設置,種馬検査(民有種馬取締り),産馬組合,馬籍,去勢,種牡馬検査,馬市場制度,馬政局設置等について審議が行なわれた。
 明治39年(1906)内閣に馬政局が創設されたが,これは43年(1910)6月陸軍省に移管され,大正12年(1923)4月農商務省へ移され,昭和20年(1945)8月廃止された。
 明治37年(1904),臨時馬政調査委員会が設けられ,同年8月から翌38年(1905)1月までに,前後9回にわたる審議を経て,わが国馬政史上画期的な馬政第一次計画が樹立された。

 この計画の大要は,馬匹改良事業の期間を30年とし,第1期を18年(明治39年から大正12年まで),第2期を12年(大正13年から昭和10年まで)とし,事業としては,第1期において国の種馬牧場等の施設の増設整備を初め,国有種牡馬の整備,共進会,競馬会,優等牝牡馬の奨励等,産馬奨励事業の振興発展を積極的に実施し,第2期においては,前期の遺業を継承し,馬格の体型を整備して漸次標準体型に統一することにあった。馬政第一次計画の決定事項は,わが国馬匹改良上の憲法となっていた。
 昭和6年(1931)満州事変の勃発により,馬政の拡充強化,馬事振興はさらに必要性を増し,政府は,第一次馬政計画に引き続き,第二次馬政計画を樹立した。この計画は,昭和12年(1937)に勃発した日華事変において軍馬の実績が,期待に反して芳ばしくなかったので,翌13年(1938)新馬政計画に改変された。これらの詳細については,農林省畜産局(昭和41年)の『畜産発達史(本篇)』に詳述されている。
 わが国の馬産は,他の畜産と異なり,国家の干渉の極めてきびしい,反面国家の保護の極めて手厚いという特色をもっていた。従って,種馬統制法(昭和14年,法律第75号)とか軍馬資源保護法(昭和14年,法律第76号)などの施行に当たっては,常識では考えられないほど莫大な国家資金が,馬飼養補助金その他の形で馬飼養者に手渡され,産業経済上の不利をカバーする仕組みであった。
 第二次世界大戦の終息とともに,馬は,軍馬としての需要が失われて,産業馬として一般農民のものとなった。ここにおいて,国の馬事施設は急転して崩壊するに至った。戦後においても馬産復興に対する努力が払われてはいた。昭和22年(1947)馬事対策委員会により,馬事推進5ヵ年計画が樹立され,同年農林省においても畜産振興5ヵ年計画の中で,その復興が審議された経緯がある。しかし,いずれも当時の客観情勢から実現を見ないまま推移した。