既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第5章 その他の家畜家禽

第1節 馬

2 馬飼養の変遷

  (1) 藩政時代

 藩政時代における馬の飼養について,石田寛(1961)の『岡山藩における牛馬市ならびに牛馬に関する考察』の中から,備前地方の馬数について,参考のため表5−1−1〜3を掲げる。

  (2) 明治年代以降

 江戸時代から阿哲地方の馬は,鉄山業の役駄用として,従順で使役しやすい牝馬が多く飼われていた。牝馬は自家の駄馬更新用の子馬を生産するもの以外は種付けしないのが普通であった。一方,牛は商品として売買するもので,子牛生産を目的とし,駄用に使役しないのが普通であった。
 明治17年(1884)における邑久郡の町村別牛馬頭数は表5−1−5のとおりであった。

 明治20年(1887)ごろの岡山県の馬飼養頭数などおよび全国順位は表5−1−6および表5−1−7のとおりであった。

 明治初年以降の飼養頭数などについては,岡山県統計協会(昭和45年)の『岡山県統計100年史』や「岡山県統計年報」などに詳しいので,これらを次に摘記する。
 これによれば,馬飼養頭数のピークは,大正4年(1915)の7,733頭であるが,子馬の生産頭数はむしろ明治年代の方が多かった。昭和11−19年(1936−44)の馬に関する統計は,軍事上の秘密のためか,空白になっている。戦後軍需の大目標を失った馬は,かなり急速に頭数の減少を招いているが,それでも農用馬として昭和31年(1956)までは3,000頭台を保っていた。山陽新聞社(昭和34年)の『山陽年鑑』によれば,「飼養頭数(農耕馬のみ)は,2,197頭であるが,使役主体のため,役牛と同様年々減少傾向で,25年(1950)当時の半数以下となった。地域的には備前1,289頭,備中478頭,美作991頭の減少である」と。その後農業機械化の波に押されて急速に減少テンポを早め,現在では乗馬クラブなどのほかはほとんど馬の姿を見かけなくなってしまった。子馬の生産についても,昭和30年代で統計から消えているが,昭和30年代後半には,まだ,阿哲郡北部に,僅かに馬の種付けが行なわれていた。

 古い統計として,明治16年(1883)における郡市別,性別頭数がある。(表5−1−9参照),当時の品種は,すべて内国種であって,外国種はまだ統計に現われていなかった。

 明治35年(1902)における品種,性別の郡市別頭数は,表5−1−10のとおりであって,このころになると僅かながら外種が見えている。

 大正年代における種類別頭数は,表5−1−11のとおりであった。また,昭和8年末現在の郡市別飼養状況は,表5−1−12のとおりであった。
 昭和24年(1949)2月1日現在における郡市別,品種別,性別,年齢別頭数は表5−1−13のとおりであった。
 郡市別の子馬生産頭数を,明治44年(1911)と昭和5年(1930)とについて示せば表5−1−14のとおりであった。