既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第5章 その他の家畜家禽

第3節 山羊

2 岡山県における山羊飼養

(2) 昭和前期における山羊飼養状況

 昭和4年(1929)に始まった世界的な大恐慌は,わが国においても深刻な農業恐慌を招いた。このとき国の施策として,農山村経済の更生運動が展開され,経営の改善,自給自足主義の徹底,生活改善など,濃密な指導援助が行なわれた中で,農家の貴重な栄養源として山羊乳の価値が認識され,山羊飼養頭数が急速に増加し始めたのであった。
 昭和14年(1939)4月になると,戦時統制経済下,「米穀配給統制法」が制定され,米の配給統制がはじめられた。米の配給量は,昭和16年(1941)5月から成人1日当たり2合5勺(350グラム)と制限された。やがて麦の強制混合や麺類,雑穀,いも類などの代替え配給が増加するようになり,食生活は質量ともに低下が著しくなった。このような中で山羊乳の役割りは大きくなり,その利用は増加の一途をたどったのである。昭和18年(1943)3月には,乳用山羊増殖奨励金交付要綱を制定し盛んに奨励に努めた。このころの山羊の飼養頭数の増加は,年率平均約30%で推移している。しかし,この年代においては山羊を質的に改良することよりも,ひたすら頭数を増加することの方が急務となっていた。なお,県は戦時畜産奨励の1つとして,「乳用山羊増殖奨励金交付要項」(昭和18年3月)を制定し,町村農会,産業組合などが,種山羊の共同購入,共同種付所の設置を行なう場合,その費用の2分の1ないし3分の1の奨励金を交付した。