既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第5章 その他の家畜家禽

第6節 蜜蜂

1 養蜂の推移

 明治10年(1877)にイタリア種蜜蜂をアメリカから輸入したのが,わが国における西洋種輸入の初めであろう。内国種は,野生またはそれに近く,飼育効果の少ないもので,能力の高い外国種を輸入したものであろう。
 明治40年代におけるわが国の養蜂は,採蜜よりも種蜂熱が高く,一例を挙げれば,明治41年(1908)山梨県では5枚群20円で,当時白米1俵(4斗)4円50銭と比較して,いかに高値であったかが分かる。この種蜂熱は,大正2年(1913)をピークとして急落し,廃業者が続出し,倒産も出る有様だったという(農林省畜産局(昭和41年)『畜産発達史(本篇)』)。岡山県統計年報を見れば,大正4年(1915)以降,蜂群価格の急落がうかがわれる。
 わが国における転地養蜂は,大正2年(1913)南九州に初まり,長距離転飼の例としては大正4年(1915)岐阜県から北海道へ輸送した例があった。
 日華事変に際会して,諸物価高騰の折,蜜蜂の価格も上昇が著しく,ついに昭和15年(1940)8月17日,農林大臣により公定価格が制定され実施されるに至った。容量1缶(6貫500匁)生産者価格14円20銭,最終卸値15円62銭,小売価格17円12銭(濃度ボーメ42度)であったが,濃度により品質が異なるので,再検討の上,翌16年(1941)に改正されている。
 戦時中,軍は各養蜂組合に対し,蜂蜜と蜜蝋との供出を割り当て,供出の見返りとして砂糖の特配をした。養蜂組合員はこれにより,当時の急場をしのいだということであった(岡山市学南町 山形純男談)。
 終戦とともに蜂蜜は軍需などから離れ,一般家庭用に甘味資源として空前の関心を呼ぶようになった。昭和21年(1946)価格統制が撤廃されると,価格は暴騰し,生産者価格は1缶(24キログラム)1万円以上もするようになった。昭和26年(1951)砂糖の統制が解除されると,蜜価は暴落し,その翌年ごろには1缶2,000円以下となり,業界の不況は甚しかった(昭和38年ごろ1缶6,000円)。
 このような情勢の中で,岡山県の養蜂は表5−6−1のように推移している。
 なお,昭和53年(1978)中の蜂蜜などの生産量は表5−6−5のとおりであった。