既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第6章 牧野,飼料作物ならびに流通飼料

第1節 牧野および飼料作物

1.牧野ならびに草地改良事業の変遷

(2)藩政時代の牧野利用

 徳川幕府は,農業の保護にはとくに気を使い,士農工商とまでいわれるように農民を遇した。そのため,農業技術も発達し,これが今日の機械化農業に移るまでの手作業から牛馬耕と堆厩肥の時代のわが国農業の基礎となったものである。
 慶長8年(1603)岡山藩主池田忠継(1599−1615)が吉備津宮に禁札を出し,神社の境内近くで牛馬を放し飼いにすることを禁じている。(『吉備温古−馬事年史2』)についで慶長10年(1605)には,領内の上道郡西明寺・満願寺等に禁札を建て,前述のように境内の林木山内へ牛馬が入ることを禁じている。このように,神社・仏閣での牛馬の放飼・採草等が多くなることを心配して,幕府はついに慶長14年(1609)採草は原野ですることという草刈場高札を建てるようになった。(徳川実記・台徳院巻10)が,この草刈場は「入組」とか「入込」とかいわれる入会慣行によって利用されていたようである。