既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第6章 牧野,飼料作物ならびに流通飼料

第1節 牧野および飼料作物

1.牧野ならびに草地改良事業の変遷

(4)昭和戦後期の草地改良事業

  1 新牧野法の制定

 昭和6年(1931)制定の旧牧野法は,牧野の利用について,山林原野に自生する野草の自然植生を破壊することなく利用するという観点からのものであった。戦後荒廃した牧野を改良し,独り軍用馬だけでなく,すべての家畜に牧野を提供し,新しい牧野行政を推進する必要性から,国は公共牧野の管理と保護牧野の指定などを内容とする新牧野法(昭和25年法律第194号)を公布した。
 この法律の目的は,地方公共団体の行なう牧野の管理を適正にし,その他牧野の荒廃を防止するために必要な措置を講じ,もって国土の保全と牧野利用の高度化を図ることとしている(第1条)。
 この法律により,国の補助事業として,牧野改良,草地開発などの名称により幾多の事業が,昭和27年(1952)以降実施され,昭和37年(1962)以降は公共事業費の中に組み入れられて実施されるようになり,牧野改良事業は画期的な進展を見るに至ったのである。

  2 牧野造成(草地改良・草地開発)事業推進の概要

 これらの事業が国の補助事業として実施された期間と岡山県が実際に行なった期間,および施工面積を表6−1−16に示した。これによって年を追ってこれらの事業について概要を述べれば次のとおりである。

(1)保護牧野改良事業・改良牧野造成事業

 前者はその牧野が上流にあって,その荒廃が河川の流域を破壊する恐れがあると認められた場合は,知事はその牧野の保全を図るため,飼肥料木の植栽,土壌改良資材の投入によって,土壌保全と草生改良をはかるものである。さらに,改良牧野造成事業により,障害物除去,土壌改良材の投入,飼肥料木の植栽等が行なえるが,これが今日の草地改良事業の始まりである。

(2)高度集約牧野造成事業

 昭和28年(1953)に本事業が実施されるようになったが,これは開墾を伴うもので,当時としては画期的なものであったが,人力を主としていたので,その実効があがりにくかったため,2年間で一時中止となった。その間,国の種畜牧場において,県,市町村等からの委託を受けて,機械開墾による工法を実証的に行なった結果,その技術的,経済的な面から成算が得られたので,レーキドーザー等を使っての機械工法による高度集約牧野造成事業が昭和33年(1958)から再開された。

(3)草地改良事業

 昭和37年(1962)から牧野造成事業が,草地改良事業と改称されるとともに,公共事業として取り扱われることになった。この事業は,地域的に大面積にわたるものを大規模草地改良事業とし,一方,小団地等を対象とするものを小規模草地改良事業と称した。これらによって開発された牧草地の利用施設等を整備するために施設整備事業が別途併行的に実施されているが,昭和51年(1976)からは,これらを合併して草地開発整備事業としている。
これらの事業内容や事業量などについては後述することにする。

(4)国,都道府県営草地改良事業

 昭和39年(1964)から,草地改良は土地改良法に準拠することとなり,土地改良事業に含まれることになった。
 昭和40年(1965)から,これまでの大規模草地改良事業を国営草地改良事業に,小規模のそれを都道府県営草地改良事業として組み替えられた。

(5)飼料基盤整備特別対策事業

 昭和44年(1969)から,飼料基盤の早急な整備が必要な市乳圏地域,肉牛増殖地域などについて,既耕地と,これとともに点在する山や未墾地の一体的利用をはかるための飼料畑の造成等の事業が実施された。

(6)草地開発事業

 昭和45年(1970)から,草地改良事業と開拓パイロット事業を,農用地開発事業として一体的に草地開発事業に整理された。また,国営,都道府県営のほかにさらに団体営が加えられた。

(7)農業公社牧場設置事業

 前項の団体営草地開発事業の中で,岡山県農地開発公社による建売牧場の造成が,昭和47年(1972)から行われている。
 岡山県農地開発公社は,昭和46年(1971)4月設立されたもので,その前身は,昭和36年(1961)6月設立の(財)岡山県開発公社(農林部)であった。これが昭和40年(1965)4月に分離独立して(社)岡山県農業機械公社となり,ついで現在の機関となったものである。

  3 牧野造成(草地改良,草地開発)事業のおもな事項

(1)酪農振興と高度集約牧野

 昭和29年(1954)6月には酪農振興法(法律第182号)が公布され,本県ではじめて翌30年(1955)美作集約酪農地域が指定された。この中で蒜山地域を主体として,同年ジャージー種牛地区が設定された。これに先だち,昭和28年(1953)から高度集約牧野造成事業が実施され,酪農振興に伴って草生改良意欲が高まった。その一つの現れとして同年3月には県主催の草地改良講習会が津山市で開催されている。
 また,従来の「牧野」が「草地」という称呼で包括されることとなったのもこの時期であった。
 蒜山地区は,積雪寒冷地帯であって,農業は,畜産とくに酪農で振興を図るべきであるということで,前述のとおりジャージー種牛地区として指定されたもので,昭和28年(1953)10月にはジャージー種牛第1陣93頭が導入されるに及んで,急激に牧野造成の熱が高まった。
 ジャージー種牛の導入に先だち,啓蒙と技術指導のため,昭和29年(1954)7月,県から特別派遣された浅羽昌次および三秋尚の両技師の日夜をわかたぬ地域農家の巡回指導が行われたが,その成果の一つとして,三秋考案の急傾斜地における独特の階段耕方式による草地改良を,実証的に同年秋,旧二川村藤森の山下某所有山林約70アールに,地区民総出で等高線の作条造成作業が行なわれ,翌30年(1955)春,5種混播の階段耕急傾斜草地が始めて造成された。これには当地の酪農先覚者永井政一前県議も自己山林に施業するなど,その推進に努めた。その結果県北部で一時相当普及を見たけれども,多労的なこの方式は農村労働力の流出により僅々10年ぐらいのうちに衰退した。しかし,当時としては,急傾斜地の草地利用法として,画期的なもので,全国的にも注目を浴びた。
 同年8月に農林省農業改良局と岡山県との共催で川上村中学校において,中四国草地研修会が開催されたが,当時の知事三木行治,副知事曽我与三郎が揃って参会するほどの力の入れようで,現在の「三木カ原」の呼称は,蒜山地区を「乳の流れる里」にしようとの情熱を注いだ三木知事にちなんで命名されたものである。

(2)草資源の改良造成および利用増進について

 草地の造成改良が,わが国の新しい畜産の発展に必須のものであると,参議院農林水産委員会で取りあげられた時の委員長は,本県出身の江田三郎であった。委員会は,昭和29年(1954)12月に河野農相に対し文書をもって施策をただした。これに対し農林省は急ぎ「草資源調査会」を発足させ,草資源の開発ならびに利用増進について諮問した。これに対する中間答申が昭和31年(1956)3月に行なわれ,@草地利用実態調査,A機械開発整備事業の推進,B草地を主体とする営農類型の設定と育成,C草資源に対する普及体制の強化,D試験地の設置,E試験場の強化拡充などが提案された。これに対し,同年11月,再び参議院農林水産委員長名をもって「草資源の改良造成及び利用増進に関する件」の申入れが行なわれた。
 これは,@草資源対策はひとり畜産振興のためだけでなく,広く国土保全等を考え合わせて広範囲の利用を適正にすること,A既利用草地の全国的調査,B草に関する諸制度とくに行政機構の整備強化,C技術的・経営的試験研究機構の整備と専門技術者の養成,D草資源に関する啓蒙のための国民運動の実践,E草地改良事業の性格上,公共事業として取扱うこと,の6項目にわたるものであった。このように積極的な申入れをまとめた江田委員長は,精力的に全国の牧野の実態を踏査している。草地開発が早急に進められることになったことについて,江田三郎の功績は大きい。

(3)機械開墾法による高度集約牧野造成事業の再発足。(付受託牧野改良事業)

 既述の集約牧野造成事業は,人力によっていたため労力的に問題が生じ2カ年の実施で一時中断された。その間国立種畜牧場3カ所に牧野改良センターが,昭和29年(1954)設立され,県,市町村等公共団体からの草地改良事業の依頼を受けて行なう受託事業が同年から同36年(1961)まで実施された。これによって,最も重要な開発手段である抜根,起土,整地等の造成作業を,大型トラクター等による機械化作業に切り換え,技術的,経済的両面からその可能性を実証したので,レーキドーザーつきトラクターが,国の補助事業により各都道府県に導入され,機械開墾法による高度集約牧野造成事業が,昭和33年(1958)から本格的になり,草地改良の機械化時代への幕あけとなった。

(4)県畜産課草地係の新設とグリーンプランの策定

 草地改良事業量も増大し,酪農の進展に伴い,飼料自給対策の対応度も大きくなってきたため,従来,畜産課において経営係の所管であった草地および飼料作物関係の事務を担当する草地係が,昭和35年(1960)4月に新設された。初代係長は中島大二で係員3名をもって発足した。
 ついで,同年7月,かねて懸案となっていた岡山県草地協会が,関係市町村,団体等を正会員として結成され,草地行政の外郭団体として,草地農業を推進することになった。
 これより前,同年1月畜産課から公表された「岡山県家畜増殖計画」に対応して,飼料自給態勢を確立するための大目標として,草地係の新設と同時に,「草資源大増産計画」(愛称「グリーンプラン」)が発表された。
 この計画策定の趣旨は,「草資源の造成改良は,畜産とくに酪農および肉畜の振興計画推進の基礎であり,飼料供給源の確保と土地利用の高度化促進のため,最も重要な施策である。とくに,本県は草資源に恵まれ,既存牧野を50,851ヘクタール有しているが,草地は年々刈り取られ,地力を回復するいとまもなく略奪され,草生状況は量質ともに生産性が極めて低い現状である。従って,これらの劣悪な牧野を改良して,昭和40年度(1965)において,高度集約牧野7,000ヘクタール,改良牧野3,000ヘクタールを確保するとともに,既耕地において,21,000ヘクタールの飼料作物の生産を増強して,自給飼料の増産態勢を確立し,もって,農業経営の安定合理化はもちろん,家畜の増殖ならびに低廉な畜産物の生産を助長するために,今般,最重点施策として,積極的に草資源の大増産を図ることとした」となっている。
 その事業計画による事業の概要は,@高度集約牧野造成事業として,既存(昭和30−34年度実施)1,015ヘクタールに加えて,新規造成計画(昭和35−40年度,6年計画)6,000ヘクタール,(補助事業,非補助事業各3,000ヘクタール),合計7,015ヘクタール。A大規模草地造成計画(昭和36−40年度,5年計画)補助事業により500ヘクタール。B小規模草地造成事業として,既存(昭和34年まで)16ヘクタールとともに,造成計画(昭和35−40年度,6年計画)500ヘクタール(補助事業260ヘクタール,非補助事業240ヘクタール)。C改良牧野造成計画(昭和35−40年度,6年計画)3,000ヘクタール(補助事業,非補助各事業1,500ヘクタール),D飼料作物栽培採種圃設置事業(昭和34−40年度,6年計画)170ヘクタールとなっている。(表6−1−17参照)

(5)大規模草地改良事業

 昭和36年(1961)から事業に着手し,翌37年度から公共事業として実施され,昭和39年度に事業完了した本事業の内容は,草地改良561ヘクタール,牧道21,083メートル,飲雑用水施設10,761メートル,電気導入施設9,200メートルの基本施設および利用施設としての隔障物(牧柵88,910メートル,避難舎455坪,看視舎145坪,牧野樹林948ヘクタール等)であって,事業実施地域は「美作地域」と称し,蒜山地区の川上,八束両村にまたがり,朝鍋団地110ヘクタール,高松団地26ヘクタール,蒜山上39ヘクタール,蒜山中25ヘクタール,三木カ原77ヘクタール,中団地30ヘクタール,合計307ヘクタールに及んでいる。

(6)小規模草地改良事業

 昭和37年(1962)度から草地改良事業はすべて公共事業として取り扱われることになり,それまでの高度集約牧野造成事業がそのまま小規模草地改良事業に引き継がれた。
 これらの草地改良事業は,草地開発附帯事業として,草地開発に伴って必要な隔障物,電気導入,家畜保護施設,飼料貯蔵施設,管理機械施設などの附帯施設を整備する事業を伴っていた。(表6−1−16参照)

(7)県営草地改良事業から県営草地開発事業へ

 既述の大規模草地改良事業は,昭和40年(1965)度から,国営または都道府県営の草地改良事業に切り換えられた。本県では,専ら県営事業としてこの事業が行なわれている。
 すなわち,既述の美作地域に続いて,つぎのとおり順次開発されている。この事業は2カ年にわたる調査計画期間の後,4カ年の草地改良(後に開発と呼称がえ)工事を実施している。

 @ 苫田地域 昭和41−44年(1966−69)度まで実施され,対象家畜は和牛である。
  (恩原団地 135ヘクタール,大神宮原団地 60ヘクタールおよび六合団地 50ヘクタール,合計 245ヘクタール)
 A 小田地域 昭和45−48年(1970−73)度まで実施され,対象家畜は乳牛である。
 (宇角団地 80ヘクタールおよび大倉団地 82ヘクタール,合計 162ヘクタール)
 B 真南地域 昭和50年(1975)度から始められ,同57年(1982)度完了予定で,対象家畜は乳牛と和牛とである。
 (星山団地 50ヘクタール,大野呂団地 50ヘクタールおよび竹原団地 30ヘクタール,合計130ヘクタール)

(8)団体営草地開発事業から団体営草地開発整備事業へ

ここでいう団体とは,事業主体が市町村,農協,同連合会,農地開発公社,その他知事が適当と認める農業者団体等のことである。
 この事業は,昭和45年(1970)度から創設され,同51年(1976)度から団体営草地開発整備事業と名称が変り,既存草地の整備もできるようになった。

(9)飼料基盤整備特別対策事業から飼料基盤整備事業へ

 本事業は,畜産経営の多頭化に伴って,草地以外の既耕地あるいは未墾地で,飼料畑や牧草地の造成,既存畑の整備あるいは牧柵,用水施設等の整備を行なう場合に,これらについて助成するものである。これによって草地改良あるいは草地開発事業で永年草地を造成し,他に長大作物等貯蔵飼料材料作物を作付けするための飼料圃を造成し整備できるようになった。
 この事業は,前者については昭和44年(1969)度から3カ年間で590ヘクタール,引続き後者について昭和47年(1972)度から4年間で238.7ヘクタールが実施されている。

(10)農業公社牧場設置事業

 本事業は,いわゆる建売牧場で,事業主体は農地開発公社である。昭和47年(1972)度から団体営草地開発事業中の1事業として始まり現在に及んでいるが,すでに7牧場,91.4ヘクタールを設置しているが,なお,その要望が多い現状である。

(11)林間放牧の実態調査

 この調査は,国土の再開発利用の趣旨に基づいて,昭和51年(1976)2月に次のように実施した。その概要は,県北の真庭,苫田,新見,阿哲の諸郡市において,林間放牧地9カ所(表6−1−18参照)について,その所在地,立地条件,林間放牧面積,放牧方法,放牧畜種,放牧頭数,経営形態等の現地実態調査である。調査結果を要約すると,@管理主体は,任意団体・共同放牧が6事例で他は法人2,個人1であった。A経営規模は5〜150ヘクタールと差が大きい。B1戸当たり放牧頭数は1.6頭,1頭当たりの放牧場面積は0.25〜3.33ヘクタールで,平均1.34ヘクタールであった。C個人有地1のほかはすべて公有林地で,入会権,賃借権等により利用されている。D放牧施設は,法人組織では整備されているが,その他は,大牧区構成でよく整備されているとは言えない。E飼養形態はすべて夏山冬里方式で,放牧期間は4月下旬から11月中旬までである。F夏季は昼夜放牧で,看視は交代制である。G人工林は全体の約33パーセントであり,スギ,ヒノキの10年生林までのものに放牧されている。H人工林はヘクタール当たり約3,000本の普通栽植である。特徴的なのは美甘畜産公社の,人工林30ヘクタールでは,栽植本数は同じであるが,9平方メートルに16本の群状植林とし,野草地を残している。放牧により下刈り経費が節減されている反面,被害木は2−4パーセントと推定されている。

 これにより問題点としては,@個人有林は狭く権利調整が困難であること,公有林を利用する農家戸数が減少していること,国有林への放牧が不可能なこと,人工林地では放牧利用期間が短いことなど放牧適地の確保がむづかしいこと。A野草の産草量が10アール当たり300〜700キロと少ないこと。B施設が整備されていないこと。C林木の被害などが指摘されている。これに対する対策としては,@森林所有者の理解と協調が必要であること。A林間放牧に適した造林法が必要なこと。B林内へ草地造成地区を散在させること。C諸施設を整備すること,などが挙げられる。

(12)草地等効率利用促進プロゼクト調査事業

 この事業は,蒜山地域(川上,八束両村)の大規模草地について,昭和52−53年(1977〜78)度に,国の直営事業として,中国四国農政局が大学,県,関係2村および岡山県畜産会の協力を得て実施したものである。
 ねらいは,草地造成後年数を経たものの,既往の利用実績を調査し,その問題点を摘出して,将来の改善点を見出そうとすることにあり,昭和54年(1979)度から草地更新事業がすでに着手されている。