既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第6章 牧野,飼料作物ならびに流通飼料

第1節 牧野および飼料作物

2.飼料自給奨励事業

(2)昭和戦後期の飼料自給の推進

  1 昭和20年代

(1)岡山県農業振興計画の策定

 岡山県企画室(昭和24年)の「岡山県農業振興計画(第1次案)」は,昭和23年(1948)3月設置された岡山県農業振興計画委員会によって,同年12月まで討議された結果作成されたものである。この振興計画の中の「飼料対策」についての概要はつぎのとおりであった。

 1 方針  現下の飼料事情からみて,県内自給飼料,とくに粗飼料の増産並びに品質の向上に重点を置き,家畜の増殖に即応してその供給の確保を図る。
 2 増産目標  家畜家禽の増産目標に対応して,昭和28年(1953)において粗飼料,482,000トン,濃厚飼料112,000トン,敷草21万トンの生産供給を期する。
 3 増産方策  
 (1)飼料作物の増産  有畜農家に対し,家畜の種類および頭数に応じて,作付面積の1割5分程度までの飼料作物の作付けを認め,これを農産物供出対象面積から除外する。(以下略)
 (2)国内産重要濃厚飼料資源の確保ならびに活用  食糧穀類の精白,製粉歩止りを適正化するよう政府に要請するとともに,その副産物は全国的に飼料化する。(以下略)
 (3)飼料及び飼料作物種子の輸入促進
 (4)粗飼料の利用向上による濃厚飼料の節約および季節的受給の調整  そのため,青刈飼料を増産し,堤塘,河川敷等の草生改良(雑草をレッドクロバーにかえる),サイロの普及,石灰ワラ,甘藷蔓,その他農産副産物の乾燥,粉砕および貯蔵の普及促進を図る。
 (5)牧野の整備  牧野はその縮小を余儀なくされているので,国土の利用に再検討を加え,林野中に新たに必要な面積を確保するとともに,その実態を調査し,その集約的利用のため,次の事項により牧野の改良に努める。@飼料作物の栽培,A人工草地の造成,B灌排水および客土施設,C庇蔭樹の植栽,D截枝樹の植栽,E土性改良,F施肥,G火入れの適正化。
 (6)飼料及び牧野に関する試験研究の整備並びに新設の農業改良普及制度による技術の普及。
 (7)飼料配給の適正および家畜用塩の確保。

(2)未利用資源の活用

 終戦前後から,昭和22年(1947)ごろにかけて,建部町在住の吉岡隆二は,山野に自生するクズを繁殖して利用することに目をつけ,短節,大葉のクズの育種にまで発展した。その後,昭和30年(1955)農林省草資源対策連絡協議会の委員となり,大いに活躍した。
 また,農林省大阪営林局岡山出張所在勤の倉田益次は,イタチハギの繁殖力と耐瘠地性に注目し,その栽培と利用について栽培試験を行ない,飼肥料作物でも肥培管理により,大きく特性を発揮することを確かめ,全国に紹介した。

(3)試験研究と技術者の養成

 終戦後は,県内のれんげの飼料化を主体として青刈麦類,青刈そら豆等の作付けが行なわれていた。また,畦畔草の改良のためのクローバー追播法などが試みられていた。
 昭和24年(1949)9月,農林省農業改良局主催の牧草および飼料作物の試験研究法研修が同省畜産試験場(千葉市)で開催され,本県からは,県農業試験場技師黒住久弥および県種畜場技師竹原宏の2名が受講した。その際配布を受けた10数種の牧草種子を用いて県農試および県種畜場に見本園を設けた。
 翌25年(1950)8月,第1回中四国ブロック飼料作物試験研究打合会議が香川県善通寺市の農林省四国農業試験場で開催された。この会議は,その後,中国,四国に分かれて毎年1回開催されている。

(4)牧草および飼料作物の試作展示圃

 昭和23年(1948)8月に農業改良助長法(法律第165号)が施行され,これによって本県でははじめ73カ所の農業改良普及所が開設されたが,25年(1950)8月および26年(1951)9月に,それぞれ輸入牧草種子8種および12種を各普及所に配布し,試作展示圃としてその適合性を調査検討した。同時に県農試をはじめとして8カ所の試験研究期間でも試作した。
 この結果,牛窓オリーブ園でのカバークロップス(被覆作物)としての牧草栽培は,本県ではじめてのものであったが,ラジノクロバーやレッドクロバーが認識された。一方,高冷地試験地(真庭郡川上村)での試作は,蒜山地域への牧草導入のきっかけとなり,これが今日の草地造成の基礎となり,上記の2種のクロバーと,オーチャードグラス,ブルールーピンなどが良好な成績であった。多くの普及所での試作から,本県ではオーチャードグラス,イタリアンライグラス,赤クロバー,ラジノクロバー,コンモンベッチ,飼料かぶ,青刈大豆,青刈とうもろこし等が好適であることが分かった。イタリアンライグラスは,その根系が多いため,牛耕に困難性があって,県北部では不評であった。

(5)新品種の育成

 昭和27年(1952)春から笠岡市相生の笠原蕃は,在阪の久宗某(久米町出身)が甘藷蔓を飼料用を目的として栽培するのを見聞し,高系4号を用いて栽培を始めた。これについて県農試角谷技師は,4本立栽培法に関する一連の試験成績をもととして指導し,未熟種藷を利用する甘藷づる刈取利用栽培法を体系づけ,これを「つるとり甘藷」と命名した。昭和29年(1954)には,邑久郡長船町の牧野勉により乳牛へ給与し,その嗜好性や乳量に対する影響等について調査し,好結果を収めた。以来,県南部地帯の夏季乾魃期における生草給与の打開策として大いに注目を集めるようになり,かなりの普及をみた。牧野勉は昭和52年(1977)までこれを栽培し,10アール当たり収量は,笠原によれば5,500貫(20,625s),牧野によれば7,000貫(26,250s)を上げることができたという。
 昭和25年(1950)から27年(1952)までの3カ年にわたり,水田で採種可能の中生種のえん麦品種「岡山黒」が県農業試験場技師若林確によって系統分離選抜され,奨励普及を見ている。
 また,昭和27年(1952)には,県の中北部地帯に適するれんげ「富農選24号」が採種圃で採種のうえ,当地方へ再配布されている。

(6)イタリアンライグラスなどの水田裏作への普及

 昭和29年(1954)県南部の既成酪農地帯である邑久郡邑久町,長船町等において,飼料作物,とくに,イタリアンライグラス,飼料用かぶ,レープ等の有利性と栽培法が認識され,牧野勉らにより水田裏作へ導入された。これが今日のイタリアンライグラス普及の第一歩であった。30年(1955)4月には,蒜山地区など県北部においてもこれを,水田裏作として導入することの必要性が説かれ,湯原町の永井政一も試作した。この結果は耐雪性に難があり,さらに品種改良が望まれた。また,翌31年(1956)秋,永井政一所有の水田裏作にこれを導入する現地試験が,県農試人見進らによって行なわれた。これにおいて,イタリアンライグラスの冬季灌漑栽培は,その早春の生育を促進する効果の大きいことが確認された。

  2 昭和30年代

(1)飼料作物作付面積の増大

 昭和30年(1955)12月,美作集約酪農地域が指定された年の飼料作物作付面積は,表6−1−23に示すとおり,れんげは3,932ヘクタール,青刈えん麦42ヘクタール,青刈とうもろこし28ヘクタール等合計4,050ヘクタールであった。昭和32年(1957)には備中地域が,同34年(1959)には旭東地域がそれぞれ集約酪農地域として指定を受けたが,これに伴い飼料作物の作付面積の増大も著しいものがあった。ただし,種類別にはかなり明らかな傾向が見られ,青刈とうもろこし,イタリアンライグラスの伸びと,れんげの減退が見られる。

(2)飼料作物採種圃の設置

 飼料作物の栽培面積の拡大に伴って種子の需給事情が漸次さしせまって来たので,農業改良課農産係では,昭和32年(1957)から,青刈えん麦(前身,岡山黒),青刈ライ麦(ペトクーザ),イタリアンライグラス,ツルトリ甘藷(高系4号)の採種事業を,農家に委託して実施した。採種された種子は,一定の規格以上のものを県経済連を通じて全県下に配布した。この事業は,昭和35年(1960)4月に新設された畜産課草地係へ引き継がれたが,その後,数年間で中止された。

(3)牧草栽培用農機具の開発

昭和32年(1957)から,県農試農機具研究室石村技師らを中心として,牧草栽培用の各種農機具の研究が行なわれ,直火式牧草乾燥機,携帯式草刈機,乾草梱包機等が試作された。当時,これらが牧草栽培の普及に及ぼした効果は大きいものがあった。

(4)飼料作物耕種基準の策定

 昭和33年(1958)12月,県酪農試験場において,県内試験研究普及関係の専門技術者により,飼料作物の試験研究と,これを普及するための耕種基準の策定,さらにはこれを推進するための飼料作物栽培連絡試験などの推進について,体制づくりについて協議が行われた。とくに,「岡山県飼料作物耕種基準」の策定と,これらに必要な基礎資料を得るための県内飼料作物栽培連絡試験の設定と,これら2項目を達成するため「岡山県飼料作物研究会」を組織して,行政,普及,試験研究が一体となって事業を推進することをきめた。この研究会へは,さらに県農試本場ならびに大佐分場からも参画するようになった。
 「岡山県飼料作物耕種基準」は,昭和34年(1959)4月に,岡山県農林部の名をもって全国に先駆けて策定された。その後,第1次改訂を,昭和37年(1962)9月に,第2次改訂を昭和43年(1968)3月に,さらに第3次改訂を昭和49年(1974)に行ない,現在「自給飼料のすべて」(岡山県畜産会編)として発刊されている。
 県内試験「飼料作物連絡試験」は,昭和34年(1959)を初年度として3カ年間,県の南部,中部および北部の圃場において,春夏作5作物,秋冬作4作物について,播種期試験を中心として,実施された。その後も,新品種等を追加し,施肥量試験等も加味して連絡試験を行ない,その都度研究会を開催し,耕種基準改訂の参考資料とした。

(5)日本草地学会10周年記念全国草地技術研究大会の開催

 昭和39年(1964)8月,蒜山原において,日本草地学会主催,岡山県後援で開催されたこの大会には,全国から草地関係の研究者,技術者等200名以上が参集して,草地の造成および維持管理法等についてシンポジウムが行なわれ多大の成果を納めた。

(6)岡山県草地肥培優良事例コンクールの開催(昭和40年9月)

 酪農経営の進展に伴い,飼料自給に対する関心は極めて高くなり,草地,飼料圃における高位生産技術が喧伝されるようになった。昭和39年(1964)秋,県畜産課を中心に,第1回岡山県草地肥培優良事例コンクールが実施される運びとなり,同年11月下旬から現地の実地調査が始まった。参加点数は18点で,出先農林事務所管轄区域別にみれば,岡山,倉敷両管内の水田裏作が11点で過半数を占め,高梁,勝山,美作各管内から7点が参加した。審査の結果は,成羽町農協直営牧場の草地が最優秀となった。これは全国コンクールの予選を兼ねていたので,この最優秀事例が第4回全国コンクールに推せんされたが,その成果は努力賞に終った。

  3 昭和40年代以降

 昭和30年代後半になると飼料自給のための行政施策も表6−1−24のように積極的に行なわれるようになった。

(1)酪農経営規模拡大過程追跡調査の実施

 昭和43年(1968)7月から開始したこの調査の目的は次のようであった。酪農経営の発展は,主として規模拡大によって行なわれているが,それによって経営が安定していると思われる酪農家15戸を全県下から選定し,その規模拡大の過程がどんなものであったか,経営安定のための条件,あるいは問題点等を聴取りによって実態調査を行なった。その結果,酪農経営の成立要因は極めて多く,規模拡大の効果を発揮するためには,それらがうまくかみ合わなければならないが,個々の経営環境とこれに見合った手順などがさまざまあって,これらを一様に論ずることは困難であった。本調査は県酪連の依頼を受けて県酪農試験場で実施したものである。

(2)大型気密サイロの建設

 昭和45年(1970)度,畜産新技術開発実験事業によって,上房郡賀陽町農協が事業主体となり,同町吉川の賀陽町農協畜産総合施設内にスチール製気密サイロ1基が建設された。
 わが国では,農林畜産試験場(千葉市)にはじめて建設され,その後北海道に数基,内地では栃木県内に建設されている程度で,この年,畜産局が新技術開発事業として全国で3カ所建設したうちの1つであった。
 このサイロは完全密封であり,取出しは底部のボトムアンローダーによって掻き出すため,低水分に予乾した材料を,1センチメートル以下の切断長で詰め込むことが必要になっている。容積は160立方メートルで,極めて大型であるから,詰込材料の確保が困難な状態である。
 その後,稲作転換に伴い,緊急粗飼料増産総合対策事業の導入により,FRP(強化プラスチックファイバー)製の中型気密サイロが,昭和47年(1972)度事業で久世町に数基建設されたのを初めとして,49年(1974)度以降,現在までに276基以上が県内に設置された。

(3)米の生産調整に伴う飼料作物への転作

 昭和46年(1971)から米の余剰に伴う米の生産調整のため,いわゆる稲作転換が打ち出された。
 飼料作物は,麦や大豆とともに「特定作物」として優遇され,転換作物として重視されている。(表6−1−25参照)飼料作物の種類別転作実態は詳らかでないが,畜産農家とくに酪農家は自作田については高い転作率であって,それ以外に,転作水田の借上げが多く,この場合,転作奨励金は地主名儀で支払われ,借主の酪農家は借地料なしで飼料生産ができる有利性がみられている。さらに,集団転作に対しては奨励金が加算されるので,かなりの面積になっていると思われるが,個別作業による集団が多く,望ましい大型機械の共同作業による実質的な集団転作の好事例に恵まれないのは遺憾である。

(4)岡山県気密サイロ・サイレージ共励会

 昭和54年度までの気密サイロ設置基数は,表6−1−26のとおり累計276基に及んでいる。このような情勢をふまえて,岡山県畜産会の提唱により,良質のサイレージを調製して通年サイレージ給与体系の普及を図るために,サイレージ共励会を開催することとなり,県の後援を得て,県草地協会,県農協中央会,県経済連,県酪連および県畜産会の共催のもとに,第1回岡山県気密サイロサイレージ共励会が,昭和52年(1977)1月に津山市ホクラク農協会館において開催され,その後年1回開催されている。出品点数は毎回50点で,これらは岡山大学農学部家畜飼養学教室(内田仙二助教授)で分析され,その権威ある審査が好評を博している。これにより良質サイレージ調製の技術が普及滲透した効果は大きい。
 また,これらによって酪農経営における通年サイレージ給与体系の導入が急速に普及し確立されてきた効用はさらに大きいものがある。

(5)昭和54年度第18回農林水産祭における天皇杯の受賞

 邑久郡長船町の酪農家牧野勉は,昭和17年(1942)に酪農開始以来,今日までの37年間,水田酪農確立のため,たゆまぬ精進を続けて来た。「酪農は自己本位では存立不能で,地域に融け込み,地域酪農振興の中から」との信念で町および町農協と緊密な連携を保ち,農協酪農部として昭和51年(1976)「飼料生産集団」を確立した実績を認められ,52年(1977)朝日農業賞を受賞,翌53年(1978)さらに個別経営の部で日本農業賞を受賞し,これらをもとに酪農部門において標記のように天皇杯を昭和54年(1979)2月授与された。

(6)飼料作物栽培面積

 最近7カ年間における飼料作物の栽培面積は表6−1−27に示したが,永年牧草を除いて延1万ヘクタールを前後している。