既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第1節 家畜保健衛生対策

1.家畜防疫の変遷

(2)大正年代の家畜防疫事情

 明治年代において基礎づけのできたわが国の畜産は,大正年代に入り飛躍的な進展を遂げ,国・県の畜産施設が相ついで整備され,今日の土台が築かれたわけである。日清,日露戦役に続き,大正年代には第一次世界大戦(大正3年7月〜同8年1月)が勃発し,わが国もドイツ,オーストリヤに宣戦して,青島の占有,南洋諸島の委任統治を行なうことになった。この時期は,軍需景気で国内も未曽有の好景気を招来しているが,反面諸物価が高騰して庶民生活をおびやかし,米騒動なども頻発している。畜産界においては,文化水準や食生活の向上により,畜産物の需要が急増し,国内自給がこれに伴わなかったため,青島牛の輸入が始まり,朝鮮牛の移入も激増した。
 このような背景の中で,家畜防疫の立場から特筆すべきことは,大正14年(1925)5月に端を発した牛肺疫の侵入である。各論に詳述するように岡山県邑久郡産の乳牛が,大阪市の奥山牧場に導入されて初発に絡んでおり,さらに,朝鮮系の侵入もあって,大阪,滋賀,京都,兵庫,岡山,香川,山口,広島,福岡,山形,神奈川,新潟等の各府県にまん延し,大正14年(1935)だけで,2,328頭の畜牛が死亡または撲殺されている。この牛肺疫は継発または再度侵入して,昭和5年(1930)に漸く終息した。
 なお,その他の伝染病の発生については,表7−1−5および表7−1−6に示した。これらに見られるように,炭疸,気腫疸,狂犬病,豚コレラなどが毎年継発し,中でも狂犬病が猛威を振るい,豚コレラ,家禽コレラも養豚,養鶏の進展に伴って流行の様相を見せている。県内においても,全国的な様相を反映して発生が記録され,結核病も大正末期に再び増加の傾向がうかがわれた。ここに当時の防疫記録として,昭和20年(1945)の岡山市の空襲による焼失を幸い免がれた岡山県獣疫月報(大正6年〜昭和17年)の一部を掲載し参考に供することとする。

図7-1-3 岡山県獣疫月報の一例

   1 海外悪性伝染病(牛肺疫,牛疫)の発生概要

 (1)牛肺疫

 大正14年(1925)5月28日,大阪市東成区今福町奥山牧場の発生を初発として,牛肺疫の内地侵襲が始まった。この発生まん延は,大正年間における家畜防疫史上の重大事件で,ついに緊急勅令の発動を見た程で,当時牛肺疫の侵入がわが畜牛会を,いかに震がいせしめたかを想像することができる。わが国に隣接する中国,同東北地方,シベリア等は,古くから本病の常在地であって,大正11年(1922)まず満州(現中国東北地区)から朝鮮半島に侵入し,大正13年(1924)には横浜家畜検疫所において,大連港積出しの蒙古牛に散見されており,これが牛肺疫の内地侵入の序曲と言える。
 前記大阪市奥山牧場への感染経路は,同牧場が大正14年(1925)2月に購入した岡山県邑久郡産の乳牛3頭からと疑われているが,これが邑久群内で感染したものか,あるいは大阪の阪南家畜市場で罹病したものかは不明であった。この発病系統を大阪府系と称したが,このまん延は,5月28日の初発以来6月末までに大阪府63頭,京都府3頭,岡山県6頭,滋賀県20頭,兵庫県1頭の計93頭に達し,なお,近畿,中国地方にますますまん延の兆しを示したので,7月3日に緊急勅令第245号の発令により,牛疫の場合と同様に感染虞牛殺の処置を敢行することとなった。その結果,以後を散発程度に抑え,大正14年(1925)度中の発生は,病牛116頭,感染虞牛殺1,508頭となった。この病系による県内の発生詳報は表7−1−7のとおりで,病牛10頭,感染虞牛16頭が殺処分されたが,当時の防疫官は県技手竹原正男らであった。

 一方,同年8月30日,朝鮮元山港から慶州丸で門司入港の鮮牛112頭の中から,山口県熊毛郡光井村(現 光市)に導入された1頭が10月23日に発病したのを契機として,この鮮牛移入グループの追跡調査が始まり,広島県呉市と場をはじめとして,福岡,兵庫,山形,神奈川,新潟の各県下から続々と病牛が摘発され,同年12月までに病牛72頭,感染虞牛516頭を処分するに至った。この病系を朝鮮病系(慶州丸系)と称した。ちなみに,当時の北鮮牛の移入状況を付記すると,大正13年(1924)9月から14年(1925)3月の間に,48,707頭,大正14年(1925)9月から15年(1926)3月の間に,30,783頭の多きを数えており,危険地域からの移入であったので,防疫官も多事多難の時代であった。
 以上,両病系による牛肺疫の発生は,官民必死の防疫活動が効を奏し,おおむね大正14年(1925)末で京都府を除き終息したが,京都府にあっては,その後昭和4年(1929)まで継発し,一部は福井県に波及した。その後も,同年に再度朝鮮移入牛から牛肺疫の侵襲を受けることになったが,このことについては後述する。

 (2)牛疫

 大正年代の牛疫侵入は,大正9年(1920)神奈川県に2回,同年から翌年にわたり大阪府,京都府に1回,11年(1922)に徳島,香川の両県下に1回の計4回の小侵入があったが,幸い防疫効を奏していずれも大事に至らずして終息している。これは,明治時代の惨害により,政府が牛疫免疫血清の豊富な常備量を有し,危険区域に防疫の徹底を期したためである。大正中・後期は,内地の牛肉価格が高騰して,青島牛が盛んに輸入されたので,検疫所にしばしば本病が侵入し,何らかの機会に病毒の逸脱があったものと思われる。

   2 その他の家畜伝染病の発生状況

 (1)炭疸および気腫疸

 これらの伝染病は,既述のように,明治以降大正年代においても,全国及び岡山県下で毎年のように発生し,かなりの被害が出ている。特に,炭疸については,輸入される肥料用骨粉,獣皮,獣毛などにより発生が継続しているが,人への感染(脾脱疸)もかなり見受けられ,鹿児島県,兵庫県に多発している。岡山県においても大阪,神戸方面から肥料用塵芥の購入により,大正2〜4年(1913−15)の間に,児島郡興除村で42名の罹病報告が見られる。又,広島県熊野町は毛筆製造業の盛んなところであるが,兵庫県下の支那皮輸入地帯からの毛筆材料購入によって多数の患者を出したことがある。

 (2)狂犬病

 狂犬病も既述のとおり大正年代には特に猛威をふるい,全国統計では大正後期に年によっては3,000頭を超える発生があり,県内でもこれに関連して大正11年(1922)から13年(1924)にかけて多発し,大正11年(1922)には93頭に達し,県下の各地に発生して,野犬退治等大がかりな防疫活動が展開されている。又,これに関連して大正12年(1923)に,岡山県家畜伝染病研究所が岡山市石関町旧県庁西側に設置され,狂犬病ワクチンが製造され,応用されている。この事業の主管は農務課で,衛生課がこれに加わっていた。

 (3)豚コレラ,豚疫,豚丹毒

 養豚の進展に伴い,大正中期から九州,関東,沖縄の養豚地帯に豚コレラが猛威をふるい,昭和初期には全国的に爆発的な発生がみられ,養豚界を恐怖のどん底に陥れた。この状況は図7−1−4に示すとおりで,豚コレラの血清,予防液の応用が大正中期から始まっている。又,豚疫,豚丹毒についても大正中期から末期にかけて,かなりの発生がみられている。
 しかし,これらの県内における発生状況は軽微で,豚コレラが大正11年(1922)に岡山市で9頭,豚疫が大正13〜15年(1924−26)の間に岡山市,吉備郡,上道郡,児島郡等県南部に20頭発生した記録がみられる程度である。

 (4)牛の伝染病流産,家禽コレラ,皮疸

 記述のとおり県内での発生は記録されていないが,全国的にみると,牛の伝染性流産(バングおよびビブリオフェータス)が大正末期から摘発されており,家禽コレラは大正12年(1923)から九州,関東,近畿,東山地域に発生している。皮疸については軍用馬を主体に散発的に摘発がみられた。

 (5)結核病

 県内の重軽症牛について表7−1−4に示したが,明治末期の摘発が効を奏したのか,大正初期から中期には,数頭程度の発生にとどまっている。しかし,大正末期に至り乳用牛の飼養増加とともに再び増勢に転じ,大正14年(1925)25頭,15年(1926)21頭の摘発が記録されている。