既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第1節 家畜保健衛生対策

2 動物薬事の変遷

 藩政時代における医薬品は,古来からの和漢薬と,幕末西洋から渡来した洋薬とがあり,これらの医薬は獣医薬でもあった。また,医薬を取り扱う業者の資格については,当時なんらの規制もなく,自由放任の状態で,医師はすべて薬師を兼ねていた。

(1)明治年代から動物薬事制度確立(昭和23年)まで

   1 薬事制度の変遷

 明治維新後,西洋文化の移入は,西洋医学の普及に拍車をかけ,同時に輸入洋薬の需要が急増した。輸入洋薬の中には粗悪品や贋薬が多かったので,明治6年(1873)「薬剤取締法」が公布され,翌年から司薬場が設けられ,薬品の検査,試験,指導等の任務にあたることになった。明治7年(1874)「毒薬販売取締規則」が布達され,薬舗巡回心得を定めて,巡回員に巡視させた。また,明治10年(1877)「毒薬劇薬取締規則」が制定されたが,明治13年(1880)には「薬品取締規則」を制定して,これに替えるなど,医薬の普及,発展とともに,つぎつぎと薬品の取扱いや,取締りの諸規定が改廃された。大正3年(1914)「売薬法」および「同法施行規則」が公布された。
 獣医業界においては,明治,大正,昭和前期を通じて,動物用医薬のほとんどは局方品を使用していたが,大正7年(1918)「家畜に応用スル細菌学的予防治療及診断品取締規則」が公布され,今日の生物学的製剤については,独自の立場をとるようになった。
 さらに,昭和18年(1943)「薬事法(旧法)」(昭和18年,法律第48号)が制定公布され,これに「薬剤師法」,「薬品営業並薬品取扱規則」等を統合した。その後,昭和23年(1948)薬事法(法律第197号)が制定され,「動物用医薬品等取締規則」(農林省令第92号)が公布されて,ここに初めて動物薬事制度が確立された。
   2 動物用医薬品の発達
 (1)動物用医薬品の動向
 大正年代までの動物用医薬品は,そのほとんどが局方品で,動物用専用医薬品の製造記録は見当たらない。昭和4年(1929)家畜の整腸消化剤として,ビオパンをビオフェルミン製薬が製造したのが,動物薬製造の最初であろうといわれている。その後,昭和初期に数社から動物用専門薬が製造販売されている。しかし,岡山県では,動物薬事制度確立以前には,これらに類するものは全く見当たらない。
 旧陸軍においては独自の立場をとっていて,大正15年(1926)「獣医材料及び戦用蹄鉄取扱規則」を定め,部隊で用いる薬物は約50種類の局方品と,陸軍薬局方による特殊薬剤を規定していた。
 第二次世界大戦後の社会不安と世情の混乱状態は,薬業界にも統制撤廃,原料資材の欠乏,電力事情の悪化,金融梗塞などの悪条件をもたらし,一時は医薬品の在庫は枯渇し,保健医療上憂慮すべき状態となった。そのため,獣医用物資については,旧陸軍獣医部保有のものを,農林省の指令によって日本獣医師会が,返還物資処理部から,物資集積保管地の地方庁を経て有償払下げを受け,県獣医師会,試験研究機関,大学,獣医衛生関係団体などに配給した。医薬品のほとんどは局方品で,若干の軍用特殊製剤もあった。岡山県内においてもこれらの薬品や資材は,関係団体等に配給され,家畜の診療や試験研究などに大きな役割りを果たした。しかし,昭和24年(1949)ごろから大流行した牛流行性感冒の治療のために,そのほとんどが消費された。
 (2)動物用生物学的製剤の動向
 家畜防疫に使用される血清,予防液,診断液等の生物学的製剤の発達は,一般医薬品と違って,独自の発展を遂げてきたことは特徴的である。
 明治初年,牛疫を初めとする各種悪疫の侵入に対処し,政府は,東京市西ヶ原(現東京都北区)の農事試験場の一部に獣疫研究室を設置した。ここでは,明治30年(1897)牛疫免疫血清を製造したのを初めとして,明治32年(1899)には炭疸免疫血清およびツベルクリンを,明治35年(1902)には気腫疸免疫血清などを製造し,製剤の種類は年を追って増加し,大正12年(1922)には,血清8種類,予防液9種類,診断液7種類の製造を行なっていた。これらの製剤は,都道府県に無償配布され,家畜防疫に役立てられていた。
 一方,民間においても,その後生物学的製剤を製造するものが現われだした。大正7年(1918)農商務省令をもって「家畜に応用スル細菌学的予防治療品及診断品取締規則」が公布された。これにより,翌年北里研究所に対し,腺疫予防液,腺疫血清および狂犬病予防液の製造が認可された。これが,民間における最初である。その後千葉細菌学研究所においても製剤が始められた。道府県においてはこれより少し遅れ,大正10年(1921)埼玉県衛生試験場において狂犬病予防液の製造が認可された。このようにして,大正末期までにそれぞれ管内防疫に使用する目的で,狂犬病予防液,炭疸予防液などが,全国15府県で製造されるようになった。大正10年(1921)から獣疫調査所の製造品は有償となり,道府県の使用分に対しては3分の2の補助金が交付されることとなった。
 岡山県においては,大正12年(1923)に,県は岡山市天神町に家畜伝染病研究所を設置して,狂犬病予防液の製造に着手している。その後,炭疸予防液の製造も追加している。また,大正年代にいたり,輸入を目論む者が現われたので,政府は大正10年(1921)「家畜ニ応用スル血清其他ノ細菌学的予防治療品及診断品ノ製造輸入並ニ移入ニ関スル内訓」を発布し,その取締りを強化している。
 昭和年代にはいると,生物学的製剤の製造や輸入の気運は高まり,新製品の製造を行うものも増加した。しかし,第二次世界大戦の戦況非を告げるに及んで,製造用資材の欠乏,戦災による施設の壊滅等のため,事業を廃止するものが多く,終戦時に残存していた施設は19ヵ所であった。