既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第1節 家畜保健衛生対策

3 家畜保健衛生組織の変遷

(1)家畜保健衛生所の設置まで

 第二次世界大戦前は,県が直接全県下の家畜防疫対策に当たって,主要疾病別に,それぞれ専任技術者を設けていた。すなわち,畜牛結核病予防法施行規則(明治36年,農商務省令第4号)に基づく牛結核検査員,家畜伝染病予防法(大正12年,農林省令第8号)に基づく指定獣医師,馬伝染性貧血技術員あるいは骨軟症防止技術員などがそれである。
 昭和18年(1943)に至り,久しく発生を見なかったトリコモナス症が,苫田郡加茂町に侵入した。県は直ちに家畜防疫班を組織し,防圧に当たった結果,一時は終息したかに見えたが,翌19年(1944)に,防疫班の検診の結果,相当数の罹病牛を摘発した。これを契機として,翌19年(1944)7月,苫田郡加茂町に初めて加茂農業会家畜人工授精所が開設され,トリコモナス症の防圧と家畜人工授精の普及に目ざましい成果を収めた。これが家畜衛生の末端組織の確立された最初である。
 昭和22年(1947)11月,岡山県指定家畜人工授精所制度が発足した。これにより,新たに,真庭郡八束村,浅口郡鴨方町を初め,児島郡,津山市などに順次家畜人工授精所が設置され,昭和24年(1949)までに,県下13ヵ所に指定家畜人工授精所が開設された。これらには,県から専任技術者を派遣し,家畜人工授精の普及とトリコモナス症の防圧に専念させた。これが後に家畜保健衛生所へと発展したのである。
 戦後22年(1947)農業協同組合法が制定され,同年12月15日施行されるに及んで,翌23年(1948)8月15日限りで既存の県農業会などは解散させられることとなった。そのため,これらを根拠としていた家畜衛生関係の専任技術員は,おのずからよりどころを失う運命にさらされた。戦時中にはなはだしい打撃を受けた畜産を急速に復活して,食糧増産を進めなければならないとき,一刻も家畜衛生機能の停止を許すことのできない情勢にあったので,国においては,畜産審議会の決定に基づき,昭和23〜28(1948〜53)の第一次畜産振興計画の中で,地方衛生機構の再建を急ぐこととし,全国に500ヵ所を目標として,毎年100ヵ所の家畜保健衛生施設を,国の助成により設置することとなった。
 岡山県においても,先に設置した指定家畜人工授精所を基盤に,昭和24年(1949)に新しく鴨方(浅口郡鴨方町),草間(阿哲郡草間村・現新見市),中福田(真庭郡八束村)および加茂(苫田郡加茂町)の4ヵ所に家畜衛生保健所を設置し,家畜衛生の第一線の機関としてスタートさせた。その後,家畜保健衛生所法(昭和25年,法律第12号)の制定により,これらは名称を家畜保健衛生所と改めた。