既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第1節 家畜保健衛生対策

3 家畜保健衛生組織の変遷

(2)家畜保健衛生所の設置とその変遷

   1 家畜保健衛生所法の制定

 家畜保健衛生所法の公布されるまでの各県の家畜衛生組織は,家畜保健所,家畜衛生指導所,家畜衛生相談所,家畜衛生保健所などいろいろな名称で設置されていた。
 家畜保健衛生所は,第1に,家畜衛生の学理と技術を,広く農民の庭先に直結する機能をもたせる。第2に,諸法令がつぎつぎに改正されたので,馬産と畜産との行政の一本化や,獣医畜産行政機構の大幅な整備進展などに対応して,広く家畜衛生全般の末端機構とする。第3に,国および県の意思が機敏に反映しうる性格をもたせる,などの必要性により設置される機運が生じた。戦後,畜産先行によって復興を期そうとするわが国の農業のために,家畜保健衛生施設は,家畜衛生行政の面から末端における中核体として有機的に運営される全国的組織機構であるよう整備されることをねらいとして,昭和25年(1950)3月18日,法律第12号をもって公布され,同年4月1日から施行された「家畜保健衛生所法」に基づいて設置されることになった。

   2 家畜保健衛生所の誕生

 昭和25年(1950),家畜保健衛生所法の施行に伴い,従来から設置していた鴨方,草間,中福田および加茂の4家畜衛生保健所は,同年5月26日づけをもって同法による家畜保健衛生所となった。
 時あたかも,牛の流行性感冒の全国的な大流行があり,岡山県においても,昭和24年(1949)に2,540頭,翌25年(1950)には43,827頭の大発生があった。また,鶏ニューカッスル病が後月郡に発生し,あるいは,トリコモナス病の流行等,相つぐ悪性伝染病の大流行は,畜産農家に多大の被害を与え,家畜衛生上の不安が高まっていた時なので,一刻も早く防圧して被害を最少限に食い止める必要があった。このことから,獣医体制を強化し,家畜衛生組織を確立することを望む声は,家畜保健衛生所の設置気運を盛り上げたので,各地区からその誘致運動が起こった。法律施行初年度においては,先に設置した4家畜保健衛生所のほか,豊野(上房郡豊野村・現賀陽町),宇治(川上郡宇治村・現高梁市),倭文(久米郡倭文村・現久米町)の3ヵ所が新設された。
 翌26年(1951)には前年から準備の進められていた周匝(赤磐郡周匝村・現吉井町),日本原(勝田郡北吉野村・現奈義町),宇垣(御津郡御津町),落合(真庭郡落合町)および大原(英田郡大原町)の5ヵ所が開所された。これらは地域における家畜衛生の推進,とくに家畜防疫と診療に重要な機能を果たし,あわせて併設した家畜人工授精所に種雄牛を繋養し,家畜改良増殖と家畜人工授精の実務をも担当した。
 当時,県内各地から家畜保健衛生所の誘致運動が活発に行なわれた。昭和27年(1952)には,長浜(邑久郡長浜村・現牛窓町),児島(児島郡灘崎町),和気(和気郡和気町),総社(吉備郡総社町・現総社市),西江原(井原市),中川(小田郡中川村・現矢掛町),刑部(阿哲郡刑部町・現大佐町),奥津(苫田郡奥津村・現奥津町)の8ヵ所に家畜保健衛生所を設置し,既設のものとあわせて20ヵ所となった。当初6ヵ年計画であったものを,わずか3年で達成したのである。このような情勢の中にもなお,各地から設置希望は多かった。しかし,家畜保健衛生所の設置気運は,全国的に非常に高かったので,国からの設置枠に制限があった。そこで,本県ではやむなく支所を設置することにより,これに対応した。すなわち,美山(小田郡堺村・現美星町),勝山(真庭郡勝山町),美甘(真庭郡美甘村),弓削(久米郡弓削町・現久米南町),福渡(久米郡福渡町・現御津郡建部町)および,豊国(英田郡豊国村・現美作町)の6支所を設置した。これにより昭和27年(1952)度末には,本所,支所合せて26ヵ所の家畜保健衛生所が完成し,おおむね全県下をもうらする家畜衛生組織ができ上った。
 その後,昭和32年(1957)には,倉敷支所(倉敷市)を設置したが,同年中に中福田家畜保健衛生所は酪農試験場蒜山分場となり,同時に倉敷支所が本所に昇格した。翌33年(1958)には,新郷支所(阿哲郡神郷町)を,34年(1939)には赤坂家畜保健衛生所(赤磐郡赤坂町)を増設した。
 これら28ヵ所の家畜保健衛生所および同支所は,めざましい発展をとげる畜産の第一線の指導機関として,家畜衛生の向上,家畜改良増殖の推進等に積極的に機能した。各家畜保健衛生所の概要を一括表示すれば表7−1−15のとおりである。

 昭和34年(1958)家畜保健衛生所10周年記念事業が盛大に開催された。すなわち,同年11月5,6両日に岡山市の岡山県貿易産業会館において岡山県大会が開催され,功労者の表彰,記念講演会,記念誌の発行,業績発表など多彩な行事が催された。中国ブロック記念式典も,岡山市の葦川会館で開催され,さらに翌年4月に東京都において全国大会が開催された。その後,毎年家畜保健衛生所業績発表大会が開催されて今日まで続いている。

   3 家畜保健衛生所の整備統合

 (1)整備統合の背景

 昭和25年(1950)家畜保健衛生所法の制定以来,34年(1959)までに県下28ヵ所に設置した家畜保健衛生所およびその支所は,家畜防疫のほか,家畜診療,家畜人工授精,その他家畜衛生業務全般を担当する県の第一線機関として,地域畜産関係者の期待によくこたえた。昭和37年(1952)におけるおもな業務実績は表7−1−16のとおりである。

 しかし,家畜の飼養形態の多頭化,集団化の中にあって,伝染病の多発や,従来見られなかった新しい伝染性疾病の発生があったり,また,ひとたび発生すれば,常在化の傾向が見られるようになり,大規模な畜産経営ほど被害も大きくなるという傾向になったので,これに対処して,従来の個体衛生対策から,集団衛生,予防衛生へ移行することの重要性が強くなった。
 これにより,家畜保健衛生所を整備統合して,施設を充実し,検査機能の向上と人容の拡充を図り,併せて職員の専門化を行ない,早期診断と適確な防圧対策を講ずることが必要となって来た。

 (2)家畜保健衛生所の第1期整備統合

 昭和38年(1963)に作成された家畜保健衛生所の整備統合案によると,@県下28ヵ所の家畜保健衛生所およびその支所を農林事務所単位に各1ヵ所(9ヵ所)とする。A残る19ヵ所を当面は支所とする。B家畜診療,家畜人工授精業務は2ヵ年計画をもって民間へ移譲し,同時に支所を統廃合する。C年を追うて施設を整備し,時代の要求にこたえられる体制を整える。D機動力を整備して広域的活動ができる体制とする。E職員の専門化を図る。などであった。これらの計画案の実施時期,方法等具体的な問題については,地元関係者ならびに有識者等の意見をも聞きながら調整を図ることとし,実施は翌39年(1964)4月1日とした。すなわち,従来の家畜保健衛生所のうち,御津を岡山に,和気を和気に,倉敷を倉敷に,中川を笠岡に,豊野を高梁に,草間を新見に,勝山を勝山に,加茂を津山に,美作を美作にというように,それぞれ所轄農林事務所の名称と同じ名称の本所とし,残る19ヵ所は各農林事務所管内ごとに支所とした。
 業務面においては,開設以来長年にわたって実務を担当していた,家畜診療並びに家畜人工授精を2ヵ年計画をもって民間へ移譲することになった。家畜診療については,農業共済組合,開業獣医師,畜産団体等の獣医体制を確立するよう推進し,家畜人工授精については,昭和39年(1964)4月に結成された,岡山県家畜人工授精師協会を母体とする家畜人工授精組織を育成強化しながら,これに移譲することとした。一方,新しく整備統合した家畜保健衛生所は,家畜診療,家畜人工授精業務に代り,@家畜防疫の強化と防疫組織の確立,A家畜集団衛生対策の推進,B衛生思想の普及向上,C技術研修,D病性鑑定業務の強化,E生産衛生指導の推進等の業務を重点に実施することとなった。
 当時はまだ,新しい家畜保健衛生所がその機能を十分発揮するには,種々の問題があった。中でも,本所を地域の中心地に移転し,施設を整備することと,支所を廃止して本所の人容の充実を図ることなどが先決かつ必須条件であった。まず,昭和41年(1966)4月1日をもって辺地にある家畜保健衛生所本所の事務所を移転した。すなわち,岡山家畜保健衛生所を御津町から一宮町(現岡山市一宮)に,高梁を賀陽町から高梁市に,新見を新見市草間から同市高尾に,津山を加茂町から津山市に,それぞれ仮事務所を設けて移転した。併せて施設の拡充を図るため,同年から5ヵ年計画をもって,笠岡,高梁,岡山,津山,勝山の5ヵ所を新築または改築し,広域家畜保健衛生所とした。さらに,19ヵ所の支所についても,地域における家畜診療ならびに家畜人工授精体制の整備状況を勘案しながら統廃合することとなり,まず,同年3月31日をもって,長浜・児島・赤坂・総社・鴨方・井原・宇治・刑部・神郷・落合・弓削・福渡・奥津および大原の14支所を廃止した。ついで翌42年(1967)5月1日をもって,それまで地域の診療体制の整備ができなかったため存続していた,吉井・美星・美甘・倭文および日本原の5支所を廃止して,それぞれ本所に統合し,第1期の家畜保健衛生所の整備統合を完了した。
 このほか,昭和41年(1966)には,真庭郡川上村に設置されていた岡山県酪農大学校が中国四国酪農大学校に改組されたので,同校が実施していた,ジャージー種の人工授精用精液の供給を継続するため,同校の衛生研究所施設の移管を受け,勝山家畜保健衛生所蒜山駐在所を開設し,種雄牛の繋養と精液の供給業務を実施した。この施設は昭和47年(1972)第2期の整備統合に当たり廃止した。

 (3)家畜保健衛生所の第2期整備統合

 家畜保健衛生所の再編整備について,昭和40年(1965)11月5日づけで,農林事務次官通達が出された。その概要は次のとおりである。
   最近における畜産の主産地化の進行,家畜の多頭羽飼養の進展からみて,限られた人員を多数の家畜保健衛生所に広く配置しておくことは適切ではなく,また,現在の家畜保健衛生所の構造,設備では十分な家畜衛生行政を講じえなくなる事態も考えられる。よって「家畜保健衛生所整備方針」により昭和40年度からおおむね5ヵ年をもって,計画的に家畜保健衛生所の統合を中心とする再編整備を行うこととしたので,ご了知のうえ,都道府県家畜保健衛生所整備計画の策定および実施に努められたい。
 岡山県においても,国の示す基本方針に基づき,広域家畜保健衛生所を設置すべく,関係者の意見を聞きながら,計画案の検討を進めた。計画は,家畜の分布,家畜衛生を中心とする業務量,将来の見通し,あるいは,地形,交通等種々の要件を考慮し,県下を5地域とする案を決定し,農林大臣あてに計画案を提出した。
 その後,この計画を実現するために種々の準備がなされたが,第一次整備統合以来日なお浅く,ために地域住民感情等複雑な要因が交雑した。しかし,家畜保健衛生所の近代化を図ることの重要性から,関係者の理解と協力を得て,国の再編整備計画の最終年次にあたる昭和46年(1971)度末をもって,第二次整備統合計画ができ上った。これにより,昭和47年(1972)4月1日から,岡山・笠岡・高梁・勝山および津山の5ヵ所を広域家畜保健衛生所とした。施設についても,国の助成を受け,昭和41年(1966)に笠岡家畜保健衛生所本館を新築したのを初め,45年(1970)まで毎年1ヵ所ずつ,高梁・岡山・津山・勝山の順に新築した。なお,残る和気,倉敷,新見および美作の4家畜保健衛生所は,それぞれ広域家畜保健衛生所に統合したが,地域における諸情勢を考慮して,それぞれ家畜衛生センターとして,地域の家畜衛生対策ならびに家畜防疫業務の一部を担当することとなり今日に至っている。