既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第1節 家畜保健衛生対策

3 家畜保健衛生組織の変遷

(3)家畜衛生検査施設

 戦前における家畜防疫組織は,既述のように,県本庁で全県下の業務を直接実施しており,末端組織はほとんどなかったが,次のような衛生検査,予防液の製造等の施設を設置して,家畜防疫の推進を図っていた。すなわち,大正12年(1923)に岡山市天神町に初めて独立した岡山県家畜伝染病研究所を設け,専任の職員を配置した。施設は細菌検査室,実験室等で,ふ卵器等の器財も装備しており,当時としては近代施設であった。業務は,家畜伝染病の診断のほか,狂犬病予防液,炭疸予防液の製造等であって,その業績は,全国的にも認められていた。その後,気腫疸予防液の製造も追加し,業務内容の充実が図られた。その後,名称を岡山県家畜衛生研究所に改め,以来昭和20年(1945)6月の岡山市の大空襲によりすべてが烏有に帰するまで存続した。残念なことに,当時の記録はすべて焼失し,業務実績についての記録は残っていない。
 戦後,岡山市上伊福の旧県庁にこの施設を再建し,馬伝染性貧血検査を初めとする家畜伝染病の診断ならびに衛生検査業務を再開した。
 昭和25年(1950)7月に,家畜衛生試験所設置条例(岡山県条例第47号)を制定し,家畜衛生試験所の性格を明文化した。しかし,この時は,職員は畜産課衛生係員の兼務によった。その後,昭和32年(1957)7月5日,県庁が岡山市内山下の新庁舎に移ったのに伴い,家畜衛生試験所は,新庁舎別館2階に実験室と検査室の2室をもち,昭和43年(1968)に家畜病性鑑定所に業務移管するまで継続した。しかし,職員は従前どおり衛生係員の兼務であったためと,一方家畜保健衛生所の充実により,業務を漸次これに移管したため,家畜衛生試験所としての実績は,特策するほどのものではなかった。
 昭和37年(1962)ごろから,豚コレラ,豚丹毒の発生に引き続き,昭和42年(1967)には鶏ニューカッスル病の大流行があった。さらに,炭疸,豚萎縮性鼻炎等相つぐ悪性伝染病の発生があって,家畜防疫には,早期に適確な診断と初動防疫の強化が,最大の課題であった。一方,整備統合して大型化した家畜保健衛生所の機能向上と,多様化する家畜衛生対策に対応するには,病性鑑定機能の向上が望まれるようになった。昭和42年(1967),家畜衛生試験所の改革案が具体化し,翌43年(1968)3月30日,岡山県家畜病性鑑定所条例(岡山県条例第13号)が制定され,4月1日,岡山県家畜病性鑑定所が,岡山市西辛川の旧岡山県家畜人工授精所あとに開設された。取りあえず,備品・器材等は旧家畜衛生試験所のものをあて,所長は畜産課長兼務であったが,専任職員2名を配置して,病理,細菌の2部門をもって業務を開始した。45年(1970)にウイルス部門を,47年(1972)に生化学部門を設け,施設も増築して専任職員を配置するなど強化充実を図った。昭和51年(1976)に至り,飼料検査部門をここに設置した。同時に職員の増員および専任所長の配置等年々強化充実された。業務においても,家畜保健衛生所との連携のもとに,病性鑑定,病原の究明,衛生検査業務を初め,技術指導等を実施している。開設以来の事業量は,表7−1−18のとおりである。