既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第2節 獣医師制度とその変遷

2 獣医学教育の変遷

(1)明治初期から昭和戦前期まで

 明治14年(1881)4月7日,農商務省が設立されたのを機会に,獣医衛生業務はその所官に移された。同年12月31日現在をもって,獣医数の全国調査が行なわれた。このとき,岡山県の場合,獣医師の開廃業等を衛生委員へ通知することとしていた。(岡山県(昭和13年)『岡山県郡治史』)。そして調査の結果,表7−2−6のとおり当時の実態を明らかにした。これによれば獣医数は,全国で5,958人,岡山県は285人であった。この中には鍼治,蹄鉄の業を営む者も含んでいたので,果たして何人の獣医師が含まれていたかは,必ずしもつまびらかにできない。当時はまだ漢法馬医が主流をなしていた時代である。

 明治18年(1885)8月22日に,太政官布告第28号「獣医免許規則」ならびに,「獣医開業免許試験規則」が制定され,翌19年(1886)から施行された。これによって,官公立の学校において獣医学の卒業証書を得た者および試験合格者に,農商務卿から開業免状が与えられることになった。しかし,新しい獣医学を修めた者がまだ少なかったので,府県の実状に応じて,経験を経ることなく,履歴によって仮開業免状を授与することも認められ,2本建てとして出発している。これによって,20年(1887)12月までに獣医開業免状の下付を受けた人員は,表7−2−7のとおり,全国で開業獣医師900余名,仮免許者はこれのほぼ倍であった。岡山県では,開業獣医師数は比較的少ない方であった。

 なお,参考のため,当時の家畜診療料金を示せば次のとおりであった。すなわち『牧畜雑誌(第14号)』(明治22年8月10日)によれば当時東京市麻布に設立された家畜病院における入院料,薬価ならびに往診料等は次ページに示すとおりであった。ちなみに,同年の米価は,石当たり4円07銭であった。
 明治23年(1890)8月,「獣医師免許規則」は,法律第76号をもって改正されたが,これは骨子が変ったのではなく,ただ罰則が強化されたもので,仮免許制度はそのまま残されていた。
 この改正に伴い,「獣医免許試験規則」も改正され,従前からの試験科目,すなわち家畜解剖学,家畜生理学,家畜薬物学,家畜内科学,家畜外科学のほか,新たに内科および外科実習ならびに蹄鉄学とその実習が加えられた。また,「獣医蹄鉄工学則認可請求方」を公布し,広く獣医への道を開いた。これにより,駒場農学校の卒業生が世に送り出されて10年を経,近代科学をとりいれた獣医学による獣医師養成時代を迎えることになったのである。なお,修業年限は,獣医学校は満3年以上,蹄鉄学校は満1年以上となっている。
 岡山県では明治27年(1894)県議会の建議もあり,翌28年(1895)から獣医師2名を雇い入れ,牛種改良,獣医教育,獣類伝染病予防制圧などの畜産保護についての諸事項,屠殺検査の監督,牛乳検査等を行なわせている。
 この雇い入れ獣医師は,明治35年(1902)4月1日農事巡廻教師に,同39年(1906)10月農業技師にそれぞれ名称を変更したが,その職務は変ることなく,専ら畜産の改善に従事したものであった。

1,入院料 1日分      
大動物 牛馬     金40銭
中動物 羊,豚,山羊 金20銭
小動物 犬,猫,家禽 金10銭
 

1,薬 価 
内服 1日分
大動物 金15銭
小動物 金10銭

外用
水薬毎100グラムにつき 金 8銭
点眼水毎10グラムにつき 金 3銭
膏薬毎30グラムにつき  金 10銭
油剤及擦剤毎100グラムにつき金10銭
灌腸薬 1日分
        大動物 5銭
        小動物 2銭
薬剤入器具及繃帯は実価申受け

1,外来患畜診察料
大動物 金50銭
中動物 金20銭
小動物 金10銭

1,往診料 1回分 金1円
この金額を支出し難きものよりはこれを受けず。

1,蹄鉄料
1回分馬1頭につき金25銭ないし1円

 明治29年(1896)4月1日,岡山市津島(現在の岡山大学構内)に岡山県農事講習所が設立され,同32年(1899)1名の獣医師が卒業している。同年4月1日,この講習所は,吉備郡高松町原古才(現岡山市)に移策され,岡山県立農学校として出発した。明治33年(1900)前記農事講習所から引き継がれた者(岡山県立農学校の第1回卒業生)18名が獣医師として卒業した。この中には,のちに陸軍獣医総監となった池田卓蔵をはじめ,伴仲蔵,大畠三枝松等があった。
 大正年代から昭和年代になると,各地に獣医専門学校が設立されて,獣医学教育は次第に高度なものとなった。昭和14年(1939)以降は,専門学校卒業以上で獣医学を修めた者および戦時特例による獣医手が,獣医師試験に合格した者に免許が与えられることとなった。このようにして,獣医師の社会的地位は格段の向上をみたのである。
 大正3年(1914)12月末における岡山県の獣医師および蹄鉄工の数は表7−2−8のとおりであった。