既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第3節 家畜人工授精の発達

3 加茂家畜人工授精所

 岡山県において和牛の人工授精がはじめて本格的に行なわれたのは,昭和19年(1944)7月に開設された苫田郡加茂農業会家畜人工授精所においてである。
 この地方は,昔から加茂牛の名で知られた和牛の産地であって,当時成牝牛700頭,種牡牛9頭をもって,年間600頭の子牛を生産していた。
 昭和18年(1943)1月,ここに久しく発生をみなかったトリコモナス病が発生したが,県の防疫活動により7月には終息した。
 ところが翌19年(1944)1月,再度同病が発生し,同年5月の検診により種牡牛9頭中健康牛は1頭となり,雌牛で病牛51頭,注意牛69頭という惨状にあることがわかり,県畜産課や,県農業会等関係機関の協議検討の結果,防疫と子牛生産増強のため人工授精を導入することに衆議一決し,前述のように人工授精が始められたのである。当時人工授精はまだ珍しかったので,畜産技術者の間にも疑念を抱く者もあり,まして,農民や,関係業者の認識は低く,種々非難や抵抗があって,事業の定着までには,なみなみならぬ努力を要したが,県の強力な指導援助により,国から多額の施設費補助もあって,人工授精師2名を配置して事業を推進した。翌20年(1945)5月から多くの産犢を見るに及んで,一般農民の信頼を得るようになり,事業は軌道にのった。
 昭和22年(1947)11月,県の指定家畜人工授精所となり,翌23年(1948)5月には県から責任技術員の駐在も実現した。同年7月,農業会の解散に伴い,加茂農業協同組合の経営となった。翌24年(1949)3月,加茂家畜衛生保健所が併設され,25年(1950)5月,家畜保健衛生所法(法律第12号)により,これが岡山県加茂家畜保健衛生所となると,翌26年(1951)3月,人工授精所を県営に移管することになり,人工授精所の土地建物等について県と貸借契約を結び,種雄牛を県に移管した。
 以上が加茂町(1954)による「加茂家畜人工授精の歩み」にみる同所の沿革である。昭和29年(1954)現在において人工授精に供用している種雄牛が8頭あってその成績のは次のとおりとなっている。