既刊の紹介岡山県畜産史

広島大学文学部教授 
 文学博士 石田 寛
 ドクター オブ フィロソフィ

 本書は,かって岡山県農林部畜産課に勤務した人達の呼び掛けにより,現職の方々,畜産関係団体の職員の方々が一丸となって作製された全国にその類例のない畜産史である。執筆者たちは,家畜・家禽・飼料,衛生などその道の専門家であるだけでなく,県下各地隅々まで足を運びその土地柄まで知りつくしている。それだけではない。牛馬をわが子のごとく愛してきた篤農家,企業としての酪農・肉用牛肥育・養豚・養鶏を発展させてきた農家を彼らはよく知っている。土地と人をよく知っているうえに,長年にわたる研究・言い伝えの蓄積が,かれらにはある。記述内容には臨場感があり,各地域の生活,人々の息吹が感じられ,読む者を引きつけずにはおかない。
 かくて,本書は土の香り高く古里への郷想をさそうものである。本書の最もユニークな点は次の点にある。政府の農政の大綱,各種立法に基づいて,県として条例を設定し,振興計画など具体的施策を立て,行政的に技術的に地域農家を指導し,農家と共に事を処してきた県当局者ならびに団体指導者の生々しい記録である。従って中央と地元の板挟みになりながら,あるいは巨大資本と零細農家の間に立って,使命感にもえて畜産振興に当たった男たちが提供する記述として,本書は資料的価値が高い。
 本書は総論(4章)と各論(8章)の2部門からなる。総論において,全国畜産との比較関連,岡山県畜産の時代区分,地域区分の資料をふんだんに提示してくれる。牛馬の姿は,もはや農村の風物詩ではなく,一般の生活実感から遠退いているので,家畜・家禽飼養頭羽数は減少し,畜産は衰退してしまったかのように一般に考えられがちであるが,実はそうではない。各種家畜,家禽を家畜単位に換算して,検討してみると,昭和35年ごろまでは,約12万家畜単位いたが,高度経済成長とともに増加し,今日では約17万家畜単位にまで達しているのに驚く。そして,家畜構成,飼養形態,地域的分布に大きな変化をきたしている。総論ではかくのごとき時代の推移,立地移動の大勢を述べ,各論における詳論の位置づけを行っている。
 各論では2大家畜乳牛・和牛,次いで「非土地的農業(広義)」の主役鶏・豚を取り扱っている。そして牧野。飼養作物・流通飼料を論じ,最後に家畜衛生などを取り挙げる。巻末に,統計・年表などを付して利用者の便に資するとともに本書全体をしめている。これらは実に貴重な資料で,さらに新しい研究を生み出す糧となるであろう。
 「和牛日本一」を誇った和牛王国岡山も,今では家畜単位に換算してみると,和牛(2.9万)は,鶏,乳牛にすっかり追い越されて,第3位におち,豚に迫られている。ところが最近における高度経済成長・農業の機械化以前,すなわち昭和30年以前にあっては,和牛が県内の農家・地域経済に果たした役割・意義は実に大きかった。そしてまた,全国的にみても,岡山の牛の果たした技術的・経済的意義が大きかっただけでなく,日本の農山村の社会的研究に貴重な資料を提供してくれる。即ち,岡山の役牛が,日本農業技術発達史に果たした役割(畿内に送られた東牛,大車,畜力除草機を引いた役牛,季節的に大移動した鞍下牛)などは,その意義の再検討がまたれている。中国山地帯の放牧慣行(ゆるす・放飼・夏まや・春山・秋山など)は日本の村落共同体研究に重要な一環を提供している。明治維新期県下所々に建設された米国式大農牧場は,第二次大戦後の酪農型開拓村をも想わせ,日本農業の資本主義発達の問題を研究するうえに重要な鍵を秘めている。
 明治期における和牛改良(雑種牛の問題も含めて)は,まさに「白の革命」(穀物増産の「緑の革命」に対するもの。発展途上国より,日本は7,80年先行)として意義深いものがある。良質和牛生産地たる岡山県内には,全国的大規模牧場が多数立地し,西牛・東牛の送り出しや,さらに,東日本が「馬を牛に切り替える」ため子牛送り出しに大きな役割を果たした。そして,その牛市は町発展の原動力ともなった。今日では和牛は役牛としての重要性をそう失しているだけでなく,肉畜としても,量的な割合をいちじるしく低下させている。すなわち,肉用牛のうち乳用牛(乳おす)の占める割合が,最近急増している(昭和54年2月,和牛2,9万,乳おす1,2万頭)。そして和牛とか黒毛和種というなつかしい語が統計書から姿を消し,昭和37年からは肉用牛という語のもとに,乳用種も和牛も一括して取り扱われるようになっている。全国的にみると,乳用種5.8,和牛4.2の割合で屠殺されているのに比べると,岡山県では肥育和牛の割合が高いところに過去の和牛王国岡山の残映がみられる。
 県民飲用の牛乳は勿論のこと,食用牛肉についても,牛肉の半分近くが乳用種の肉となっているほど,乳牛は住民の食生活と直結している。統計的にみると,肉用牛飼養頭数,飼養戸数が急減し,1戸当たりの飼養頭数も,岡山は全国平均以下である。
和牛よりも先にその役割をそう失し,その数を急減していったものに馬がある。具体的数字・事実をあげて,これら役畜と人間のかもしだした土くさい歴史を,本書は提供している。
 乳牛は,乳用種4.8万,肉用乳用種2.1万を合わせ約7万頭(7万家畜単位)をかぞえ,第1位の鶏(8.2万家畜単位)に次いで第2位の座を占める。岡山県は立地的にはさほど優れているとはいえないが,指導のよろしきをえて関西第1の乳牛県に成長している。乳牛飼養農家は,1キロ当たりミルク生産費の低下をめざして,飼養規模拡大をはかっている。その過程で小規模飼養家は脱落し,経済規模(economic size)に達している畜産家もかなり生まれている。
 洋牛・雑種牛・乳牛の導入についてのエピソードも,和牛や馬に劣らず沢山あり,それは「酪農革命」の世界的進展考察の1資料たりえよう。岡山在住外国人に供給することから始まった牛乳屋・米国式大農牧場(ランチ),大阪市乳業者揺らんの地たる邑久郡の先駆的乳牛受託飼養者たち,ジャージー種乳牛集約酪農地域の形成・企業的酪農家の成長発展,混合農業など,一般的にもっと知りたく,学術的にさらに探究すべき課題が,本書のなかにさりげなく,淡々と語られている。
 豚と鶏は,わが国では,牛馬と違って飼養のための広い土地を用いず,狭い限られた面積で飼養可能な動物である。日本では肉や乳など畜産物の値段が国際的にみて信じられぬほど高価であるなかにあって,豚と鶏の肉,卵は以前から国際価格と均衡がとれているものである。この鶏と豚とに最近その頭羽数の急増がみられる。それだけに問題も多い。
 鶏は岡山県の家畜・家禽の総家畜単位の半分近く(8.2万家畜単位)を占め,経営の大規模化においても,他の家畜より進んでいる。高度経済成長下で,和牛がその数と重要性を減少していくのと反対に急速に増加していったのが,この鶏である。「緑の下養鶏」からケージ養鶏へと変わり,規模拡大と飼養方式の根本的変革を,畜産の諸部門の先頭を切って達成したのがこの養鶏であった。その増加率はブロイラー(肉用鶏)において特に顕著である。鶏は岡山県下において,他の家畜に比べて,重要度をいちじるしく高めているものの,全国の最近20年間の趨勢からみると,岡山の伸び率は,終始全国第3位の養鶏県を誇っていたものが,新興養鶏地に追い越され,最近は全国第10位に落ちている。
 鶏についで,規模の経済を追求しているのが養豚部門であり,ケージ養豚に向かっている。本来,豚は岡山県にはあまりなじめない部門であった。明治33年ころから豚飼養が始められ,第一次大戦まで小田郡を中心に県全体で,わずか数100頭程度飼育されていたにすぎなかった。第一次大戦末期から増加したとはいえ千から数千頭の間を〈豚周期〉を繰りかえしてきたが,第一次大戦末期大打撃をうけた。養豚はこのような貧弱な歴史しか持たなかった。昭和25年ころから回復増加しつづけたが,それが飛躍的増加をみたのは,昭和36年からの県の積極的増殖策や清浄豚の実用化技術の体系化の成功による。折からの高度経済成長に支えられ,食生活の改善の一翼をになうべく,飛躍的増加をみるにいたった。その反面,豚肉の味の低さを訴える声が最近きかれるようである。家畜単位で比較すると1.8万(昭和54・2)で和牛(2.1万,同年)に肉迫しつつある,とはいえ全国的養豚盛行のなかにあって,岡山県は依然として全国最低県の1つ(第36位)の域を脱しえない。
 牧野・飼料の面に,畜産の変化が,具体的に反映している,乳牛の導入が,外来牧草による草地改良を促し,山間部の在来野草地の共同放牧場の草地改良から(県営,団体営),平坦部畑地・水田作物の飼料作物転換まで進展している。すなわち,旧二川村(湯原町)の階段耕方式草地改良(昭和30年春播,70アール)を手始めに,昭和35年から40年にかけてグリーンプランを実施して飼料作物の増産態勢を確立した。同時に中国山地で大規模草地改良事業を推進し(蒜山と上斎原・奥津),引続いて,中南部山間で県営草地開発事業を実施し,酪農および肉用牛経営の安定的発展を図った。
 飼料作物としては外来のイタリアンライグラスが終始第1位で,長年親しんだれんげは第2位の座からおち,外来の青刈とうもろこし,ソルゴーが,それぞれ第2,3位を占めている。草地化・飼料圃の進展にもかかわらず,県下酪農家・混合農家の自給飼料依存率はまだ低い。ジャージー種以外では一般的に放牧・放飼をせず,フィールドロット方式による乳牛飼育にならざるをえない岡山(県南)の酪農が,もしきびしい国際競争裡に立たされるならば,いかに脆弱であるかということも察せられよう。
 幕末期において,蔓牛造成が農民によって所々で行われたほど畜産熱心なこの土地柄の伝統は,技術衛生面に受け継がれている。明治14年去勢を日本で最初に行ったという画期的技術,県レベルでの試験場(和牛,酪農および養鶏3部門)を他県に先駆けて造り,(昭和31),技術・経営の指導を行った岡山県だけあって,技術家畜(禽)衛生面にも注目すべきものが多々ある。その主要なものを列挙すれば次の通りである。(イ)気腫疸ワクチン接種試験(明43・2),(ロ)炭疸,気腫疸ワクチン製造防疫(大12),(ハ)牛肺疫に対する組織的防疫(大14),(ニ)トリコモナス病対策と人工授精の実用化(昭18〜19),(ホ)豚の萎縮性鼻炎防疫と清浄豚の導入(昭41),(ヘ)凍結精液の実用化(昭43),sアカバネウィルスの分離に成功(昭49)。
 企業的大型化,生産性向上,収益率向上を可能ならしめるために,品種改良・家畜衛生・草地改良・飼料作物導入などのための,技師たちの地味な仕事,農家の涙ぐましい努力・苦闘があった。これらに就いての控え目な叙述の行間に,土地柄や時代の息吹が感じられる。
 家畜のなかの主役が,時代的に役牛馬から乳牛や鶏に変わったばかりでなく,主要飼養地にも大きな変化が見られた。江戸時代中期ころまでは,県南部の所々に多頭飼養(数頭程度)がみられ,そこで生まれた子牛が大阪天王寺牛市で売られていた。幕末期から中国山地で大型の牛が農民の手によって作り出され,上方博労によってその商品化がすすみ大和の蛇穴,河内の駒ヶ岳牛市へ送られ,中国山地が畜産の中心地へと発達し,多頭飼養農家(10頭程度まで)があらわれ,稲・和牛の混合農業が成長していた姿が大正12年刊行の『産業調査』(岡山県)にもみられる。
 二度の大戦を経て畜産は大きく変っていく。都市化・工業化・経済の高度成長・都鄙人口移動の影響をもろに受けて,従来の生業的牛飼いや「縁の下養鶏」は,その性格を一変する。すなわち,企業として成り立たないものは,生き残りえず,姿を消していくほかなかった。見方を変えれば,大型化の契機をつかんだものは〈選択的拡大〉の旗手として期待されたのである。相当数の乳牛と稲作併営の混合農業,更に牛乳販売収入が農業収入の大部分を占めるまでに乳牛を増やした酪農も出現している。大規模肥育牛農家もあらわれている。さらにまた工場のような養鶏場や養豚舎が出現している。これら畜産専業,しかも経済規模として成長している現状は,一般的にも学問的にも注目に値する。協業形態,大企業によるもののほか,個人経営も伸び,しかもグループを作って地域的に伸びつつあるところも見られる。牛は「山の産物」として挙げられたことさえあった。その畜産が今では,津山盆地,岡山平野,しかも都市近傍へと立地移動し,畜産地域はすっかり変化し,新しい農業畜産地域が形成されつつある。多頭飼育・生産団地造りなど経済性の追求・企業化が進展しつつある。
 この趨勢の取り残された北部山村の自然資源・地域条件や,老人層の牛飼い・養鶏についての豊かな経験などを,県は見直し,底辺を広げる牛飼いや福祉養鶏を改めて考えようとしている。「作られる味覚」に対して,昔ながらの卵・かしわの味,岡山牛の味の温存・賞味が,最近期せずして語られてのも無理からぬことであろう。 
 『岡山県畜産史』は,かくのごとく,単なる牛馬史でなく,家畜・家禽と人間のかかわりの歴史,家畜を指摘する人間の歴史である。本書は,岡山県最初の畜産史であるばかりでなく,畜産を中心とする農業史であり社会経済史である。そしてまた畜産地域形成史であり,畜産を指標とする地域研究でもある。