既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第1章 酪農の発展

第1節 酪農の展開

3.昭和年代の酪農

(2)第二次世界大戦中の酪農

  1 岡山県の新酪農建設計画

 県及び関係団体が酪農を振興するために昭和18年(1943)に樹立した次の計画について,原文のまま記せば次のとおりである。
 本県ノ酪農ハ其ノ根源ヲ明治維新ニ発シテ既ニ80年,其ノ間或ハ経済界ノ変動ニ,或ハ支那事変,大東亜戦争ト幾多ノ難関ヲ突破シツツ今日ニ及ベルモノナルガ,大東亜戦争ハ日々其ノ深刻度ヲ加ヘ,今ヤ将ニ決戦ノ様相ヲ示シツツアルガ,吾ガ酪農界ニ於テモ,戦時下労力,飼料事情等,1日ノ愉安ヲ許サザルモリアリ。然ルニ大東亜戦争完遂上不可欠ノ要素タル健民政策上,牛乳ノ需要又益々多キヲ加ヘ,南方共栄圏向輸出乳製品ノ増産愈々急ナルモノアリ。然ルニ,本県酪農業ヲ顧ルニ,旧態依然タルモノアリ。今ニシテ之ガ改革ヲ断行セズンバ,本県酪農ノ衰微ハ勿論,国民保健栄養上洵ニ寒心ニ堪ヘザルモノアリ。
 仍テ左ノ対策ヲ講ジ以テ本県酪農業永遠ノ発展策ヲ講ジ,戦力増強ニ寄与セントス。

  岡山県酪農組合連合会ノ設立(昭和19年1月20日)

   目的
 県下酪農家ノ総親和ヲ図リ,且ハ牛乳ノ集出荷ノ一元的統制,奨励施策ノ総合運営,飼料配合ノ統制ノ為適当ナル機関タラシメ,別ニ定ムル牛乳代価決済措置ノ新事務ヲ担当セシメ,併セテ牛乳ノ購買,販売斡旋並ニ酪農ニ関スル指導督励ニ当ラシムルヲ以テ目的トス。
   構成
 現在本県ニハ牛乳生産者団体トシテハ,岡山,玉野,御津,赤磐,和気,邑久,上道,児島ノ二市六郡ヲ区域トスル岡山販売購買利用組合及倉敷,都窪,浅口,小田,後月,吉備,上房,川上ノ一市七郡ヲ区域トスル山陽酪農販売購買利用組合ヲ有スルモ,右ノ両者ノ何レニモ属セザル津山,阿哲,真庭,苫田,勝田,英田,久米ノ1市6郡ニ新ニ任意団体タル岡山県北部酪農組合(仮称)ヲ設立セシメ,此ノ三団体(以下各組合ヲ単ニ酪農組合ト称ス)ヲ以テ岡山県酪農組合連合会(仮称以下単ニ酪連ト称ス)ヲ設立セシムルコト。
   経営(略)

   牛乳ノ集荷統制

 県内ニ於テ牛乳ノ生産ヲ業トスル者ハ,飲用牛乳トシテ小売販売スルコトヲ目的トシテ処理スルモノ,及特別ノ事由ニヨリ酪農組合長ノ承認ヲ受ケタルモノヲ除クノ外,其ノ生産シタル牛乳ハ,其ノ牛乳ノ生産地ヲ区域トスル酪農組合ニ用途ヲ指定セズシテ販売又ハ販売手続方ヲ依託セシメ,組合ハ牛乳ノ量及規格ヲ量定シテ受入レ,一定期間毎ニ酪連ニ報告セシムルコト。

   牛乳ノ販売統制

 牛乳ノ用途別配分ハ,用途別需要ノ実際ニ基キ,岡山県酪農協議会ノ運営ニヨリ,知事之ヲ決定,酪連ニ指示シ,酪連は右指示ニ基ク数量ヲ地域的ニ考察ノ上,各酪農組合ニ割当ヲ行フコト。

   市乳対策

 現在ノ飼料並ニ労力関係ヨリ,都市搾乳業ハ其ノ経営次第ニ困難ニナリ,産乳量ハ漸次減ノ傾向ニアル。都市飲用牛乳ノ供給源ハ之ヲ確保スル必要アリ。而シテ各都市ニ於ケル飲用牛乳必需見込量及現在生産可能乳量ヨリ考察スルニ,岡山市ニ於テハ,八石,倉敷市ハ近隣ノ連島町ヲ含メテ三石,津山市ニ於テハ二石,玉野市ニ於テハ四石ヲ夫々市外ヨリ供給セザルベカラズ。之ガ為,乳牛飼養ノ特殊性,牛乳輸送関係及飼料自給可能限度等ヨリ勘案シ,一町村最低20頭,一日産乳量一石ヲ標準ニ,立地的ニ乳牛奨励施策ヲ施シ,新タナル酪農地区(町村)ヲ設置シ,知事ハ必要アル場合右ノ内一定地区ヲ市乳供給圏ニ指定シ,該圏内生産ノ牛乳ノ販売ハ,知事之ヲ指定スル如キコトアルベキ措置ニ依リ,目的ニ添フ様努ムルヲ適当ト認ム。

   牛乳代価決済ニ関スル措置

 酪農組合ニ販売ヲ委託セラレタル牛乳ハ,酪連ノ指示ニ依リ,市乳,製酪用ノ夫々ノ用途ニ配分販売ヲナシ,両用途毎ニ別紙ノ如ク其ノ代価ノ一部ヲ控除一応酪連ニ積立,酪連ハ各圏ニ夫々ノ出荷成績ニ応ジ,基準ニ基ク一定額ヲ半期毎ニ生産者ニ奨励金トシテ還元交付スルコト。

   工場対策

 本県現有ノ二製酪工場ノ盛衰ハ,本県酪農業ノ盛衰ト不可欠ノ関係ヲ有ス。然ルニ現在ノ各工場ノ集乳量ハ,其ノ製造設備能力ニ比シ著シク少量ニシテ,従ツテ工場経営困難ナルモノノ如シ。仍テ之ガ安定ヲ図ルタメ,立地的ニ考察ノ上,原料牛乳ノ確保ニ努ムルヲ要ス。之ガ為,右供給圏内ノ乳牛飼育ニ付テハ,集中指導ノ強化ト報償制的施策ヲ採ルヲ適当トス。
 尚従来工場ヨリ,各酪農組合ニ対シ為サレタル補助施設ハ,酪連ニ対シテ之ヲ為サシメ,酪連ニ於テ之ヲ時期的種目的ニ勘案シ,目的ニ添フ様施設スルモノトスベキナリ。

 戦時中の資料は,上からの命令で焼却したり,空襲で焼失したりしたために,失なわれたものが多い。従来,酪農は農業の合理化,国民体位の向上のために,蛋白資源の有効な供給源として奨励された。しかし,昭和14年(1936)酪農業調整法(法律第27号)が制定され,育児病人用牛乳乳製品の優先的確保が図られ,さらに,第二次世界大戦の戦局の進展とともに,牛乳も木製飛行機貼着剤増産のため,カゼイン製造用として増産が促された。しかし,酪農を担う農村青壮年の多くは応召し,乳牛はかろうじて銃後を守る婦人および老人などの労力によって維持されていた。

  2 美作地方酪農のめばえ

 昭和17年(1942)年,福渡町産業組合長と,岡山県信用販売購買利用組合連合会(通称県産連)の福渡支部長を兼務していた吉岡隆二の回顧録によると,福渡地区の酪農のめばえは次のようであった。
 「県産連で預託乳業方式で酪農をはじめるといううわさを耳にし,約20年前,当時の久米郡長島村軍次とハロルド・W・フォード博士のことを思い出し,早速守屋県産連会長に福渡を中心とする酪農事業を申し込み,認可されたので,福渡町外5カ村の酪農組合を結成しようと準備にとりかかった。一方では,その後県産連では,酪農事業に着手するか否かを決定するための理事会が数回開催され,容易に結論が出なかったが,当時の内田鎌蔵畜産課長の熱意と説得により,役員会で酪農に着手することになった」とのことであった。昭和17年(1942)12月,福渡支所から県産連に提出された「酪農事業開始の趣意書」とともに提出された計画は次のとおりであった。

  酪農事業について(計画)

 農林省増殖計画 現在全国飼育頭数20万頭,昭和36年迄に40〜50万頭
 酪農地帯の結成 福渡町・神目村・鶴田村・上建部村・建部村・竹枝村以上6カ町村
 牛を預る方法 県産連に利用料を出して預る
 入殖の頭数 最初6カ月町村に雌牛50頭,雄牛1頭導入の計画
 牛乳の販売方法 組合員,町村産組,福渡支所,県産連,生乳統制会社,乳製品工場
 生乳の送り先 岡山市及び津山市方面
 飼育決定の基準 1.自給飼料,2.自家労力,3.自給肥料
 1戸の飼育頭数 1頭乃至2頭(乳牛1頭に対し田5反,畑5畝入用)
 1頭に付1カ年の所要飼料 稲藁飼料用200〜300貫,敷藁用400〜500貫,青草4,000貫。青草4,000貫は自給困難なる向もあるに付,畑5畝に青刈玉蜀黍,燕麦,スーダングラス,燕菁を輪作して3,000〜4,000貫を収穫
 冬期用飼料の貯蔵 サイロの設置(昭和17年12月号家の光参照)
 自家労力 自家の経営状態と余剰労力に依り決定すること
 自給肥料の生産 1頭に付1カ年間に厩肥2,000〜3,000貫,牛尿1,000貫(5反分自給肥料)
 牛の公定相場 登録雌牛生後18カ月未満730円,無登録の場合は280円
        登録雌牛生後18カ月以上1,040円,無登録の場合は580円
 牛の死亡率 普通牛1,000頭中1頭半,乳牛1,000頭中2頭
指導機関 岡山県種畜場,県産連,県産連福渡支所,町村農会,町村産業組合
 先進地の視察 小田郡今井村(笠岡町在)山陽酪農販売購買利用組合(煉乳製造工場あり)
        邑久郡豊村(西大寺町在)岡山酪農販売購買利用組合(煉乳製造工場あり)
 ホルスタイン1日の泌乳量 最高1斗9升,普通6升,最低3升
 牛乳の最高販売価格(昭和17年11月29日県公報参照のこと)
  乳製品原料用,牛乳(全乳)500匁(1升)に付含有脂肪率1パーセント当り11,875銭とす。
  飲用乳原料用,牛乳(全乳)500匁(1升)に付含有脂肪率1パーセント当り17,500銭とす。

 これについては,県畜産課長の事前の諒解なしで事を運んだということで,一応叱責されたという経緯があった。

  県産連の乳牛預託事業

 昭和17年(1942)9月10日,県産連による預託事業が始められた。ホルスタイン種が福渡地区に昭和18年(1943)に22頭導入され,その後の5カ年間に700頭の導入が計画されていたが,戦況悪化のため中止された。県産連は「農業団体法」により,昭和18年(1943)で県農業会に合併したので,この預託事業も県農業会に引き継がれた。
 県農業会になってからも苫田郡高野村(現津山市)外に乳牛が導入されたが,この事業によって乳牛を導入した者が,のちの北部酪農組合,作備酪農業協同組合,岡山県北部酪農業協同組合等の中心的先駆者となり,今日の作州の酪農の基礎を築いたのである。