既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第1節 総説

4.昭和年代における和牛の飼養

 昭和初期の農村不況に当たり,有畜農業の面から畜力利用ときゅう肥増産のため,和牛はますます重要なものとなり,ほぼ9万頭程度で推移している。第二次世界大戦中も,濃厚飼料への依存度の高い家畜と異なり,飼料事情悪化の影響もほとんど受けることなく増加している。終戦後一時減少したが,昭和24年(1949)には,すでに戦前の水準に回復し,その後,馬から牛へ乗りかえる風潮の急な中で,有畜農家創設事業などに支えられて急速に伸び,昭和29年度(昭和30年2月1日現在)には11万7,000頭と最高に達した。
 しかし,昭和28年(1953)ごろから耕運機が出回り初め,30年代になると,その普及が著しかったため,役牛としての需要が大きく後退し,飼養頭数はかなり急速に減少するようになった(付表1参照)。
 昭和36年(1961)に農業基本法(法律第127号)が公布されると,農業の専業化,大型化の進められる中で,和牛は用畜として肉専用種となり,大型の肥育経営が現われるようになった。一方では小規模な経営農家の脱落が相つぎ,子牛生産頭数は,全国的な傾向を上回る減少を続けるようになった。
 肉用牛飼育の地帯区分を見ても,最近は県南部で和牛を見ることは珍しくなり,従来の県北の生産地帯において子牛生産から肥育までの一貫経営が行なわれるようになって,その分布は県北部地帯へ片寄るようになって来た。(付表2参照)
 昭和40年代になると,肉用素牛として乳用去勢牛が用いられるようになった。以来,肉用牛の中で肉用飼育される乳用牛の割合は急速に大きくなり,同年代の終りから,50年代になると,生産する肉牛の約60%を乳用牛(乳廃牛を含む)で占めるようになった。
 企業的経営の進展につれて,畜産物生産の伸びは消費の伸びを上回り,相対的な生産過剰の現象となって,生産調整を余儀なくされるようになった。このような中にあって,独り牛肉だけが世界的な供給不足の見通しとあって,増産が急がれ,とくに,広大な未利用地から安価な牛肉を生産することが古くて新しい課題となっている。しかし,牛肉も政治的に輸入外圧を受け,生産農家の不安は全く解消されたわけではない。また,昭和48年(1973)末のオイルショック以来,減速経済の中で,数頭規模の複合経営による子牛生産が見直されるようになって来た。