既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

3.大正年代から昭和前期における改良和種時代

(2) 標準体型の作成と登録事業の開始

   1 各県ごとの雑種整理段階

 大正6年(1917)の全国畜産主任官会議において,時の農商務省月田畜産課長が「各県ごとに実情に応じて一定の目標を樹立し,和牛の整理固定を図ること」を示した。国は,各県各様の雑種を,まず各県の実情に応じて整理することにより有用の農用牛を造成固定することとして,次の3項目を厳守励行する方針を示した。

   @ 雑種の整理は,各県それぞれ自県の実情に適する計画を樹立して行なうこと。
   A それには,各県それぞれに標準体型を定め,審査標準を作成し,さらに進んで登録制度を樹立実施すること。
   B 農商務省は,これに協力し,指導すること。

 当時は,各産牛地ともそれぞれの特性を強調して譲らず,いたずらに自己評価が高く,他の産牛地のものと比較検討することをしなかったので,差し当り各県それぞれの実情にあわせて,独自に改良を推進することになったのである。
 さて,大正3年(1914)末の岡山県における畜牛頭数は,内種(和牛)84,992頭(92.4%),雑種6,618頭(7.2%)および外種366頭(0.4%),合計91,976頭(100%)となっていた。また,その時の種牡牛の種類別頭数を見れば,和種423頭(90.2%),ホルスタイン種23頭(4.9%),エアーシャー種13頭(2.8%)および雑種10頭(2.1%)計469頭(100%)となっていて,和牛が9割以上を占めていた。

   2 各県における登録事業の開始

 前述の農商務省の方針にそって,その先頭をきって因伯種の登録事業をはじめたのが鳥取県で,大正8年(1919)のことであった。その後,兵庫県は大正10年(1921),m馬種について,鳥取県は大正11年(1922),島根種について,大分県は同年豊後種について,熊本県は大正12年(1923),肥後種について,山口県は大正13年(1924)防長種について,広島県は昭和3年(1928)広島種について,それぞれの県畜産組合連合会によって登録事業がはじめられ,その後昭和14年(1939)までに,京都,鹿児島,愛媛,宮崎,長崎,高知の各県においてつぎつぎと登録事業がはじめられた。岡山県では翌15年(1940)から登録事業を開始している。
 しかし,当時年間数万頭に及ぶ朝鮮牛の移入や,大正8年(1919)以来急増した青島肉の大量輸入などを背景として,和牛の前途を危惧する者や,その改良方向を疑問視する者も少なくなく,「和牛はすべからく役本位であるべきだ」とか,「和牛を乳用種とすべきだ」とかの意見も出されるありさまで,当時和牛の改良方針や技術的作法が関係者すべてに理解されていたわけではなかった。
 登録事業開始当時は,技術者,和牛飼育者ともに,登録についての知識や認識に乏しく,登録は遅々として進展しなかった。先鞭をつけた鳥取県でさえ,登録(補助牛登記)になったものに優良牛保留奨励金を交付することにより,これと登録料とを相殺して,実際には登録料を微収しないで,登録を奨励するという状況で,その他の県においても,登録事業を開始したとはいえ,容易に進展をみないで自然消滅に近い状態のものもあったということである。
 登録をはじめた当時は,登録を分けて予備登録,本登録の2つとし,補助牛登記は郡市単位の畜産組合に実施させる。本登録になったものに,その県の品種名を冠して固定種とみなす方式がほとんどであった。

   3 岡山県における登録事業

 登録の前段として,牛馬籍の整理は,明治初年までに,生産地における一部町村や産牛馬組合などで部分的に行なわれていた。広島県神石郡産牛畜産組合は,明治42年(1909)以来,組合規程により畜牛の系統と能力を登録し,大正7年(1918)までに116頭の和種の登録を行なっている。これと前後して岡山県においても,川上郡畜産組合が,大正6年(1917)から畜牛血統登録を行ない,大正8年(1919)2月までに174頭を登録したという記録がある。小田郡畜産組合は,同年組合員の所有牛を調査して牛籍を作成した。明治35年(1902)設立の邑久郡畜産組合は,事業実行要項に牛籍簿の設置をあげている。
 さて,岡山県の和牛は,大正11年(1922)4月4日,岡山県諭告第1号をもって「備作種」と命名された。その全文は次のとおりである。(原文は片仮名,濁点,句読点なしの旧仮名づかいであるが,これを,平仮名とし,濁点,句読点をつけた。)
            諭告

     岡山県諭告第1号

    本県産和種牛の改良方針は,役肉用途に適合すべき体型を主眼とし,固有の美点を亡失せざる程度において体格を大にし,加ふるに早熟早肥の性を賦与せしむるにあり。如欺は時代の要求に適合し,従って,利潤多きものたるべしと察し,只管その実現を期待し,施設を怠らざりしが,その効空しからず,今やこの目的にそふべきもの存在,生産をみるに至れり。ここにおいて,これが統一普及の必要を認め,かつ,改良の方針をあやまらしめざらんがため,この改良種牛を備作種と命名して,体型を公示し,その模範とするに足るべきものはよろしく登録に付し,これを存続して,ますます改良の資に供すべき必要あり。さきに備作種体型標準ならびに登録に関し,各畜産組合および同連合会に諮問せり。各組合および連合会は,その意を体し,審議の上,体型標準と登録方法とを作成し,これが設定方を上申せり。ついでこれを調査するに,本県現在の改良程度においては,大体適切妥当なるものと認めたるを以て,参酌修正を加へ,当分これを基準目標となし,登録方法により一層改良の完成を期せんとす。惟ふに本件の如きは官民一致戮力実施するにあらざれば,よくその目的を達する能はざるが故に,畜牛飼養者は勿論,これが指導奨励の任にあるもの,よろしく標準制定の趣旨を体応し,普及徹底に一層の努力を払ふとともに,ますます本牛種の改善と体型の統一とを図り,一般の要望に副はむことを期すべし。

     大正11年4月4日
                              岡山県知事  香川   輝印

 岡山県畜産組合連合会(県畜連)は,大正15年(1926)4月1日,「備作種登録規程」を制定し,同時に備作種標準体型および備作種審査標準を作成して,登録事業を開始した。和牛登録実施団体は,昭和13年(1938)に中央登録が実施されるようになり,ついで今日の姿になるまでの間,次のように変遷している。すなわち,県畜連が,登録開始時から昭和18年(1943)まで実施し,ついで同年12月13日から県農業会畜産部が事業を継承した。昭和23年(1948)3月,中央登録団体が全国和牛登録協会となるや,同年4月1日,同協会岡山県支部(支部長土屋源市)を組織し,岡山県畜産販売農業協同組合(県畜連 岡山市上伊福)へ事業を委託した。昭和25年(1950)4月1日から翌年3月31日までの1ヵ年間は県畜産課(岡山市上伊福)内に支部を置き,同年4月1日から岡山市桑田町の畜産会館に独立事務所を設け,52年(1977)6月までここにあり,その後現在の県農業会館(岡山市磨屋町)内に移った。
 登録事業の実績についてみれば次のようである。
 登録補助牛の登記が,はじめて行なわれたのは,大正15年(1926),後月郡井原町(現井原市)で,年間29頭の登記があった。その後,23年(1948)に全国和牛登録協会が設立されるまでに表2−2−8のように実施されている。

 予備登録については,中国和牛研究会(昭和9年)の『中国和牛研究会年報』(第1号)に,備作種登録年報(自昭和6年6月12日,至同9年12月31日)として,はじめて登載されている。それによれば,牝99頭および牡51頭となっていて,登録番号は1号から150号まで,牝牡通し番号となっている。牝の予備登録第1号は,川上郡平川村(現備中町)丹正島吉所有の第11瀬戸川号(昭和3年生)(注 牛名について牡は漢字,牝は平仮名となったのは,昭和13年10月,第9回中国和牛研究会における申合せ以後である)で,昭和6年(1931)6月12日登録であった。一方,牡のそれは,登録番号第21号の阿哲郡新見町(現新見市)高尾土井瀬祐所有の第17土井号(昭和5年生)で,同年10月7日登録であった。登録審査を実施した郡の順序と登録頭数は,表2−2−9のとおりであった。これをみれば,当時県北部の阿哲,苫田,真庭の各郡と肩を並べて,あるいは,むしろ先頭をきって川上郡の存在していることは注目に値する。これに関連して,大正元年(1912)姫路市における第5回中国連合共進会において,「同郡産牛は千屋牛を凌駕して,その名声は一時に高くなった」(原田龍右衛門(昭和2年),『川上郡誌』)とあり,当時の同郡産牛の地位の高かったことが分かる。つぎに牡の登録牛が県南とくに小田郡に多く見られるのは,当時すでに種牡牛育成が県南部の育成地帯で行なわれていたことをうかがわせて興味深いものがある。さらに,『中国和牛研究会年報』(第2号)には,昭和10年(1935)中に登録された牝97頭および牡36頭計133頭が,同(第3号)には,11年(1936)中に登録された牝120頭および牡37頭計157頭が掲載されている。つぎに大正15年(1926)登録開始から,昭和23年(1948)全国和牛登録協会の設立される年までの間,各登録登記段階別の取扱い状況の概要は表2−2−10のとおりである。

        備作種標準体型(大正15年4月1日)

   1 用 途 役肉用
   2 体 型
    頭 部   頭ハ中等大ニシテ,額広クシテ浅ク凹ミ,鼻梁直ニシテ過長ナラズ,顔ハ広ク深ク,頬額強実ニ,鼻鏡広ク,鼻孔濶開シ,口広ク,口裂深ク,歯正状,舌黒ク乳嘴ヨク発育シ,眼ハ快濶ニシテ,眼瞼薄ク,温和ノ相ヲ呈シ,角ハ形質色沢トモニ良好,耳ハ中等大ニシテ柔軟ナルベク,牡ハ牡相,牝ハ牝相ヲ呈スベシ。
    頸 部   頸ハ頭オヨビ肩トノ附着移行ノ状態良好ニシテ,牡ニアリテハ厚ク太ク,頸峰ノ状ヨロシク,胸垂ノ発育適度ニシテ,牝ニアリテハムシロ軽カルベシ。
    前 躯   肩ノ傾斜適度ニシテ,相当ノ厚サヲ有スルモ,附着ノ状緊密ナルベク,肩後前すねヨク充実シ,胸ハ幅広ク深カルベシ。
    中 躯   背腰平直ニシテ幅広ク,適度ノ長サヲ有シ,腰強靭,肋ヨク弯曲シ,肋間広ク,腹部豊裕ニシテ垂下セズ,下すね部ハ深ク,カツ,充実スベシ。
    後 躯   臀長クシテ広ク傾斜少ク,十字部ハ平濶ニシテ,腰角間ノ幅広ク,寛ノ位置ヨロシクシテ幅アリ,坐骨適度ニ高ク広ク,腿厚ク広クシテ充実シ,尾ハ恰好ニ附着シ,尾根ハ背線ト一致シ正状ニ垂下スベシ。牡ニアリテハ睾丸ヨク発育シテ適度ニ垂下シ,牝ニアリテハ乳腺ヨク発達シ,乳頭ノ附着ヨロシカルベシ。
    四 肢   四肢強健,関節大ニシテ緊実シ,腱ノ発育ヨク,けい強靭,蹄ハ正状ニシテ厚ク,カツ,大ニ,質緻密堅牢ナルベク,飛節ハ高低ヨロシキヲ得,曲直度ヲ失セズ(ホボ153度),肢勢整斉,歩様正確ナルベシ。
    皮膚及被毛 皮膚ハ弾力ニ富ミ,被毛黒クシテ繊細密生シ,光沢ヲ有スベシ。
    体躯ノ比例 体格の完成期ニオイテ,体高牝ニアリテハ一二四・〇糎(四尺一寸),牡ニアリテハ一三四・〇糎(四尺四寸)ヲ標準トナシ,体各部ノ比例ハ(体高ニ対スル百分率ヲ)左ノ通リトシ,前,中,後躯ノ長サノ割合ハ六,一〇,八とす。

   3 資 質

     品位ヲ有シ,性質温良,体質強健ニシテ,ヨク使役ニ適シ,飼養管理容易ニシテ,早熟早肥ノ性ヲ有シ,前後三十六ヶ月ニオイテ体格ノ完成期ニ達シ,肉量多ク,肉質佳良ナルベシ。

        備作種体格審査標準

 右の備作種標準体型は,大正15年(1926)4月,岡山県畜連が作成したものであるが,昭和10年(1935)5月に改正して,このとき標準体型を廃止して審査標準とし,同12年(1937)と翌13年(1938)の両年のいずれも4月に改正された。

        備作種登録規程(昭和15年4月1日改正)

   第1条 本会ハ本県内ニ生産スル和種牛ノ体型ヲ整備シ,其ノ造成及固定ヲ図ル為本規程ニ依リ登録ヲ行フ
   第2条 本会ハ予備登録ヲ行ヒ血統及体型ヲ同時登録ス
   第3条 前条ノ登録ヲ行フ為本会ハ所属畜産組合ニ委嘱シテ補助登録牛登記及犢登記ヲ行フ
      1.登録補助牛登記
        組合員ノ飼養スル畜牛ニシテ蕃殖年齢ニ達シ検査ノ上改良ノ基礎トシテ適当ナリト認メタルモノヲ登記ス
      2.犢登記
        登録補助牛ノ生産シタル犢ヲ登記ス
   第4条 登録ヲ受クベキ畜牛ハ左ノ資格ヲ具備スルコトヲ要ス
      予備登録
      登録補助牛ノ間又ハ登録補助牛ト予備登録牛若ハ登録牛ノ間ニ生産シタルモノ
     2.生後18ヶ月以上ニシテ備作種体格審査標準ニ依リ七十五点以上ノモノ
       本登録ハ中央畜産会ニ於テ之ヲ行フ
   第5−8条(略)
   第9条 登録ニ関スル料金ハ左ノ如ク之ヲ定メ登録料ハ検査ノ際其他料金ハ請求ノ際之ヲ納付スヘシ
    1.予備登録料      一頭ニ付金五円(注 大15年二円,昭10年三円,同12年五円)
    1.名義書替手数料    一件ニ付金弐円(注 大15年五〇銭,昭10年三円,同12年二円)
    1.犢登記証明書料    一頭ニ付金弐円(注 大15年一円,昭10年一円,同12年二円)
    1.記載事項書替手数料  一件ニ付金弐円(注 大15年−,昭10年一円,同12年二円)
    1.登録補助牛登記料   一件ニ付金弐円(注 大15年二円,昭12年二円)
    1.補助牛犢登記証明書料 一件ニ付金壱円(注       昭12年一円)
    1.補助牛名義書替及
      記載事項書替手数料  一件ニ付金壱円五〇銭(注 昭12年五〇銭)
       (注 本登録料 大15年三円,昭和10年五円,その後は中央登録)
   第10−14条(略)
      附 則
   本規程ハ昭和十五年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
   (様式省略)

 この備作種登録規程は,はじめ大正15年(1926)4月1日制定されたものであるが,その後,昭和10年(1935)5月に改正され,ついで13年(1938)4月1日改正された。このときは本登録だけは中央登録することとなったのが大きな改正点であって,中央畜産会(中畜)が示した「地方登録団体役肉用牛登録規程例」にならって作成し,中央畜産会の承認を得て制定したものであって,これがさらに昭和15年(1940)4月1日改正された。昭和10年(1935)改正の規程では,登録牛には(ヨ)(予備登録牛),(ホ)(本登録牛)の烙印を,右角に押すことになっていたのを,13年(1938)になると,右耳に耳標をつける,と変ったほかは,諸料金の改正を主としていた。
 特徴記載について,当時は個体識別に鼻紋(昭和16年帝国畜産会の登録記載にはじめて鼻紋の併用の条項ができたが,実用化されたのは昭和25年,全国和牛登録協会が鼻紋を併用することにしたときからである。)を用いないで,もっぱら旋毛,毛色等を記載したものである。

        畜牛特徴記載要項(『備作種標準体型』(岡山県畜連)による)

    畜牛ノ特徴ハ一,一般毛色 二,旋毛 三,其ノ他著シキ特徴例ヘハ異毛色,斑紋,雑毛等ノ順序ニヨリ記載スルコト
    一.一般毛色 牛体ヲ望見シタルトキ外観上ノ一般毛色
    二.旋毛 面旋ハ必ス記載シ其他ニ著名ニシテ明確ナルモノ2個ヲ記載スルコト旋毛ハ左記用語ニヨルコト
      旋毛ノ形状完全ナラス或ハ中心著シク一方ニ偏シタルモノ或ハ中心ノ一点ヲ作サス線上ヲナスモノ(俗ニムカデト称スルモノ)ヲ総称シテ「流」トイフ
     イ.面旋,「面旋中」内外眦ヲ結フ交差点上ニアルモノヲイフ其他「面旋上,下,左,右,左上,左下,右上,右下」等
      「面施流」旋毛ノ最上部位ノ存スル部分ヲ以テ其位置ヲ示ス例ヘハ「面旋左上流」「面旋中流」等「面旋横ニ」「縦二」「面旋欠」等
     ロ.眉旋,左右眉旋ヲ有スルモノ,「眉旋欠」「同右欠」「同左欠」等
     ハ.背旋,「背旋中」第七,八背椎(注 胸椎)棘突起間ニ存スルモノ其他「背旋前,後,左,右,流,左右流」等
    二.其他「肩旋」(き甲部),「頸旋」(頸ノ上縁部),「股旋」(股部),「飛節旋」(飛節部),「胸垂線」(胸垂上),「項旋」(後項部),「頬旋」(頬部)
    三.其他著シキ特徴
      「鰻線」(背線ノ異毛),「糊口」(口囲ノ異毛),「星」(額白),「尾尖褐」(火振尾ト称ス),「尾尖白」(幣振尾と称す),「尾刺毛」等
 この特徴記載ハ,明治末期,広島県神石郡畜産組合の「産犢系統証交付規程」に毛色と特徴を記載するように規定されている。本格的な特徴記載は,大正9年(1920)畜産試験場中国支場(広島県比婆郡七塚原 現庄原市)で開催された「畜牛特徴記載法に関する協議会」で決定されたものを,後述する中国和牛研究会が幾分訂正したものである。大正9年(1920)決定されたものは,一般毛色のほか,面旋を含む旋毛3つを記録し,その他毛色や皮膚毛などを記載するようになっていた。その後,登録による選択淘汰が進み,異毛色の出現が少なくなったので,中国和牛研究会で訂正し,さらに,昭和23年(1948)全国和牛登録協会の設立により,特徴記載法が改正され,昭和25年(1950)10月から鼻紋を併用することになり,昭和30年(1955)からは鼻紋だけをもって個体を識別することになった。

   失格および損徴

 失格および損徴は,大正年代に作成された標準体型や審査標準には挙げられていない。昭和3年(1928)広島種標準体型に失格として@異毛色,A恥骨部,乳房部以外の白斑,B舌全部白きもの,C豚尻があげられ,昭和8年(1933)因伯種標準体型に失格として,これらと全く同ぐものがあげられている。
 昭和初期には失格および損徴と称せられるものが多くあって,中国和牛研究会における調査研究の重要なテーマとして取り上げられていたが,各県それぞれに取扱いに差異があって,昭和13年(1938)鳥取県倉吉町(現倉吉市)において開催された第9回中国和牛研究会まで統一的な取扱いは困難であった。昭和11年(1936)山口県萩市において開催された第7回中国和牛研究会報告を見ると,その時すでに協定ずみの失格もしくは失格として取り扱われる場合のあるものは,@異毛色,A恥骨部(牡)乳房部(牝)以外の白斑,B痣の大なるもの及数多きもの,C全身刺毛,D白舌,口接,中横接,縁接,E株骨,F豚尻,G面旋欠,H牡の陰毛甚しく白きもの,であった。つぎに減率の協定されたものは,@中接,A小痣,B局部的小刺毛であり,定義の協定されたものは,@沈,A株,B蛇尾であった。その他調査研究の対象となったものに,片睾,添骨,乳座白があった。
 これらについては,漸次出現率も低下し,また,理論的に何ら能力に関係のないものもあったので,戦後全国和牛登録協会が登録を実施するとき,その取扱いが改正され,失格は,異毛色,乳房部(牝),恥骨部(牡)以外の白斑,白舌および豚尻の4つとされ,損徴は,舌色の異常,歯の異常,毛色の異常,皮膚色の異常および季肋骨の異常の5つとなった。しかし,これらの中にも和牛の能力に関係のないものもあったので,全国和牛登録協会では,昭和25年(1950)9月に,遺伝的不良形質の除去計画を樹立し,失格条項の改正を行なった。
 現在,遺伝的不良形質の淘汰計画の対象となっている不良形質は次のとおりである。

   第1類(明らかに単性劣性因子とされているもの)
      長期左胎,無毛,下顎関節強直,先天性盲目,単蹄,遺伝性肢れん縮
   第2類(遺伝的なものと思われるが,その遺伝形式が判断とせず単性劣性と断定しえないもの)
      小眼球,無毛
   第3類(遺伝的と思われるが,その様式が判然とせず,かつ,このもの自体の経済価値が,他の類に比し,肉用としては少しは価値があると思われるもの)
      黒色毛,乳房部,恥骨部以外の顕著な白斑,乳頭数不足,豚尻,無角和種における有角