既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

3.大正年代から昭和前期における改良和種時代

(8) 牛の公定価格規制等と和牛の登録と改良

   1 牛の最高販売価格制度と登録の普及

 戦時下,物資および物価の統制が次第にきびしくなり,昭和16年(1941)6月6日,牛の最高販売価格に関する告示(農林省告示第352号)が布告された。
 最高販売価格は,登録登記の資格別にきめられたので,これによって登録への関心が高まり,登録事業を始めた県が,昭和16−19年(1941−44)の間に,11府県に及び,和牛改良上効果があった。

   2 宇品への和牛の供出と和牛の改良

 昭和12年(1937),日華事変勃発後,西日本の諸県に対し,軍需用缶詰肉用として,陸軍糧秣廠宇品支廠へ肉牛の供出が割り当てられた。昭和18年(1943)ごろになると,毎月各郡へ割り当てられたが,供出価格の安かったこと,缶詰用であるから赤肉であれば硬くてもよいことなどの点から,雄牛,老廃雌牛,不妊牛など,改良上からは価値の低い不良牛が仕向けられ,これが優良雌牛へ飼いかえのチャンスとなり,子牛の生産率の向上にもつながり,改良上有効に作用した。しかし,戦争末期には,改良の基礎となるものまで供出しなければならない状態になった。

   3 空腹(空胎)解消

 この事業と,つぎの無畜農家解消事業とは,改良というよりもむしろ増殖対策の色彩が濃いものである。しかし,便宜上あえてここで記述することにする。
 日華事変が勃発した翌13年(1938)5月,国は畜産生産力拡充5ヵ年計画を発表し,これに基づいて緊急増殖対策として空腹(空胎)解消をとりあげ,多数の国有種牡牛を購買して,これを道府県に無償貸付した。同年鳥取県倉吉町(現倉吉市)で開催された第9回中国和牛研究会における和牛増殖対策の具体的方法に関する委員会でつぎのことが決議されている。@畜産増殖5ヵ年計画を樹立すること。A種雄牛を充実すること。B産牛増殖に伴い所要種雄牛を国有をもって充実すること。C各県種畜場の種雄牛育成配布に要する費用を国庫助成すること。D生産可能牛はすべて種付けすること。E使役地帯の雄牛を雌牛に転換すること。F未経産牛の肥育を抑制し,種付けを奨励すること,G生産地の拡張に努めること。H繁殖障害除去の徹底。I繁殖共進会の開催。J飼料作物の栽培,飼料自給の推進。K放牧採草地の整備拡充。L生産地の無畜農家に繁殖雌牛を飼育させること。M国は種付奨励金交付,雌購入資金を低利貸付,利子補給すること。N種雄牛の維持費を助成すること。
 さて,国は空腹解消のため,昭和14年(1939)から19年(1944)までに,多数の国有種牡牛(当時はまだほとんど自然交配であった)の貸付を行なった。多い年には1,000頭をこえ,5ヵ年間に約4,000頭を各府県へ無償貸付した。これに呼応して中部地方以東の東日本の従来馬産地であった地方に和牛飼育が増加し,繁殖がはじめられ,登録を実施する地方が増加した。
 岡山県において国有種牡牛が,どのように貸付されたかは,つまびらかでないが,当時農林省の購買官として年間春秋2回,前後数回にわたって現地購買に当たった筆者の記憶をたどれば,購買地は新見,久世,津山,高梁,成羽,総社の各家畜市場であって,出陣牛の多かった新見市場などでは,1回の購買に育成種雄牛が70−80頭ぐらい出陣され,その中から,種牡牛として適当でないもの,すなわち,体型資質の余りよくないもの,性質不良のもの,繁殖障害(特にトリコナス症)のものを除外したうえで,たとえば,第1列Aクラス10頭は平均1,000円,第2列Bクラス25頭は平均850円,第3列Cクラス25頭は平均700円,というように大別して,予算に応じて購買する状況であった。購買は中国各県産牛が主であったが,これは,貸付を受ける県の希望により,何県産牛が何頭と決められるのであって,当時最も希望の多かったのが肉質を誇る兵庫県と,早熟早肥を標榜する鳥取県であって,ついで岡山,広島が多かったようである。岡山県のものは,四国,九州へ仕向けられるものが多かった。

   4 無畜農家解消

 国は,第二次世界大戦のきびしくなった昭和19年(1944),粗飼料への依存度の高い和牛の増殖のため,無畜農家解消事業を実施した。子牛せり市場において多数の雌子牛を国有として購買し,これを県をとおして無畜農家へ貸付した。牛の購買貸付の実務は,県農業会(畜産部)が委託を受けて行なった。頭数等については,台帳が戦災により焼失したためはっきりしないが,終戦後,県畜産課にあって,国有貸付牛の事務処理に当たった松尾文雄によれば,頭数は700−800頭位で,貸付条件である初産の子牛1頭の返却(不妊などの場合は貸付原価の返還)による県の収入が,当時新設の津山畜産指導農場や岡山県種畜場(御津郡牧石村宿 現岡山市三軒屋)の施設設備に相当役立ったということである。