既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

5.種雄牛

(7) 岡山県の和牛改良に貢献した種雄牛と主幹系統

  第一に第13花山号(補阿235)を挙げなければならないが,これについては第2節の「昔の蔓と蔓牛」で述べた。この牛の父牛花山号は,大正2年(1913)6月6日,阿哲郡千屋村(現新見市千屋)産まれ,毛色黒,体高4尺1寸(124.2センチメートル),父は第一塔田号(第4回中国連合畜産共進会3等賞)である,第一塔田号は当時の阿哲郡内の種雄牛として成績優秀であって「体格資質優美なり」ということであった。
 つぎに,石原盛衛(昭和24年)の『和牛』に第13花山号とともに掲載されている神農号(予岡132)は,兵庫県美方郡八田村(現村岡町)に昭和11年(1936)に生産された。阿哲畜産株式会社社長土屋源市が,阿哲産牛の被毛などいわゆる資質を改良するねらいで,m馬産種雄牛2頭を導入した中の1頭であった。この牛は昭和12年(1937)から9年間,阿哲郡において供用され,当地方産牛の資質の改善向上に極めて大きな貢献をした。
 昭和54年(1979)1月現在,岡山県において供用中の主要種雄牛の主幹系統図説を図2−2−5に示す。