既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

6.和牛(種牛)の共進会

(2) 岡山県の主催した中国連合畜産共進会

 歴史の古い中国連合畜産共進会は,明治33年(1900)島根県安濃郡佐比売村(現大田市)における第1回から数年おきに,連合県輪番で開催され,昭和36年(1961)神戸市における第18回をもって,後事を各家畜ごとの全国共進会にゆだねてその幕を閉じた。この間岡山県が主催したのは前後3回であって,第2回(明治35年)を苫田郡一宮村(現津山市)で,第7回(大正4年)を岡山市(第17師団練兵場)で,第13回(昭和11年)を岡山市津島騎兵隊跡で開催している。
 第7回中国連合共進会は,大正4年(1915)11月1−10日の10日間開催され,県は23,125円の経費を支出している。
 岡山県(昭和15年)の『岡山県会史(第5編)』によれば,この共進会が本県畜産界に及ぼした効果は「この共進会の開設により,本県畜産の改良熱を高め,各郡市に熱心な当業者が続出し,競って優良種畜の生産,保留,育成に努め,各郡市畜産組合もまたこの機運を利用して,大いに改良増殖を奨励した結果,本県の畜牛馬の名声は,ますます国内に高まり,顧客は四国,近畿地方をはじめ遠く関東方面から集まり,家畜市場の整備と相まって,販路拡張と取引の改善が図られ,かつ,体型においても備作種標準体型に漸次近づき,種牡牛の改良等,現在の改良和牛の名声を博するに至った」ということであった。
 さて,ここで岡山県が主催した中国連合畜産共進会のうち,記録に見える第2回と第7回について,当時の郷土紙『山陽新報』から,共進会関係記事を2,3紹介しよう。

   1 第2回中国連合畜産共進会

 明治35年(1902)9月26日から10月2日まで,苫田郡一宮村において開催されたが,9月6日(土),『山陽新報』第7057号による「畜産共進会彙報」(抜すい)により,共進会事務所等をみれば,会場付近民家をもってこれにあてていたことがわかる。

 一宮と苫田両村には共進会参観者の便を図らんため,津山より同会場へ通ずる里道の改修に着手したり。開設地一宮村における連合各県の出張事務所および宿泊所等は,すでに決定し,岡山県事務所は白石常蔵,難波力雄の両家,鳥取県事務所は妹尾利太郎氏宅,山口県事務所は中島隆氏宅,島根県事務所は中島光男氏宅,広島県事務所は中島たか氏宅にて,協賛会事務所は美土路為三郎氏および美土路芳次郎氏宅に設けられ,美作各郡の事務所は,尾崎藤吉氏宅,備前,備中各郡の事務所は,木村f氏宅に置くことに決し,その他苫田郡事務所に予備として同地寺院一棟を借り入れたり。
 他府県来賓および本県内寄附者(注 共進会経費の寄附を一般に公募していた)は,中山神社および衆楽園にて優待す。
 審査長,審査官の事務所は,難波渉氏宅,審査員の休泊所には直頼高氏の宅を充つる都合なり。
 来賓優待の方法は,目下協議中にて,事務員は一両日の中に勝田郡湯郷,真庭郡真賀,御津郡八幡の各温泉場はもちろん,桜神社,誕生寺,中山神社等の遊覧または宝物展覧許容交渉のため出張するはず。
 津山町には,実業団体の発起にて,鶴山公園において来賓の優待をなすよしにて,頃日協議中。
 しばらく他地方に逃げ廻りいたる諸興業ものは,この開設を機として興業を催し,一儲けせんと欲し,昨今空地など借り入れをなしおるもの多きよしなり。」

 9月30日の『山陽新報』によれば,審査の模様について,「審査長新山技師は,審査員を督励し,26日より出品各牛の審査を行ひ居れるが,審査の方法は先づ数頭を厩舎より引出し整列せしめ,以て其用途及び体格歩行の具合を比較審査し,夫より1頭宛を審査場に容れ,審査を施し居れり。かくて同日は48頭社司の審査を終えしが,昨日も午前6時より4時まで審査せり。しかも同審査は本日中ならでは終了し能はさるべしといへり。」と報じている。
 さらに,同日の同紙は,「同会出品中製造品並に参考品は至って少く,製造品は山口県4点,広島県5点,島根県4点,岡山県2点,山口は練乳,練油,牛肉缶詰,広島は缶詰,牛肉大和煮,同ボイルビーフ,同ロースビーフ,牛肉佃煮等,島根は牛肉缶詰,同ボイルト,岡山はベイコン,牛肉缶詰等にて,又参考品は総計6点,鳥取県の牡馬牝馬の2頭及び本県の和種牡牛,ホルスタイン種牛等にて3点,其他本県農学校より出品せし牛馬模型標本器械類其他図解等18点あり。」と参考出品の紹介を行なっている。
 さらに,「今回の出品中逸品多きが中に最も人目をひけるは鳥取県西伯郡大高村遠藤芳太郎所有に係る31年5月生の乗馬用千代秋号と称する馬匹にして,丈5尺1寸5分,種馬は御料馬たりし千代田川にて,其価格1,200円,次は同県東伯郡上中山村松信福吉出品の雑種牡馬広井号と称するものにて,33年3月生,種馬は米国産ヒートモントにて丈け5尺5寸にて,価格2,100円,次は本県苫田郡一宮村武川清太郎所有の乗馬栗毛にて前額に菱形の白毛あり,昨年4月生価格500円丈け4尺7寸,次は島根県安濃郡朝山村別府儀三郎所有のホルスタイン種牝牛(3才)乳用にて450円,次は鳥取県東伯郡竹田村河本常次郎所有のホルスタイン種牝牛(5才)乳用にて価格600円,次は鳥取市西町大塩秋平出品のホルスタインフリシャン種牡牛凡1,000円,体量330貫,1日1斗2升の麦を食する由にて,31年下野(注 下総の誤りであろう)御料牧場に産出したるを払下げたるものの由,其他本県大井西村浦上光五郎所有のホルスタイン種牝牛(3才)乳用にて価500円,苫田郡二宮村杉山今治の短角種牝(乳用)にて価500円,岡山市七番町坂井栄次郎所有の北海道産ホルスタイン種牝牛(4才)乳用非売品,上房郡松山村柳井重宜所有のホルスタイン種価400円のもの等なり。」と,出品動物を評価している。
 共進会場の見取図は図2−2−6のようであって,審査場は,中山神社本殿の裏手に設けられていた。
 この共進会における郡市別出品頭数と入賞の状況は次のとおりであった。
 山陽新報(10月4日号)は,「出品人申合せに依り,明日より2日間,牛馬市を開始することとしたれば,各地より伯楽業者入込み,売買の周旋をなし居るもの少なからず」ということで,最後に出品動物の売買を行なったことを報じている。
 中央畜産会主催による第1回全国畜産大会が,岡山県会議事堂において300名の出席者をもって開会されたのは,会期中10月4日であった。

   2 第7回中国連合畜産共進会

 大正4年(1915)10月11日から21日まで,岡山県において開催のこの共進会について,次のことが報道されている。

    山陽新報(9月8日号)

 正午から深夜まで暴風のため,本館および表門は2寸5分西方へ傾倒し,厩舎および牛舎その他付属室の約屋根約200余坪を剥離され,見積額600余円の損害を蒙った。鋭意復旧に努め,13日復旧した。ということである。
 次に,同紙9月22日号には,会期中の余興について表2−2−39のように報じている。
 「山陽新報」(9月25日号)には,各県事務所について,「兵庫県は西中山下米屋内,電962,鳥取県は三番町,神理教会内,島根県は富田町,安禅寺内,広島県は難波町妙応寺内,山口県は三番町瑞雲寺内,岡山県は共進会事務所,電480,490」と報ぜられている。
 翌26日の同紙には,総出品確定として,次の表2−2−40のとおり報道している。


 なお,動物以外の畜産製造品や農具などの出品について,9月12日号に次のように報じている。「共進会の動物以外の出品は,「バター」,「煉乳」,「ハム」,「ベーコン」,牛馬皮細工品,畜力により運搬する器具機械類等の畜産製造品ならびに,参考品等であるが,この種類にして昨日までに出品人の確定したものは31点であって,これを類別すれば,犁10点,豆粕削り1点,畜力による農具4点,把1点,秤芻切2点,農用鞍8点,糟飼2点,ヘット1点,組合成績1点,参考品1点である」となっている。
 13日には,全国畜産大会について,次のように報ぜられている。すなわち,第1回全国畜産大会が岡山市で開催されるので,岡山協賛会は,なるべく多くの参観者を招致して,既成県にまさる観覧客を誘致し,沈静なる市況の振興を計る絶好機である,と大いに期待をかけている。
 10月11号の山陽新報には,審査長の申告の中の畜牛についての抜すいが次のように報道されている。
 「畜牛は種類別にはエアーシャー種系,ホルスタイン種系,デボン種系,ブラウンスイス種系および改良和種系の6種である。出品牛について批評を試みれば,改良和種系すなわち俗にいわゆる黒毛1枚の畜牛は,全牛の5割以上を占め,前回に比すれば,一般に外観の○(一字不明)を加え,実用的能力において著しい進歩が見られるとはいえ,各県各郡体型を異にし,四肢干燥にして,四肢堅牢であるが,後躯の発育のよくないものが,広島,兵庫,岡山の3県において多くみられ,骨格雄大で,体躯の上部の外観の優美なのに反して肢勢失格,歩様不整なのが,山口,島根,鳥取の3県にみられた。これは,主として各地で用いた畜牛原種の差異と,風土気候の感作に基く自然の結果によるものであろうが,異血混交の融和がまだよくできていないこともまた,あずかって力があるようである。
 ブラウンスイス種系のごときは,わずか7頭を,島根,広島2県から出品したに過ぎなかった。デボン種系のものは牝牡あわせて,これまたわずかに20頭であって,うち山口から出品した4頭以外は,ことごとく島根県の出品であった。これらを前回に比較すれば,品質,体躯において幾分改善されたとはいえ,概してこの両原種牛は数年前に比し,やや人の嗜好に遠ざかるという事実のあることを推察しなければならない(以下略)」とあって,雑種の衰退と和種推奨を表面化している。これが後になって問題となり,農商務省関係官の引責辞職にまで発展したのである。
 つぎに,この共進会における岡山県関係の出品と褒賞は,表2−2−41のとおりであった。
 最後に,共進会10日間の入場人員は約30万人であって,はじめの予想は35−40万人を見こんでいたけれども,今期中3日間の雨のため予想を下回る結果になったということであった。

   3 第13回中国連合畜産共進会

 昭和11年(1936)10月10日から16日まで,岡山市で開催された,この共進会の景況について,岡山県経済部(昭和12年)の「第13回中国連合畜産共進会事務報告書」によれば,美辞麗句をつらねて,「半田山麓旧騎兵隊跡地2万坪を会場として」,「畏くも賀陽宮殿下の台臨を辱ふし」たということで,会期中毎日13,000名から18,000名合計98,820名の参観者があって,まことに盛況であった,ということであった。
 なお付帯事業としては,@第15回全国畜産大会が10月13日,津島の真備高等女学校において,中央畜産会主催により開催され,A「中国の和牛を語る会」が市内新錦園において10月12日開催され,B和牛調教実演会が,岡山県畜連の主催により,会場内において会期中毎日開かれている。
 つぎに予算についてみれば,中国6県連帯費予算6,342円は,連合各県1,000円ずつ負担し,主催県岡山が1,100円を負担していた。
 連合各県独自の予算は,広島県3,000円(連帯負担費を含む,以下同じ),兵庫県6,500円,山口県4,042円,島根県4,955円,鳥取県4,000円であった。岡山県は,22,156円を計上していた。