既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第5節 肉用牛肥育事業の進展

4.肉畜奨励事業

 岡山県では,食肉需要の急増に伴ない,昭和33年(1958)度から,肉畜振興を畜産の重要な施策としてとりあげ,34年(1959)からは肉畜振興要網を定めて,肉畜(肉牛,肉豚)の増産とともに肉畜および食肉の取引きの近代化をはかった。その振興要網は次のようであった。

     肉畜振興事業要網(昭和34年,岡山県)

   ア 去勢牛短期肥育事業促進
     京阪神大消費市場を控えている本県としては,経済的な肉牛生産として去勢牛の肥育事業を普及促進する。
   イ 雄犢の農協委託によって,若齢去勢素牛の造成,農協の育成素牛購入費に対する利子補給による実施頭数の増加を計る。
   ウ 農協が,比較的経済力の薄弱な中心農家に収益を得させることを目的として,肉畜の肥育管理を農家に委託する制度の確立普及をはかり,併せて食肉市場への共同出荷を促進するため,国の助成を得て,農協の肉畜購入費に対し補助金を交付する。
   エ 肥育並びに共同出荷補助
     科学的な肥育技術の普及と共同出荷意欲の向上を期して,肥育振興地帯10ヵ所に牛衡器の設置,および県畜連による大阪枝肉市場に対する肉畜共同出荷事業を推進し,この事業の拡大普及をはかるため補助金を交付する。
   オ 食肉総合施設の育成
     肉畜振興に伴い流通頭数は年々拡大してくるので,大消費市場を控える本県としては,肉畜の出荷調整,肉畜取引きの改善合理化の面から,と畜場を含む近代的食肉取引施設を設置する。
     また,県北部山間地を和牛生産地帯とし,県中南部地帯においては去勢牛の短期肥育ならびに若齢肥育の奨励につとめた。

   なお,この肉畜振興対策に伴う昭和34年(1959)度における県の計画は次のようであった。
   ア 中小農畜産振興対策としての肥育奨励
     牛200頭,豚500頭の購入経費について5分の1補助(1,235千円)
   イ 去勢牛の中間育成及び同育成牛の払下げ
     和牛試験場において前年度に引き続き50頭実施
   ウ 牛衡器設置補助
     5台分(補助金250千円)
   エ 肉牛共同出荷事業補助
     200千円を岡山県畜連へ交付
   オ 肉牛の肥育預託
     100頭を農協に肥育預託

 こうして,肥育事業が進展するにつれて,昭和33年(1958)ごろから,肥育素牛の郡畜連経由による導入が,県内各地でみられるようになり,また,昭和35年(1960)ごろから,徐々に肥育頭数が増加し初め,同年には第1回の岡山県枝肉共進会が大阪市で開かれた。
 昭和41年(1966)度から,国は積極的に肉畜振興施策を打ち出した。
 岡山県もこれに呼応して,「岡山県肉用牛振興要綱」を定め,和牛の改良地域,増殖地域および肥育地域を指定した。これによる肥育地帯は,岡山市,倉敷市,総社市を初め瀬戸町,山陽町など28市町村であったが,その大半は県の南部地帯であった。
 この地域指定は,昭和47年(1972)の肉用牛生産振興計画の再編により,一部変更された。すなわち,肥育部門については,県中南部を中心に,肉牛の生産団地の育成を図るとともに,乳用雄子牛の全面利用を促進することとし,子牛生産を主体におこなう地域と,肥育を主体におこなう地域を区分して指定を行なった。肥育を主体とする地域にあっては,肥育牛がおおむね200頭以上飼養されているか,または,その計画を有する地域とした。これによって指定をうけたのは岡山,備前,総社および笠岡の4市を初め,瀬戸,赤坂,長船,矢掛などの4市14町(図2−5−2)であった。

 一方,肉牛の集団産地の造成と流通改善を促進し,生産農家の所得の増大を図るとともに,肉用素畜の計画的な導入と,肉牛出荷の円滑を期するために,岡山県経済連が事業主体となって肉用素畜預託事業が,昭和39年(1964)から実施された。
 和牛去勢牛の肥育の長期化の中で,岡山県は,昭和48年(1973)には肉用牛理想肥育推進事業を,また,翌49年(1974)には肉質調査事業を開始して,良質の肉牛を生産出荷することにより,岡山県産肉牛の銘柄確立を企図した。
 現在岡山県営食肉地方卸売市場へ出荷される肥育牛(和牛の去勢)は,生後24,5ヵ月齢で,体重600キログラムのものが中心になっている。これに対し,乳用去勢肥育牛は,生後19〜20ヵ月齢で,体重650キログラム程度のものが主体となっていて,当分はこのような形態で推移するであろうと思われる。しかし,肉質(サシ)をよくしようとのねらいから,肥育期間を長くし,仕上体重(仕上月齢)を大きくするという現在の肥育技術については,去勢和牛の産肉生理から,また,肥育経営上から問題点があり,将来是正されるべきであるとされている。(全国和牛登録協会(昭和54年)『和牛の改良目標等討議研究会報告書』)
 一方,この乳用雄子牛の利用促進を図るために,昭和42年(1967)には「乳用雄子牛肉増産運動推進協議会」が,岡山県を初め,県経済連,県酪連および関係農協などによって設立された。和牛の生産頭数が減少し,肥育素牛の確保が困難になってきた昭和47年(1972)には,乳用雄子牛の利用増進,素牛の安定的供給,系統利用の促進などによる牛肉資源の積極的な確保を目的として「乳用雄子牛育成出荷促進事業」が,県経済連によって開始された。
 また,岡山県では肥育素牛の価格安定を図り,乳用雄子牛の肉利用を促進するため,昭和47年(1972)から,「乳用雄子牛促進事業」を開始した。この事業の内容は,乳用雄子牛価格安定のための生産者補給金の交付準備資金造成費に対する補助,哺育施設々置費補助,あるいは,育成奨励金の交付などである。
 これによって,同年北部酪農協,落合町農協が,翌48年(1973)には芳井町農協が,それぞれ300頭規模の哺育施設を設置している。