既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第6章 牧野,飼料作物ならびに流通飼料

第2節 流通飼料

2.飼料事情の推移

(5)飼料産業の高度成長時代(昭和30年代)

 昭和30年代になると,国民生活も安定し,食生活の高度化に伴い畜産物の需要は著しく伸び,これを支える配合飼料の生産量は急激に増大した。なお,昭和29年(1954)には「酪農振興法」(法律第182号),35年(1960)には「養鶏振興法」(法律第49号),36年には「畜産物の価格安定等に関する法律」(法律第183号)が制定され,なおかつ「農業基本法」(法律第127号)が公布されるに及んでこれらに基づく諸施策により,畜産経営の近代化が進み,中でも乳牛,鶏,豚等用畜の飼養頭羽数が著しく増加した。
 たまたまこの時代は,とうもろこし,マイロ等の海外における配合飼料原料が生産過剰のため,比較的安価で安定した輸入飼料の確保ができたため,配合飼料工場は設備の改善を行ない,生産技術の向上と相まって生産性をあげ,飼料産業は目覚ましい発展をとげた。
 この時代における配合飼料の生産量は,表6−2−5のとおりで,昭和30年(1955)52万3,000トンに対して,35年(1960)は,5.5倍の288万2,000トン,39年(1964)は14.3倍の749万6,000トンと,短期間のうちに10数倍という驚異的な増大を示した。また,これを生産量の大きい養鶏用飼料でみると,昭和30年度には全飼料の82%を占めていたが,その後比率は低下して,昭和39年度には67%となったが,生産実量は養鶏関係飼料だけで540万トンを越えている。

 またこの時代の飼料価格は,表6−2−6のとおりで,年度によって多少の差はあるが,概して飼料価格は低位安定の状態が続いた。その理由は前述のように海外における飼料用原料が豊富でその確保が容易であったという恵まれた条件にあり,加えて国内飼料製造業者の企業努力によるところも大きかった。

 なお戦時中「企業整備令」により休廃業していた配合飼料工場も,昭和29年(1954)の「関税法」および「関税定率法」の改正に伴って,つぎつぎに操業を開始し,統制撤廃時の9工場は,昭和39年度には第1種承認工場が170,第2種承認工場9の合計179工場となり,その後も増加を続けた。
 表6−2−7は,この年代における岡山県における濃厚飼料の需給状況を示したものである。