既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第1節 家畜保健衛生対策

3 家畜保健衛生組織の変遷

(4)自衛防疫組織の確立

 家畜の飼養者にとって,家畜の疾病,斃死等の損耗を最少限に防止することは,極めて重要なことである。家畜の飼養形態は,大型化し,経営内容の多様化が著しく進展するなかで,家畜伝染病はもちろん,従来潜在的であった一般病であっても,複雑化,広域化する傾向が見られるようになった。とくに,昭和42年(1967)には,鶏ニューカッスル病の大発生があり,養鶏農家に多大の被害を与えた。
 家畜伝染病の防疫は,長年にわたり国の計画に従い,県が事業主体となって推進して来たため,民間の自主的防疫組織が育たず,その発達が阻害されていたため,畜産経営は進歩したけれども,衛生観念が乏しいために大きな損害を招来するという傾向があった。そのため,昭和42年(1967)各家畜保健衛生所ごとに,家畜衛生推進協議会(または自衛防疫推進協議会)を結成し,国や県の補助により,自衛防疫組織が育成されることになり,予防注射などの事業が行なわれるようになった。同年,ニューカッスル病自衛防疫促進事業ならびに養鶏集団衛生組織整備事業が開始された。先に述べたように,この年ニューカッスル病の大発生により,養鶏関係者を不安に陥れていた時であり,自衛防疫組織は関係者の高い関心と熱意により,直ちに組織化され,順調にスタートした。
 昭和44年(1969)に至り,従来の鶏病対策を中心とする事業から,今まで国,県の防疫で推進を図った豚コレラ予防注射事業を加えて,事業名も自衛防疫維持強化事業と改め,その定着化を図るべく推進した。このような官民一体となった自衛防疫は,着実に実績を伸ばし,これまで多発していた,ニューカッスル病や,豚コレラなどの発生も年々減少して行った。昭和44年(1969)における自衛防疫による予防注射実績は表7−1−19のとおりである。

 自衛防疫事業は,年とともに一般の理解を得,家畜飼養者の意識も漸次向上し定着化した。
 一面において,慢性疾病の多発や,経済衛生対策のおくれから,衛生事故による損失は大きく,ために幅広い衛生対策を講じ,自衛防疫の長期定着化を図る必要があるため,今まで小地域に分立していた自衛組織を再編成し,全県的視野に立って,中枢的な機能をもつ組織を確立して,より強力な指導性を発揮するものにする必要があるとの判断から,昭和47年(1972)10月27日,岡山県家畜畜産物衛生指導協会(会長・池田隆政)が設立された。この団体は,初め任意団体として発足し,従来からあった各地区の自衛防疫組織を基盤として業務が開始された。
 この団体は,昭和48年(1973)9月21日,岡山県,畜産振興事業団など正会員14団体および会社等7準会員から合計3,027万円の出資を受け,社団法人岡山県家畜畜産物衛生指導協会となった。この年から専任職員を設置し,事務所も県庁畜産課内から,岡山市桑田町の共済国保会館内に移した。事業内容についても,表7−1−20の事業実績に示すとおり,豚丹毒予防注射事業を追加したのを初め,時代の要求に即応して事業を推進している。
 昭和53年(1978)に至り,会員構成を,従来の県段階の団体から,県下の全市町村ならびに一部の農協を加えて,100会員とし,出資金も,1億35万円に増資した。さらに家畜保健衛生所単位に5つの支部を設け,専任の女子職員を配置するなどして,組織を強化した。