既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第4節 家畜診療と共済制度

2 家畜共済制度の変遷

(2)農業災害補償法の成立と現行家畜共済制度

  1 農業災害補償法の成立

 家畜保険法ならびに農業保険法(昭和13年4月2日公布)は,これを一つにし,かつその内容を根本的に拡充強化して,農業災害に対する農家の総合補償政策として,昭和22年(1947)12月15日,法律第185号をもって「農業災害補償法」(農災法と略称)として公布された。これにより家畜保健法は発展的に解消し,昭和23年(1948)6月からは農災法に基づく農業共済組合による家畜共済が,全国的に実施されることになった。

  2 家畜共済制度の概要

 家畜共済には死亡廃用共済,疾病傷害共済および生産共済の3種類があった。死亡廃用共済は生後第5月の末日を経過した牛,山羊,めん羊,種豚および明け2歳以上の馬を共済目的とし,共済事故は死亡(と殺による死亡は除く)および廃用である。疾病傷害共済は,病気やけがによる損害を補填することを目的とし,共済目的は死亡廃用共済と同様である。これは家畜が死亡または廃用となるまでに獣医師の治療を受けないことが多いことから,この制度を利用し,できるだけ低価額で安易に受診できるようにするためであった。ただ疾病共済への加入は死亡廃用共済に加入することが前提条件であり,逆の見方をすれば,死亡廃用共済に加入促進の役割りをもっていた。
 生産共済は,妊娠第6月の月の初日から出生に至るまでの牛の胎児,ならびに妊娠第7月の月の初日から出生に至るまでの馬の胎児,および出生後その年の末日に至るまでの馬が対策で,死亡と廃用とを共済事故とするものであった。
 共済金額は,死亡廃用共済では家畜の価格の8割を最高額とする。疾病傷害共済では,農林大臣の定める額の範囲内とし,生産共済では,胎児については母畜の共済価格の16%,出生した牛馬については,生後1カ月までは胎児と同一金額で,生後1カ月を加えるごとにその100分の15を加えた額であった。
 組合員は,加入承諾の通知を受けた後,1週間以内に農業共済組合に共済掛金を払い込むと,その翌日から共済責任がはじまり,その期間は原則として1年間である。
 共済掛金標準率は,地域別および共済目的の種類ごとに農林大臣が定め,4年目ごとに改訂されることになっていた。組合は,この率を下回らない範囲内で定款によって掛金率を定めた。
 共済金の支払額は,死亡廃用については事故直前の価額から残存物価格,手当金などを控除した残額に共済金額の共済価額に対する割合を乗じて得た金額である。疾病傷害共済の場合は,診療内容に応じて診療点数表によって計算された総点数を,1点の価額に乗じて得た金額の100分の90である。生産共済は,胎児では共済金額の全額,出産した牛馬については死亡廃用共済に準じて算定される。
 農業共済組合が元受けした家畜については,全額が農業共済保険組合(後の農業共済組合連合会)に保険され,農業共済保険組合はその保険責任の一定額を政府に対し再保険する。

  3 岡山県農業共済組合連合会

 本県においても農災法が施行されてから農業共済組合は逐次設立され,24年(1949)2月25日には県下全域に371組合が設立され,全農家が農業共済組合員となった。その間,同法施行令その他関係法令も逐次公布され,従来農業会が行なってきた農業保険事業と,家畜保険組合で行なってきた家畜保険事業とを,新たに農業共済組合で行うことになった。これに伴い,法第20条および第21条第2項の規定により,岡山県農業共済保険組合を設立することにより,昭和23年(1948)5月20日,岡山市巌井の妙林寺において創立総会を開催し,理事に野島瑛外18名を,監事に中塚智雄外2名を選出した。6月29日づけをもって,農林大臣より設立認可があり,8月2日設立登記を完了し,同時にその本部を当時の岡山市上伊福の旧県庁内に置き,農業共済保険の業務を開始した。岡山県農業共済保険組合が発足して1年目の24年(1949)6月8日,農災法(法律第201号)の公布によ「岡山県農業共済組合連合会」と呼称を改めた。

  4 家畜共済の沿革

(1)補償拡充の画期的な新制度

 昭和23年(1948),既述のように家畜保険事業が,家畜共済事業として継続実施されることとなった。
 家畜保険法時代には単に牛馬の死亡のみを対象としていたが,補償制度においては,このほか山羊,めん羊および種豚を対象とする死亡廃用共済,疾病傷害共済および,生産共済の3つに拡充されて,家畜は文字通りゆりかごから墓場まで,その間に病傷をうけた場合は,共済金額に応じて一定限度までは無料で診療が受けられるようになり,共済に加入すれば家畜は全く安全であるという新しいキャッチフレーズを掲げて発足したのである。しかしあくまでも死亡廃用共済が主軸であり,これに加入していないと他の2共済には加入できないこととなっていた。

(2)義務加入制の導入と共済掛金の一部国庫負担の実現

 補償制度の実施2年目の昭和24年(1949)6月8日,法律第201号をもって,農災法の一部改正があり,牛馬については,新制度の早期定着や普遍的加入をはかるため,組合の総会において牛馬の死亡廃用共済に全頭加入の決議をしたときは,死亡廃用共済に付さなければならないという,いわゆる義務加入制がしかれ,また同年の第6国会において,牛馬の死亡廃用共済の全頭加入を議決した場合は,その共済掛金の一部を国庫において補助することとなり,農家負担の軽減がはかられたので,この機会に県下全組合とも全頭加入の決議を行なった。したがって補償制度実施第1年の昭和23年度の死亡廃用共済加入頭数は1万4,448頭であったのが,翌24年度には,この政府の助成措置に加えて,農家の認識も高まり,一躍3万3,000余頭増加し,4万7,595頭を数え,早くも本県における家畜共済の基盤が確立した。
 一方疾病傷害共済については,いわゆる任意加入制であり,掛金に対する国庫補助もなく,その加入資格は死亡廃用共済に加入していることを前提とするという制約のあったこと等により,加入率も予期したほどには上がらなかった。また,このことは当初設定された共済金額が,その後の経済情勢の変動にもかかわらず少額に過ぎ,さらには限度給付が真に農家の希望するところとはほど遠いことにも原因していたと思われる。昭和25年(1950)9月,本県においては牛の流行性感冒の未曾有の大流行があり,農業共済団体,各種団体および開業の獣医はもちろん,官公庁や学校に勤務する獣医師まで,およそ獣医師である限りの人を動員して,これの治療に当たった。このとき死亡,疾病による共済金の支払いは多額に上り,共済の意義を十分認識させる結果となったのである。

(3)死亡廃用共済と疾病傷害共済の一元化

 大家畜の義務加入制と掛金の一部国庫負担により,共済加入は急増したが,一方,死廃事故が多発する傾向となった。これに対処するためには家畜の診療を徹底する必要があることから,死廃共済と病傷共済の一本化の問題が台頭した。このため農林省は診療体制の整備をはかり,死廃病傷共済を創設し,昭和28年(1953)10月から,2年間の試験実施を経て,昭和30年(1955)に全国的に本格実施に移行した。
 この死廃病傷共済が,従前の死亡廃用共済,疾病傷害共済と大きく相違する点は次のとおりである。
 ア 乳牛は,第1回の加入時における妊娠の有無により,乳牛を育成乳牛とに分け,育成乳牛は繁殖障害による廃用から除外した。
 イ 病傷事故は無制限給付とし,同一病傷事故について給付制限を共済金額に応じて定めた。
 ウ 点数表は技術料と薬価等とを分離して合理的なものとし,一点単価を全国一率に10円とした。
 エ 掛金の一部を家畜診療所を運営する農業共済団体に保留し,その経費にあてることができるようにした。
 このようにして診療給付内容が充実された死廃病傷共済と生産共済の二本建制となった。なおこの一元化された死廃病傷共済を円滑に実施するため,共済団体嘱託,指定獣医師制度が取り入れられた。

(4)包括加入制の導入

 死廃病傷共済の実施によって,家畜の診療が浸透し,死亡事故は減少傾向を示したが,反面,病傷給付が激増し,病傷部分の掛金率が増高することとなり,農家負担掛金が増額する結果となった。加えて家畜の多頭飼養化が進み,全頭加入は困難となって来た。すなわち,農家は病弱家畜や,飼養家畜群の一部を代表加入させる等の不適正現象がみられるようになった。このような逆選択加入を防ぎ,共済事業の経営安定をはかるため,制度の抜本改正を要望する意見が全国的に広がり,改正法が昭和41年(1966)7月9日,法律第125号をもって公布され,翌年4月1日から施行されることとなった。改正制度の内容の骨子のは次の点に要約される。
 ア 引受方式の改善……原則として家畜の種類ごとの,農家単位の包括引受方式に改められた。
 イ 共済事故の選択制……必要に応じて共済事故の一部除外が認められた。
 ウ 牛,馬の共済掛金国庫負担の拡充……頭数規模によって区分し,頭数が増加するに従って手厚い国庫負担となった。また,病傷部分掛金についても国庫負担することとなった。
 エ 責任保有の合理化……異常事故(法定伝染病,異常な風水害による共済事故等)については全額政府の再保険責任となった。
 オ 家畜の損害防止事業の強化……家畜の特定疾病について,その発生を未然に防止するため,特定損害防止事業を実施することが新設された。
 カ 病傷給付の合理化……年間給付限度額を設けた。
 つぎに飼養頭数の減少により,山羊とめん羊は共済目的から除外された。また加入実績の激減した生産共済は廃止となった。なお,共済掛金標準率の改訂期は4年から3年に短縮された。

(5)肉豚共済の創設

 近年,肉豚の飼養頭数が増加するとともに,多頭化が進んで来たので,養豚経営の安定をはかるため,共済制度の必要性が増したことから,肉豚の仔豚価格補償を目途に「肉豚共済」を新設し,昭和52年(1977)から全面実施されている。
 なお,県における家畜共済業務は,家畜保険時代から引き続き畜産課の担当であったが,昭和29年(1954)4月1日から,農政課へ移管された。