既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第7章 家畜衛生

第5節 乳肉衛生

1.屠畜衛生の変遷

(2)昭和戦後期における屠畜衛生

 屠場法公布以後,激減した県内の屠畜場数は,その後もほとんど変らず,昭和22年(1947)の衛生統計をみても,市町村営7カ所,私営その他4カ所,計11カ所で,大正10年(1921)の9カ所からわずかに2カ所ふえたのみである。
 第2次世界大戦後の混乱期からようやく立ち直り,経済活動は漸次活発となり,食生活も改善されつつあった昭和26年(1951)になると,屠畜場は急激に増えて,県市町村営8カ所,私営その他12カ所,計20カ所となり,全家畜合計屠殺頭数も1万3,959頭となった。その後全国的に食肉の需要が増加し,屠畜場における処理能力の向上をはかるとともに,屠畜衛生の面からも,屠畜場設備の改善,高度化を要するようになったので,従来の屠場法が廃止され,新たに,昭和28年(1953)8月1日,法律第114号をもって「屠畜場法」が公布された。
 新しく公布された屠畜場法では,公営屠畜場優先の規定が除かれ,また,屠畜場が一般屠畜場と簡易屠畜場の2種類となった。法の施行通知に「農村における家畜の増産にともなって,農村の食肉利用を促進するため,屠畜場の適正な普及をはかることが必要である事情にかんがみ,新たに,簡易屠畜場の制度が設けられ(後略)」とあるが,昭和33年(1958)には,県内の屠畜場18カ所のうち,簡易屠畜場は5カ所となっている。この年の県内屠畜場におけるすべての家畜の合計屠畜頭数は2万6,855頭で,そのうち9,596頭が豚,緬山羊で,小家畜の屠殺がふえている。
 このころになると,全国的に屠殺頭数が増加し,屠畜衛生もさらに重要の度を増してきたので,厚生省では,昭和32年(1957)に起債による屠畜場再建整備10カ年計画をたて,老朽屠畜場の近代化をはかることとしたが,岡山県においても,この計画に沿って,岡山県営屠畜場,津山市屠畜場が整備された。また,岡山県では,私営屠畜場の私設改善資金の借入れ促進をはかるため,昭和41年(1966)4月に,「岡山県屠畜場施設改善資金利子補給金交付要綱」を制定して,同年4月から5カ年間,施設改善借入金に対して利子補給を行い,私営屠畜場の改善整備を促進した。
 昭和40年代で特筆すべきは,次のように,炭疸牛による汚染のため,津山市屠畜場が一時閉鎖されたことと,岡山県食肉衛生検査所が設置されたことであろう。
 昭和40年(1965)には,全国的に炭疸が多発し,岡山県は,同年10月4日,M611畜第725号で「炭疸の防疫強化徹底について」の通達を出し,同年12月6日には,厚生省から,環乳第5079号で「炭疸対策要領準則」が示された。岡山県では,昭和42年(1967)8月から,翌年7月までに14頭の発生をみているが,昭和43年(1968)2月13日,苫田郡鏡野町百谷で発病したホルスタイン種が,急性鼓脹症と診断されて切迫屠殺され,津山市屠畜場に搬入された。ところが,検査の結果炭疸と確定し,屠畜場は消毒措置のため,14日から4日間閉鎖された。
 屠畜検査員は,以前は警察に配属されていたが,昭和23年(1948)3月から,保健所に配置され,屠畜検査や食品衛生の業務を担当していた。しかし,動物用新薬の開発,家畜の飼育形態の変化にともなう疾病の様相の変化等によって,より科学的な屠畜検査が要求されるようになり,屠畜検査を専門業務とする食肉衛生検査所を設置する府県が全国的に多くなった。岡山県においても,昭和45年(1970)4月1日,岡山県営食肉市場(岡山市桜橋,現在の岡山県食肉地方卸売市場)内に,岡山県食肉衛生検査所が設置され,津山市屠畜場内に駐在所をおいて,屠畜検査の第一線機関として,屠畜検査,屠畜場の衛生管理の指導取締り,食肉衛生に関する調査研究等を行なうようになった。
 屠畜場数は,その後減少の傾向を示し,昭和43年(1968)12カ所(県市町村営4,私営その他8),昭和52年(1977)には,表7−5−3のとおり11カ所(県市町村営4,私営その他7で,うち3カ所は簡易屠畜場)となっている。また,屠殺頭数は表7−5−4のとおりである。

 屠畜場外における食肉衛生の規制は,昭和22年(1947)12月24日,法律第233号をもって,「食品衛生法」が公布されたので,以後この法律によって行なわれている。また,近年,動物用医薬品,飼料添加物等の畜産物中への残留,例えば抗生物質による苦い肉等が問題となっているが,厚生省では,昭和52年(1977)9月11日,環乳第40号で「畜産物中の残留物質検査法」を示して,抗生物質や抗菌性物質が残留している食肉等の指導取締りを強化している。