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我が国において有畜農業の必要性が説かれて既に20数年を数える。
この間,世の先覚者や識者によって数多くの問題が提出され,論議され書物や報告書が世に出ている。
しかしながらその歩みは今なお旧態依然たるの域を脱していない。
誠に悲しむべきことである。
何故なのであろうか。
その因を求めるならば,おそらく,既存農業経営の=それは無畜式穀作経営とさえ呼ばれる処の性格の概念を把握することなく,なお又かかる農家経営の実態を分析しそれの改変を求めつつと言う態度を棄てて徒らに家畜の導入に急であったり,時としては各家畜間の連繁を考えることなく,個々の家畜の独善的,排他的奨励に終始していたというが如き処に存在するのではなかろうか。
有畜農業の普遍化を阻止する問題の所在をこの様に捉えるならば,何よりも先ず,既存農業経営の性格を見きわめる必要がある。
そうして次にこの性格に立脚した家畜飼養の型態を理解することが,今後の有畜農業の力強い発展のためにきわめて必要である。
と言う私自身,これに関する知識は幼稚であり,経験は浅く,まして農業の経営経済の実態は比かも知り得ないことを告白しなければならない。がたまたま有畜農家創設という施策が国によって取り上げられ強力に推進されようとする時期に直面しているので,この機会に一応認識を体系付けてみたいと考えたわけである。相手は余りにもボウ大であり,複雑である。群盲像をなでるという話の群盲の一人であり且つ先学のおぼつかない追従であることを前言し大方の士の批判と叱責をあおぎたいと考えている。
なお数多く引用させていただいた末尾にかかげる書物の著者に深く感謝する次第である。
極めて概括的ではあるが今日さまざまの欠陥を内蔵して存在する耕種偏重の営農方式の成り立ちを眺めてみよう。
まず始めに常識化しているが我が国の農業が耕種偏重の家族労作経営として,即ち「家族労力を根幹とする家族農業によって狭い耕地に多量の労力と人造肥料とを投ずる多労多肥の農業として発達しその結果高い反当り生産をあげ,反当りに多くの農家労力を包擁すると共に,農地当り国内人口を扶養しえたのであるがその反面は過度集約となって多労多肥の割に生産があがらず,コストのかかる農業となり,農家労働の生産効率は著しく低位に止まっており,そのため生産能率の低い農家経済が,好況を呈しうるのには異常に高い農産物価格を必要とする。」(1)ということを念頭において次に移りたい。
斯様な農業の成り立ちは,我が国の社会構造の変遷,とりわけ現代の資本主義の発展過程を分析しつつ,それとの関連において究明するとき明確に捉えうるものである。
勿論この問題については,幾多の人々により,立場こそ異なれ,解明されている処であって,ここではその足跡をたどりつつ尋ねてみよう。
我が国の農業が耕種偏重の営農方式によって営まれていることは既に述べた通りであるが,かかる営農方式を規程するものは水田農業である。では何故にこの水田農業が我が国に発達したのであろうか。
「米田は最も豊饒な小麦畑に比して,相当より多くの食料を生産する………さればその耕作にはより多くの労働が要るけれども,それに必要な労働の全部を維持することが出来その上に残る剰余は………大きく………このより多い剰余のより大きい部分が地主に層す」(2)とアダム・スミスが言う如くに,水田農業は,水を導入することによって相当の生産はあげることが出来,他の作物を生産するよりも,僅かの土地で一家の生計を維持することが出来るものである。
かような魅力をもつ稲作中心の農業は我が国風土の特質と,過剰人口を擁するということと更には,以下に記するが如き社会構造の故にこの国に芽ばえ育くまれたである。
即ち水田農業においては,水の導入と言う事が,支配的の意味をもつもので,過去の水を支配する地主の優位即ち地主的土地所有制度が今日の水田農業を育て且は強制したのである。換言すれば,水田農業が封建制度の維持存続の骨格をなしていたのである。
そうして,この地主的土地所有制度のもとにおける水田小作契約の形態は圧倒的に物納であり且つ高率で小作人に臨んだのである。
かかる高率現物小作料の負担者としての農民は,これよりの脱出方法として労働力の過投−単位面積当りの収量の増大えと向い,加うるに「農業技術の発展が米麦中心の品種改良,或は施肥等に関する肥料の問題」(3)といった単なる労働対象面にのみ行われたのである。
封建社会の崩壊と共に資本主義社会の誕生をみた現代においてもこの高率現物小作料は多少緩和されたにしろ今次の農地改革まで存続して来たのである。
そうして,あまつさえ,我が国の資本主義は後進性と言う特色をもつが故に「小農を小農として維持安定せしめることが,発展の絶対的条件」(4)であったためこの小農維持政策を強力に推進して来たのである。
水田農業の成り立ちをかく見,水田農業の営みに加うるに農家経営規模の零細化という一筋の政策をベツ見したわけであるが,この事は古い穀作経営の殻を破り新らしい合理的と言われる営農方式えの転換を阻止する原因の探求の,誘手ともなるのである。
過去における高率物納小作料といい,小作維持政策といい,或は又農産物の低物価政策といい,すべてが農家経済を貧困化する相手であったのである。
戦後における「農業に最も大きな変貌を与えた農地制度の改革も一応農民を高率な小作料から解放せしめたが,それは零細なる小作農を自作農化したにすぎず強力な主食の供出制度と低米価政策更に過重なる税負担を通じて,破壊せられた重化学工業の快復のために,それに必要な資本が調達」(5)されてゆき農民は相も変らず搾取され続けているのである。
さればこそ,「我が国の穀作経営の欠陥は………経営組織そのものの欠陥ではなくて,むしろ貧困な家計と経営との結合としての,農家経済の欠陥でありこの様な原因が実は多くの地方で欠陥のある経営組織を作り出している」(9)のであるとさえ言われるもので,我々は今日の耕種偏重の営農方式の不合理性を考えるまえに,農民の貧困,農業資本の欠乏があらゆる発展をおしとどめているという事を認識すべきではあるまいか。
以上記した処は耕種偏重の営農方式の成り立ちと,その姿の眺望である。
では,かかる過程をたどって現存する経営組織が本県においては,どの様な形で現われているだろうか,この大まかな形を据え標題にうつしてみよう。
そうすることが,此の県で畜産を奨励する我々によって,きわめて必要なことと思うから。先ず簡単な表を掲げ検討してみよう。
◎総土地面積に対する経営土地面積
総面積 | 経営土地面積 | 耕地面積 | 山林 | ||||
町 | % | 町 | % | 町 | % | 町 | % |
310,520 | (100) | 258,327 | (36.4) | 109,289 | (15.4) | 111,368 | (15.7) |
◎耕地面積中の,田畑の占める割合
田面積 | 畑面積 | ||
町 | % | 町 | % |
82,156 | (75.2) | 23,849 | (21.8) |
◎農作物収穫面積と耕地利用率
米 | 麦 | そ の 他 | 耕地利用率 | 1戸当延作付面積 |
町 | 町 | 町 | % | 反 |
78,733 | 53,580 | 36,285 | 154.1 | 9.5 |
◎農作物作付百分化
稲 | 麦類 | 雑穀 | 豆類 | いも類 | 蔬菜 | 果樹 | その他 |
46.7% | 31.8% | 1.4% | 4.7% | 5.4% | 3.6% | 1% | 5.4% |
◎経営農用地面積広狭別農家戸数と1戸当り経営土地面積
3反未満 | 3反〜5反 | 5反〜1町 | 1町〜2町 | 2町以上 | 合 計 |
35,907戸 | 31,749戸 | 61,400戸 | 39,508戸 | 8,377戸 | 177,078戸 |
(20.0%) | (18.0%) | (34.7%) | (22.4%) | (4.7%) | (100%) |
1戸当り経営土地面積
耕地面積 | 農用地総面積 | 山林面積 | |
6.3反 | 田4.6反 | 8.3反 | 6.3反 |
畑1.4反 |
この表で我々が直観することは,如何に農家の経営規模が零細であるか,という事と米麦の農作物が耕地の殆んど大部分に作付されているかということであり更に経営の内部に入りこんでみるとき,次表によって知る限り,如何に労働集約化が行われているかがうかがえるのである。
きわめて狭少な耕地に労働集約化が行われ,単位労働報酬が全国平均以下という現状で農家経営のカローじての歩みが行われているというのが本県の実状なのである。
土地生産性と労働生産性との比較
土地生産性 | 労働生産性 | |||
反当り生産額 (円) | 指数 | 1人当り生産額 (円) | 指数 | |
岡 山 | 11,500 | 116 | 27,646 | 98 |
全 国 | 9,400 | 100 | 28,200 | 100 |
註 昭和22年経済安定本部調
(調査年次が過去のものであり現代を知るには,不都合であるかも知れないが大体をつかむことはできよう。)
元来本邦の営農方式が無畜穀作経営として,表現されるけれども,実は文字通りの無畜農業ではなく,耕地単位面積当りの役畜が諸外国に較べて如何に多いかは既に周知の事柄である。
耕地100町歩当り役畜数
日本 | 46 |
(岡 山) | (31) |
スイス | 63 |
オランダ | 31 |
イタリー | 25 |
ドイツ | 20 |
アメリカ | 11 |
本県における役畜としての役肉用牛,馬の飼養農家は全農家の55%に相当し,畜力利用農家は82%にもあたるのである。
処がこの役畜はその年使役日数は極めて少なく,従ってしばしば糞畜だと指摘されているのであるが,現存の耕種組織のもとにおける地方維持のためには,一応その飼養の合理性が存在すると言いうるのであろう。
用畜の飼養が,たしかに農家の経営経済にとって好ましいことは,承知の処であるがその用畜飼養を許容するには余りに多くの障害物を耕種組織が抱いているのである。勿論役畜とて飼料基礎の面からみれば,比較的飼料が得やすいにしても,耕種副産物としての糟糠類,小米粃の如き穀類は,ともすれば土地用役の高騰の結果,食糧化されようとし或は貧困な農家経済の一時的な現金収入源として,経営外に流れ,藁稈類は,燃料として,米麦供出包装材料その他の加工品として,又家屋の材料として,家計へ経営外へ運動を続け,飼料自給基礎はきわめて動的であり,更に一方の基礎をなす野草の獲得も,労働飼料と称される如く草刈りという働きの結果のもので,これが農繁期においては,労働のピークを助長し安定した飼料基礎の上におかれたものではない。それ故に「不可欠なる害悪」というソシリはまぬがれ得ない。
しかし何れにしろ従来よりの耕種組織が改変されることなく存在する限り,役畜は,人間の労働の補助手段としての鍬カマと等しい観念で,「直接労働力の節約のためでなく,土地生産力を高め,耕地の利用度を増大する」(7)ためにミゼラブルな経済の好転のため飼養され続けられるであろう。
その発達は極めて微たるものである。
即ち本県の場合乳牛飼養農家は1.1%豚1.4%で共に1%程度という普及状態であって全国平均を下回る現状である。
用畜の発達のためには,立地条件が大きな要素をなすことは当然であるが,ここで考えなければならないことは,耕種組織それ自体が従来と変わりなく存在する限り,用畜の飼養が,きわめて困難であるということである。
役畜の飼養より以上に飼料自給の基礎が確立されることが必要であるにも不拘,役畜同様の飼料基礎のもとに飼養されている限り,その普及の可能性は閉め出され,購入資料の入手の如何,価格の如何におどらされる型態をとることとなるものである。
この様な条件の中に芽ばえ育てられてゆく用畜が,その培地が造成されず,本来の耕種組織という硬い殻の中で,生育しようとすれば概して,下表の如く,農作物の延作に付面積をより多くもち且労働力の豊かな経営規模の大なる農家に入りこみ,或は殆んど耕地を持たぬ農家の中で商業畜産の色彩を帯びて即ち専業化してゆくのは,けだし当然のことである。
用畜飼養ということが―役畜飼養とてその域を脱することは出来ないのだが―家族内の凡ゆる労力を動員し,労働力の極度の集約化のもとで,己れの貧しい家計のために封建制度の農奴の如く,エイエイとして働く,およそ農業近代化のコートにほど遠い像を見せつけると共に有畜農業でなく富農畜産と叫びたい怒りに似たものを感ぜしめる。
総農家に対する家畜飼養農家の割合及び農家100戸当頭数
乳 用 牛 | 役肉用牛 | 馬 | 緬 羊 | 山 羊 | 豚 | ||
% 頭 | % 頭 | % 頭 | % 頭 | % 頭 | % 頭 | ||
全 国 | 飼養農家率 | 2.2 ( 3.2) | 32.2 (36.5) | 14.7 (17.3) | 4.1 ( 5.8) | 5.7 ( 6.7) | 7.4 ( 9.8) |
岡 山 | 〃 | 1.1 ( 1.7) | 52.1 (62.3) | 2.6 ( 2.7) | 0.4 ( 0.5) | 4.6 ( 5.3) | 1.4 ( 2.5) |
以上記した農業経営合理化のためには明治末期,昭和初期,今日と農業恐慌の来襲ある度毎に,その打解策として経営の多角化がとりあげられ,その意味において有畜化が終始一貫として忘れられる事なく持ち出されている。この事は他面から考えて,如何にも容易ならざる問題であることを示している。この経営の合理化と言い,多角化といいそこに有畜化が取り上げられる究極の目的は,労力の適正配分であり,単位労働報酬の増加であり,地力の増強等であろう。
元来「経営の多角化ということは,経営組織の単なる転換や,或は副業の取り入れによって之を行うとする方法であって,労力のかたよりを是正しようという点から考えた場合に,それは結局農繁期の労働のピークを積極的に崩すというよりもむしろ農閑期の穴をうめることにねらいがあり,それ故作業能率の増進ということには関心がうすく,むしろ年中絶えまなく働かうという態度」(8)であったのである。
そのため家畜を導入し,これを飼養すれば,たしかに地力の維持培養は出来うるが,作業能率の低いことは従来よりの穀作経営から一歩も出るものでなく,結局は農繁期の作物に追われ,家畜の管理はおろそかになり,家族労力を強化しただけのことと化し,多角経営は少しも行われたことにはならないと,言いうる。
多角経営なるものは,先ず「作業能率の増進に眼目をおき,そうして本来狭い土地を高度に利用して地力の維持等を図る」(9)方向に進めるべきで,かかる,受入態勢が耕種組織に出来た上での家畜導入でなければ有畜化は決して進むものではない。
斯様な観点から,政府は有畜農業を「主要飼料基礎を自給飼料において,生産される畜産物を自からの経営や生活に有機的に結合し,地力を維持増進せしめつつ,土地の集約的利用及び労働力の合理的配分をはかり,農業の綜合生産力を高めるように経営する多角的農業と定義し耕種偏重の我が国独特の片輪的営農方式を是正し安定し発展させるための1つの方法として意義ずけている」(10)。
在来の多角化の盲点を考え合わすとき全く尤もな定義であり,非のうち処のない見解ではあるが,理論に秀いで得たにしても現実の歩みの中にかかる理論の実践を強力に活かさなければ何等の意味もないことでありこの定義にもられた,家畜導入の前提条件としての,土地の集約的利用及び労働力の合理的配分を図るための,耕種作業の能率の向上に全神経
を集中し,かかる点に農業技術の発展を求めるべく,国家施策を樹立すべきで,家畜の導入ということのみに,吸々とすべきではない。
経営農用地面積広狭別家畜飼養農家割合
3反未満 | 3反〜5反 | 5反〜1町 | 1町〜2町 | 2町以上 | 例外規定農家 | 計 | |
役肉用牛 | 1,504戸 | 8,151戸 | 40,577戸 | 34,287戸 | 7,722戸 | 1戸 | 92,242戸 |
(4.2%) | (25.6%) | (66.0%) | (86.7%) | (92.7%) | (0%) | (52.1%) | |
乳用牛 | 78戸 | 264戸 | 934戸 | 622戸 | 49戸 | 15戸 | 1,962戸 |
(0.2%) | (0.8%) | (1.5%) | (1.6%) | (0.6%) | (8.0%) | (1.1%) | |
馬 | 183戸 | 365戸 | 1,360戸 | 2,114戸 | 547戸 | 0 | 4,569戸 |
(0.5%) | (1.2%) | (2.2%) | (5.4%) | (6.6%) | (2.6%) | ||
緬羊 | 54戸 | 82戸 | 258戸 | 301戸 | 77戸 | 1戸 | 773戸 |
(0.1%) | (0.3%) | (0.4%) | (0.7%) | (0.9%) | (0.5%) | (0.4%) | |
山羊 | 1,144戸 | 1,391戸 | 2,692戸 | 2,417戸 | 527戸 | 11戸 | 8,182戸 |
(3.2%) | (4.3%) | (4.3%) | (6.1%) | (6.3%) | (5.8%) | (4.6%) | |
豚 | 406戸 | 464戸 | 901戸 | 501戸 | 95戸 | 89戸 | 2,456戸 |
(1.1%) | (1.5%) | (1.4%) | (1.2%) | (1.1%) | (47.5%) | (1.4%) | |
農家戸数 | 35,907戸 | 31,749戸 | 61,400戸 | 39,508戸 | 8,327戸 | 187戸 | 177,078戸 |
昭和25年2月1日世界農業センサスより。
地域別経営耕地広狭別農家有畜化率 昭和25年2月1日現在
地 域 別 | 5反未満 | 5反〜1町 | 1町〜2町 | 2町〜3町 | 8町以上 | 計 |
% | ||||||
北海道 | 4.2 | 23.8 | 66 | 90 | 93.1 | 62.2 |
東北 | 9.3 | 47.2 | 79.4 | 84.7 | 87.4 | 52 |
奥羽北陸 | 6.5 | 34.7 | 62.6 | 78.1 | 76.9 | 39.5 |
東山 | 7 | 40.6 | 71 | 88.3 | 94.7 | 38.4 |
東海 | 7.1 | 38.6 | 64.6 | 73.5 | 67.1 | 31.4 |
近畿 | 16.7 | 60.3 | 65.9 | 83.5 | 73.7 | 38 |
中国 | 24.7 | 84.1 | 82 | 86.5 | 94.5 | 54.1 |
四国 | 25.9 | 84.7 | 77.1 | 94.6 | 56 | 51 |
北九州 | 24.6 | 84.5 | 85.9 | 82 | 87 | 56.5 |
南九州 | 30.6 | 84.5 | 95.7 | 87.9 | 72 | 55.9 |
全国 | 16.5 | 58.5 | 73.7 | 84 | 92.9 | 45.8 |
農村時報 第10巻 第11号
有畜農家創設という畜産施策が農民に与えた反響は極めて大きく,それは次表に見られるが如き,相当数の家畜導入という結果をもたらしたのである。
まさしく夏の日の一雨の如く,汗拭く人々への心ゆくばかりの恵みであった。
有畜農家創設事業にもとずく家畜導入希望頭数 (昭和27年,岡山県)
乳 牛 (2,180) | 緬 羊 (3,888) |
役肉用牛 (7,344) | 山 羊 (2,364) |
馬 ( 420) | 豚 (2,061) |
過去におけるともすれば積極的な畜産奨励のキズナを断ち切った積極的な一大飛躍とさえ呼ばれる施策であった。
しかしながらこの喜びも何時しか悲しみへと移り行き,危惧と失望にうちのめされつつあることは否定出来ない。
農業労働力の経営規模別状況
不耕作 農家 |
3反 未満 |
3〜5反 | 5反〜1町 | 1〜1.5町 | 1.5〜2町 | 2〜2.5町 | 2.5〜3町 | 3〜5町 | 3〜10町 | 10町以上 | 計 | ||
人 | |||||||||||||
昭和22年 | 家族農業従事者 | 1.5 | 2 | 2.6 | 3.1 | 3.6 | 3.9 | 4 | 4.1 | 3.9 | 3.8 | 4.3 | 2.9 |
常傭 | 0.08 | 0.003 | 0.007 | 0.01 | 0.02 | 0.05 | 0.08 | 0.1 | 0.1 | 0.08 | 0.1 | 0.02 | |
臨時傭 | 3 | 1.8 | 4.4 | 7 | 11 | 16 | 21.7 | 28.1 | 29.2 | 21.1 | 27.3 | 7.5 |
栗原百寿・日本農業の発展構造
上に記した農民の希望頭数は,ただ一瞬の夢でしかなかったとさえ言いうるものであるではこの失望の焦点は何処に存在するのであろうか。それは後に記述すところであるが,その一面は資金というくくりの中に存在し且つ,すべての人が指摘している処である。政府当局者も亦金利の問題,自己負担金の重荷,信用なき者の不遇等に不満をもち,低利資金或は国家による家畜の貸付等に今後の努力を約している由である。
ともあれ,それが国の施策として発表された以上は,すべてが農民に集中し,よきにつけ,あしきにつけ,事に処するは農民であるという現実を再認識すべく政府に要望し,次に移りたい。
政府は,最近における無畜農家の有畜化を困難ならしめる主なる原因として,
1.家畜導入資金の不足
2.家畜飼料の取得難
3.畜産物の販路に対する不安
4.有畜化の必要性に対する世代間の差(11)
を列挙している。
今次の有畜農家創設の骨子は,上記の第2第3の問題も勿論重要であるが,とりわけ第1の資金の不足の解決策を宿していることは周知の通りである。
我が国の農業がコストのかかる農業であって,戦後に見られた如く,農産物価格が異常に高騰することによって,ようやくプラスになるという事は既に幾度か述べた処であるが,まして低米価政策が強力に遂行される限り,これと相まって農家の資本の蓄積は不可能であり,このため資本の貸付は極めて喜ばしいことである。
A 和牛価格グラフ
しかしながら,かく貧困な経済を抱擁する農村にある一定額の資金が流れるということは,商人の躍動があるにしても家畜価格を高騰させるものであり,それは初歩的経済法則でもある。
事業別表に見られる価格の値上りが現われている。勿論この価格が今後長期に亘って,持続するか否かは推測を許さないけれど,以下に記すが如き不合理性を惹起する根本問題は,あまりにも農民に負担を背おわしすぎているという点にあるのではなかろうか。
それは余りにも低い融資金額にあるとも考えられる。現行の3割負担という自己負担の重荷は,今後家畜の値上りがあるとすれば益々圧迫しあまつさえ5分の利子補助が国においてなされるにしても農民の支払う金利は低率であると言いうるものでなく,償還期限の短かきことと相まって,農家経済はヒツ迫し,従来より一層の貧困化を招来するおそれがないと断言することは出来ない。
農業経営の多角化としての有畜化が,すべての農民に要望されつつ,融資に際して,信用なき人々―これらの人々こそ真の無畜農家を構成する人なのだが―は堅くトビラが閉ざされ,浮世の風は,相変らず無情であると嘆かしむる結果がおこりはしないだろうか。
貧農を救い彼等に福利を与えるべきが根本問題でありながら,却って富める農民の味方とさえ思わしむるが如き性格の政策が,果して一国の政策と稱され得るものであろうか。
かつて地主とケツタクし,彼等を含めた資本金の富の蓄積えとたどった農業政策が,今再び出現しようとしている………と極言しても,差支えないだろう。
B 価格高騰率
年月 | 和 牛 | 乳 牛 | |
昭和26年 | 1月 | 100 | 100 |
2月 | |||
〃 27年1月 | 132 | 145 | |
〃 27年2月 | 133 |
C 価格高騰率
年月 | 和牛 |
昭和26年平均 | 100 |
〃 27年1月 | 119 |
〃 27年2月 | 129 |
特に飼料の大宗をなす自給飼料の取得については,食糧事情の好転につれ作付統制が緩和されるに従い毎年容易になって来ていると,比較的楽観視しているが如く見うけられるが,今粗飼料源としての飼料作物について考える場合,確かに裏作としての麦作は進歩し,これに替るものとしての飼料作物の作付が考えられないでもない。
併し畑作及び水田麦作を含めて従来の作付の後退が飼料作物の前進という平面的な考え方は過去の作付の歴史を,かえりみるまでもなく決して現実に即したものではない。
特に,前述した如く「戦後の農地改革は零細な小作農を自作農化し,農家一戸当り耕地面積は全国平均戦前一町が8反5畝となり,農業人口は総就業人口の半ぱを超え,このため土地の用役は,ますます高価となり,耕地の飼料作化や食糧生産物の飼料化はきわめて困難となっているのである」(12)か様な現実を直視し時の流れにゆだねるが如き態度は速やかに放棄し,この面での施策を積極的に講ずべきである。
おはりに,
現存する営農方式は,不合理性を包蔵してはいるけれど,これをとりまく,社会的,経済的,自然的な一連の複雑な要因の綜合的調和の上に存在するものであって,かかる意味においては,合理的であるとさえ言い得るものである。
この存在を打破し,新らしく有畜化えと,営農方式を方向ずけるためには,単に家畜の導入という施策に終始することなく,しばしばくり返えした問題点を捉え,これらを含めた綜合的な施策の中において有畜化をとりあげ推進することが本来の意味での有畜営農方式を確立せしむるものである。
学問にとって平安の大道はないと同様にまして一国の国民経済下にある農業経営の改変が平安な大道の歩みによって,とげられるものでないことを附記し稿を閉じたい。
(1)磯辺 秀俊・日本農業有畜論 農業問題第2号
(2)アダム・スミス・国富論
(3)大内 力・農業問題
(4)大内 力・日本農業の財政学
(5)尾崎,武田・飼料
(6)岩片 磯雄・今後の農業経済
(7)尾崎,武田・飼料
(8)岩片 磯雄・今後の農業経済
(9) 〃
(10)牧野 忠夫・有畜農家創設と維持
農林時報第10巻11号
(11) 〃
(12)尾崎,武田・飼料