ホーム > 岡山畜産便り > 復刻版 岡山畜産便り昭和30年10月号 >蒜山原の想い出を辿る(2) |
酪農は果して伸長しつつあるのだろうか。いうまでもなく酪農の基礎は乳牛にある。この意味において乳牛飼養頭数の増減は,単的にその消長を示すとして差支えあるまい。(1の統計を見よ。)
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この表に見られる如く,飼養頭数そのものは確かに伸びていることは事実だ。又,それが,従来の例に見られる土地を持たない郡市附近における市乳生産的性格から漸次土地を持った農家の経営の中に入って行っておることを2表が証明しているといえるだろう。
経営規模 | 総 数 | 3 反 | 3~5 | 5~10 | 10~15 | 15~20 | 20~30 | 30~50 | 50 反 | 例 外 | |
調査年次 | 未 満 | 反 | 反 | 反 | 反 | 反 | 反 | 以 上 | 規 定 | ||
28.2.1 | 1.58 | 1.46 | 1.37 | 1.34 | 1.42 | 1.44 | 1.49 | 1.63 | 2.42 | 9.22 | |
25.2.1 | 1.49 | 1.51 | 1.32 | 1.26 | 1.28 | 1.31 | 1.35 | 1.59 | 2.27 | 6.01 | |
備考 農林省畜産局,畜産提要 昭和27年度から引用。 |
更に生産された牛乳に所要の処理を加え,或はれん乳・粉乳・バター・チーズ・脱脂練粉乳等に加工する施設も逐次整備されて来た。(3表を見よ。)
(3表)飲用牛乳処理,乳製品製造施設(昭和27年度畜産提要より)
農 協 | 有名会社 | その他会社 | そ の 他 | 合 計 | ||
飲用牛乳 処理施設 |
A | 272 | 28 | 151 | 1,562 | 2,013 |
B | 1,357 | 1,922 | 1,539 | 2,612 | 7,430 | |
C | 858 | 1,357 | 934 | 1,696 | 4,845 | |
乳製品 製造施設 |
A | 44 | 51 | 61 | 4 | 160 |
B | 871 | 3,986 | 2,056 | 15 | 6,928 | |
C | 263 | 1,817 | 934 | 7 | 3,021 | |
備考① | 北海道は未報告につき含まない。 | |||||
② | A-処理場は工場数 B-能力石数 C-処理石数又は練乳石数 |
残念ながら農協,有名会社,その他の他会社,その他別の原料乳扱数量が分からないために,各団体の占めるウエイトは分からないが,その能力と資本的経営なる等の特質から,有名会社はあくまでも集中的な量産が,そして農協その他はその反対に著しい小能力施設が分散しておることはあらためて喋々を要しないところである。有名会社は,商業資本家であり,その商業的利潤を追及し得られる限りにおいて,生産者とその生産物である原料乳を,買い進み或は買い控え,その間に挟まれた生産農家は,有名会社の……に自らの生命を託せざるを得ないのであるが,政府は,その有名会社群の資本力に押されて,乳価の勝手な引き下げに対して単なる犬の遠吠え的警告を発する程度の措置しか講ぜられないのが実情だ。然し,これでは日本の酪農は到底順調な発展は期待できないのであって,政府は,牛乳とその製品の国民食化のために,百尺竿頭一歩を進めるために強力かつ適切な手をうつべきではあるまいか。
即ちそのひとつは現行の集約酪農地域制度をもっと徹底化してこれを土地畜産迄に進める(このことについては別の機会に詳論したい)と共に,その全国に散在する農協製品の商品価値を高めるために,東京或は阪神等の主要消費地に,それらを混合精製して充分既存の銘柄品と対抗できる品質のものを調製し得る工場を設立し,農協製品は地方消費を除き原則として全部その工場に送り込み,ここではその一つ一つについて脂肪含量と酸度等を検定し,その成績によって代金を決済すると共に,各地のものを一定規格に従って混合調製検査の上権威あるマークを押捺して市場に出すということが考えられないだろうか。そして,これだけの施設と運営を若し全国販売農業協同組合連合会即ち全販連がその組織をあげて当るならば,農民は,全販連を通して優に有名会社の銘柄品に対抗し得るのではなかろうか。
日本の有名酪農会社はその商業資本家的であるところに特質があり,それに対するには生産の背景を持つ資本しかない。全酪連或は全販連の活動を期待する所以である。
県はこれから大いに北辺振興をやるんだという。私も大いにやってもらいたいと思う。然し何事によらず無手勝流というわけにはいかないことは勿論で,かすに方法を以ってすればここに桃源郷を築き上げることは必ずしも不可能ではないと思われるが,一旦その方法を誤ると100年河清を待つに等しの嘆をかこたねばならなくなるということは,今日ここに原野が残っているという事実が証明しているわけだ。
そこでこの原の開発には何をやらねばならないかであるが,私はまず第一に県が大きく蒜山原或は北辺振興を取り上げそれを県政方針の中に明確に位置づけると共に,現地における指導体制を整備することだと思う。世は民主主義の時代だから北辺開発は北辺の人が自ら当るのが当然かも知れないが中央集約的匂いの強い現実は必ずしもこの理論は通らないし,又,それにこだわる必要もあるまい。更に南部の人達の中には南厚北薄に対する反動と見る向きもあるかも知れない。然し南部の生産力が大きく北方の草に依存して来た経過とそれがいつの間にかマイナスの回転を始めている現実-前章で触れた通り-に鑑みるとき,そうした岡目八目的ジェラシーに対しては自ら論駁説得の道もあるだろう。とにかくこれだけの大きな地域の開発を単に地方的問題として軽く扱うことは当を得ないし,又それでは開発目的は達成されないだろうことだけは断言できるのではあるまいか。なおこの問題を県が大きく取り上げるならば,同時中央の施策の中に挿入することもまた不可能ではないと考えられる。こうして県政としての方針がきまったならば,それをまず現地における指導体制の整備に具現すべきであって,現在同方面には農業部面だけでも家畜保健衛生所,農業改良普及所,高冷地試験場があるが,これらはできるだけ早く発展的に一本にまとめ蒜山原開発事務所(仮称)とでもし,総合開発計画の樹立と実施並に啓蒙直伝に強力な指導力を発揮すると共に,現在における開発相談所性格をも併有せしめてはどうだろうか。
第二は,やはり現地の人達による開発促進協力態勢の確立である。日本の農民は余りに長い間封建的憐憫農政に馴れて来たために,何事もあなた委せのその日暮らしになり易く,何かといえば補助々成金に手を出したがる。然し,牛や馬でも水の飲みたくない時に川に引き入れても見向きもしないように,人間にも自らの欲望にもつと自主主体性を望むのは私一人だけではあるまい。自らのために,道を開く者に協力する気持ちがなければどんな名案と雖も労して効少しの嘆きを見ねばならないことだろう。それとやはりまとまることだ。
こらからはそうしても青年達に期待せねばならなくなる。老人達には老人連の考えはあるだろう。だからといって,死ぬ方が早い連中とこれからの人達が,同じ人生観で生きなければならないということはなく,青年には青年としての未来に夢を託する生活観なり或は人生観がなければならないだろう。極言すれば,親爺は現在地で祖先伝来の土地と家と墓を背負って死ぬ,俺達は蒜山原の真中に豊かな楽しい暮しを建設するというていの飛躍がほしいのだ。
ここに第三の課題としての蒜山開発青年隊の発足を期待する抑々の理由がある。かつて23年の夏私が始めてこの地方へ足を踏み入れた時,馴れない鍬鎌をふるう開拓者に対して嘲笑の声を送りながら自らはやくざ芝居に浮身をやつしていたのは誰だったろうか。その時村の人達の多くは米と煙草でミシンを買い五球スーパーの高級ラジオで浪花節をきいていた筈だ。それからかれこれ8年余りになるが,村の暮しは果たしてそれだけ挙ったかどうだろうか。先日4回目に行ったときには開拓者に多くの脱落の出たことをきいた。引揚や復員者の開拓地からの離脱は本人にとっては必ずしも脱落ではなく,むしろ発展だったかも知れない。然しだからといって蒜山原は再び元の茅萓の荒野に返ってよいということにはならないし,以前のような放牧採草地として村に戻って来たとてそれが喜ばしいことであるかどうか疑問だ,そして放っておくのならば誰かの手で開発をという声の出るのも当然だ。
宝の持ち腐れは今の日本で断じて許されない。それはジリ貧からドカ貧必至だからだ。
青年達よ!蒜山開発に野心を燃やせ。それが君達に残された生きる道なのだ。
然し,同時に国も県も市町村もその人達の努力を実らせるための条件の整備に全力を傾倒せねばならない。石川啄木はかつて『働けど働けどわが暮し楽にならざりじっと手を見る』と詠んで働いても蓄積のできない非力を嘆いたが,それは政治の無情に対する満腔の不満ともいえるだろう。私は,働く者にそれに値する報いを与えることのできない政治は政治の名に値しないのではないかと思う。但し農業開発に即効は望めずローマは一朝にして成らずの通り当さに生命をかける問題だ。然し叩けば必ず開かれるであろうことを断言してはばかれない。